自然科学と人文科学

Javaの勉強を始めてから、「自然科学は美しい、、、」と思うようになりました。たった一つの言葉を何か他のもので置き換えただけで、全体が駄目になってしまう、というようなはりつめた緊張感が、自然科学にはあるような気がします。複雑な部分部分が、はりつめた糸で結ばれ、見事に調和された世界を作り上げていて、その論理性と堅固さは、人文科学では見られない「美の極致」と言っていいような気がします。

。。。ん? 「美の極致」? 何か一人で熱く語ってますなー、、 、(すんません、ちょっと大げさに書きすぎですか)

えっとですね、要するに、理系の分野では、導き出される答が一つしかなく、そこに至るまでの過程で、何か一つでもミスがあると、答には行き着けない、ということです。その分かりやすさと明快さに、文系satchyが魅了された、ということなのであります。文系って、そういう「完璧さ」というよりは、「完成度」が問題にされるように思うのです。satchyの分野は、人間相手の研究になるので、あるグループから得られた調査結果を一般化することは難しくて、論文の最後のdiscussionのところでは、たいてい、「このグループではこういう結果でした。でもこれを一般化させるには、さらに別のグループで調査をする必要があります。」と言うのがお決まりになっています。だからといって、これが無意味だといっているわけではないのだけれども、完璧というものが見えない研究は、苦しい面も多いです。(これは、satchyの修行が足りないということでもあるのですが)

で、Javaの勉強をしてる時には、「大体」や「ほぼ」といったようなあやふやさの一切ない世界に身を置けるので、ものすごくすがすがしい気持ちになれるわけです。「すがすがしい」、といっても、難しくて壁にぶち当たってることの方が多いのですが、それだけに上手くいったときには、よっしゃーっっ!!という大きな感動を味わえるのです。最近は、だいぶ、プログラム作成にも慣れてきたので(と一人で勝手にそのように思っているのですが)、出力例を見てプログラムを作るという練習問題にもチャンレンジしてます。めっちゃ頭使いますけど、普段こういう思考回路で物事を考えていないと思うので、考えるたび脳が鍛えられていく気がします。川村隆太先生監修の「脳トレーニング」ゲームをやるくらいなら、絶対Javaをやったほうがいいと思います。satchyは、このゲームで自分の脳年齢が「57歳」と判定されたから、この「脳トレ」ゲームがきらいになりました。(でも、何回かやってるうちに、「21歳」まで年齢が下がり、何だかとてもウサンくさいゲームであるという結論に至りました)

Java_003_1Sandal_007独習Java』は、satchyにはちょっと難しくて、「独習ってタイトルは嘘とちゃーいますか」と、思わず関西風突っ込みをいれたくなる内容なのですけれども、先生がくれたプリントと一緒にやれば理解ができる。『やさしいJava』の方が、satchyのような初心者向け対象で解説が丁寧で分かりやすい。私たちが日ごろ使っている「10進法」(0から9までの数の表記方法)に対して、コンピューターの内部では、0と1だけを使った「2進法」という表記方法で数をあらわしている、、、ということを今日学びました。全然知らんかったし考えたこともなかった。(でも、2進法だからどないやっちゅーんでしょーか。その重要性についてはまだよく分かりませんが)

自然科学と人文科学の間には、目に見えない分厚い壁が存在していて、その壁が両者を分け隔てているように見えるのですが、互いに影響しあい引き合うような何かも存在しているのでしょうか。satchyは、プログラミングを少しずつ勉強しながら、これまで自分に欠如していた論理的思考能力や分析力といったものが養えるような気がして、それが自分の研究にも何らかのプラスの影響を与えてくれるのではないかと秘かに期待しているのですが、短絡的過ぎるでしょうか。

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