SLS 800

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先月オルテガ先生に送ったパイロット・スタディのペーパーが戻ってきた.

どのページも,コメントで右端が真っ赤になっている.

一人で書いていたときには気がつかなかったことばかり.  

すごく勉強になる.

一人で書いているとときどき道に迷ってしまうのだけれど,こうして先生からフィードバックをもらえると,いつも行き着く先が見えてくる. 

今ハワイ大学は学期末の時期だと思う. 忙しい時期に時間を割いてくださった先生に改めて感謝した. 

そして,いただいたコメントを読んで,改めてこの先生はすごいと思った.

ゴールまであともう少しだ. やらなくちゃ絶対やり遂げなくてはやってやろうじゃんカモーンという気持ちになってきた. 

さきほど,来学期のSLS 800 (Dissertation Research)の履修登録をし,授業料の支払いを済ませた.

今学期は,$670.30だった. 毎回授業料が上がっていく. でも必要な投資なので仕方ない. 

ハワイに残してきたAmerican Savings Bankの口座残高がだんだん少なくなってきた. アメリカドルが残っているうちに博論を完成させたい. あともう少しだ.

がんばろう.

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to do list

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"weekly to do list"を作って,抱えている仕事を一つ終える度に抹消線を引いていく.

この大学での勤務も2年目になり,いろいろなことを頼まれるようになってきた. 昨日は,晴れてフットサル・サークルの顧問に就任したわたくしです. というかフットサルとフットボールの違いもよく知らなかったのですけどね. 「ボンボンもって試合の応援に来てください」とか満面の笑みで学生に言われて,しばいたろかと思ってしまいました. 「教員」というのは,もしかすると「サービス業」のカテゴリーに属する職種なのかもしれない.
  
しかし,一週間が終わって,書いていた仕事に全部抹消線が引けたときは何か達成感があって,良い週末を迎えられそうな気持ちになる.

でも,また翌週のto do listが待っているわけで,結局,週末も仕事に費やしてしまうのが日常なのだけれど. オルテガ先生にコメントをいただいたペーパーもリバイズしなくてはいけない. こんなに忙しいのに何がフットサル・サークルだ. ボンボン持って踊り狂ったるというような気分である. Go!Go!チアガーール!

オフィスで温かいお茶を飲むために購入した茶こし付きマグカップが,このごろとても重宝している. 爽やかな四ツ葉のクローバーのデザインも気に入っている.

4月なのにまだ冬物のコートが必要なくらい毎日寒い. お気に入りのマグカップで温かいお茶を飲むとほっこりまったりして,気持ちが安らぐ. 

おみやげでいただいたFERERROのチョコレートと一緒に.

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不安定

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4月に入り,入学式,新入生オリエンテーション,学科会議,英語プレイスメントテストなどの大事な行事が続き,忙しい毎日が始まりつつある. 来週からはいよいよ授業が始まる.

3月中は勤務時間のほとんどを自分の研究にあてることができた. この期間中に自分に課していた二つの宿題,「パイロットスタディのペーパーを完成させること」と「プロポーザルの修正版を完成させること」は,どちらとも計画通りに終えることができた.

ということをこうして文字化してみると,自分がまるで「優等生」であるかのように着色され美化される気がする. でも,当たり前のことだけれど,上から着色して美しく見せることは簡単なことで,つまり,大事なのはどれくらい質のいいものに仕上がっているかという中身なのである. それは外からは見えにくく自分だけにしか分からない. そういう面では相変わらず自分の力不足を痛感せざるを得ない結果となった. たとえば,パイロットスタディを行ってみて,最初のリサーチデザインに大きな穴があったことに気がついた. パイロット段階で気がついたのだから本番で修正すればいいのだけれど,こういう基本的な失敗をしてしまう自分を情けなく思った. 

そんなことも含め,3月中は自分を改めて振り返る機会がたびたび訪れ,そのたびに気持ちが下へ下へと下がっていった. そして,そのたびに自分の心を苦しめたのは,4年前にハワイ大学に留学することを決意したときに思い描いた「4年後になっていたい自分」のイメージと,4年が過ぎた今もそのイメージを実現できていない「今の自分」の姿とのギャップである. あのときなりたいと思った自分にはまだなれていない. その原因は,「力不足」と一言に尽きることはもう十分に分かっている. その不足した「力」が努力して獲得できるレベルのものではないこともすでに気づき始めている. もうやーーんぴと言ってあきらめたらいいのかもしれないが,これまで積み重ねて来たものを無駄にすることは一生の悔いになることもよく分かっている. 一生悔やみ続けることが怖くて,また同じことをこつこつと続けて行くことになる. 大波にさらわれまいと,転覆した船の破片に必死にしがみついているような状態だ.

春という気候のせいもあるかもしれないけれど,このところ,こんなふうに不安定な毎日を過ごしていて,大波にのまれて遭難する夢を見たり,海で出会ったオットセイの顔がなぜか指導教授のオルテガ先生の顔で,びっくりして悲鳴をあげたら「カモーン」と言って噛み付かれた夢を見たりした. なんでオットセイだったのかは分からない. でも顔はオットセイでもやっぱり「カモーン」って言っていた. また,昔のいろいろな出来事を突然思い出して,急に涙があふれてくるようなこともある. 泣くとすっきりするので泣くのはきらいじゃない. でも,弱虫な自分を認めなくてはいけないので,できれば泣きたくない.

神戸に帰ったとき,実家の庭は春の美しい花々で彩られていて,その美しさに心が癒される反面,自分は女性に生まれながらこんなに小さなお花さえも上手に育てることができないという現実と向きかい,何だかつらくて涙があふれてきた. パンジーを見てメソメソ泣く人なんてちょっと変だと思う. わたしが部屋のベランで育てているパンジーは,どんなに頑張っても実家のパンジーのように美しくは咲いてくれないのだ. 花を育てる力もなければ研究を遂行する力もない. このごろは卵焼きを焼いても失敗してしまう. 自分には一体なにができるのだろうと思ってしまう.

今のこの下がりきった状態を乗り越えたとしても,その乗り越えた先にどんな幸せなことが待っているのだろうと思ったりする. 

そんな不安定な春のひととき. 

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pilot study

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昨年,春学期と秋学期の約8ヶ月かけて博士論文研究のパイロットスタディを行った.

その一部結果がまとまったので,ハワイ大学のオルテガ先生に送らせていただく.

「論文を投稿するときカバーレターは論文と同じくらい大事なのよ」ということを教えてくださったオルテガ先生. なので今回も一応きちんとカバーレターを付けておいた. ちょっとフォーマル過ぎたような気がするが,わたしは今でも「アメリカ式・教授と院生の距離の取り方」がよく分からないでいる. オルテガ先生のこともまだファースト・ネイムで呼べないでいる. 呼び捨てにしている感があって違和感を感じてしまうし,オルテガ先生のモナリザの微笑みを見てしまうと,ローデス(先生のファーストネーム)なんて恐ろしくてとても言えなくなってしまうのだ. いいかげんアメリカ式に慣れろよという感じですが. カモーン.

しかし,帰国してからも,こうしてオルテガ先生に論文を送ってフィードバックをもらえる環境にあるというのはありがたいことだと思う. まだハワイ大学に授業料を払っている期間だからこそ許されることで,学位が取れたらもう甘えるわけにはいかない. 今のうちに先生から吸収できるものはできるだけ吸収しておきたいと思う.

忙しいオルテガ先生に迷惑をかけてはいけないので,英語をより質のよいものにしようと今回は英文校正を某企業に依頼した. 9000 wordsのペーパーが約45,000円. 見積もりの段階でえーーたかーーい!と思ったけど,そのお値段の相当分の校正をしてくれるのならと清水の舞台から飛び降りるつもりで依頼をした. しかし,返ってきたペーパーは,冠詞を直されていた程度で,これなら町田駅あたりを歩いている外国人(英語話者)に頼むのと変わりはなかったのではないかという気になった. また町田駅かい. みなさんは英語論文の校正はどうされておられるのでしょうか. それにしても冠詞の習得というのは私にとって永遠のテーマであり,最近ではもう永遠に習得できないだろうという確信に似た気持ちを抱くようになっている. 特に,冠詞をつけなくていい場合(無冠詞)がどういうときなのかがいまだによく分からないでいる.

オルテガ先生に送る論文を郵便を出しに行く前にもう一度論文を読み返してみた. こんなのでいいのかな先生をがっかりさせてしまうかなとかいろいろ気になり,やっぱり送るのやめようかなと思ったりしたが,清水の舞台から飛び降りるつもりで思い切って投函した. EMS の送り状にオルテガ先生の名前を書こうとして,緊張していたからか,オルテガ先生を「オルテゲ先生」と書いてしまい,新しい送り状にもう一度書き直した. 気がつかずにオルテゲのまま送っていたら,誰がオルテゲですって?カモーン!と怒られるところでした. おるてゲー. ところで久しぶりにSLSのウェブサイトを見ると,オルテガ先生が大変痩せておられたのでちょっと心配になりました. モナリザじゃなくなっている. 元気にしておられるのでしょうか.

この論文は明後日にはハワイに到着するのだろうか.

何となく懐かしくなって論文と一緒にハワイに行ってみたくなった. EMSならたった1000円でハワイに連れて行ってくれるのだ.

留学当時の思い出がよみがえってくる. 約2年半住んでいたSeaview Houseとか,ワイキキトレードセンターのスタバとか,時刻表通りに来ない4番バスとか,バス停でハトにえさをやっているおじさんとか,ハワイ大学のシンクレアライブラリーの2階ベランダとか,ハミルトンライブラリーが冷凍庫みたいに寒かったこととか,本当に懐かしい. ワイキキに住んでいるMさんとまたスタバでお茶したい. 

過ぎ去ってみるとすべてがいい思い出に変わっている. 

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Tim Tam

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Tim Tamチョコレートを買ってきた.

論文をたくさん読まなければならない時,チョコレートは必需品である. 

収容するべき情報量がキャパシティを超え処理できなくなったとき,チョコレートを一つ食べるだけで,頭の中が整理整頓されたようにすっきりした気分になる. この「すっきり」さは,大正製薬コーラックによって得られる効果と同じ種類のものであると言えよう. えー.

運が良い時は,すっきりした上にさらに新しいperspectiveが生まれることがあり,チョコレートを食べる前は見落としていた重要なポイントに,チョコレート服用後に気がつくことがある. この効果が得られる確率は,チョコレートが甘ければ甘いほど高くなることがanecdotal evidenceにより分かっている. そういう意味で,オーストラリア産,アーノッツのTim Tamチョコレートは,明治製菓の明治ミルクチョコレートが決して及ぶことのできない重要な領域を堅持しているのである. なんかちょっと大げさですね.

Tim Tamチョコレートとの出会いは,2002年〜2004年にオーストラリア,メルボルンのモナシュ大学に留学していたときである. 修士課程2年目にカーネギーという街に引っ越したのだが,新しいアパートの隣にはSafewayという大きなスーパーがあった. 修士2年目は論文を書かなければならない上に,ティーチングの仕事,その他,プライベートでもいろいろな出来事があり,ストレス軽減のための方法をあれやこれやと探った結果,行き着いたのがTim Tamチョコレートだった. というか意外にシンプルなところに行き着きました. まあ当時の悩みなんて今から思えば消しゴムの粉みたくちっちゃなちっちゃなことであります. 何はともあれ,そのような状況の中で,しんどいときにTim Tamチョコレートを徒歩1分で買いに行ける立地に住んでいるというのは大変ありがたいことでした.

あれから6年という年月が過ぎても,行き詰まったときにはこうしてTim Tamチョコを買いに走っている. ひとつ違うことがあるとすれば,Tim Tamチョコは日本で買うとカーネギーのSafewayの販売価格の3倍くらいはするので,そう頻繁には買いに走れないということである. ソニプラなどで買うともっと割高になるので,個人的にはカルディがお気に入りです.

しかし,Tim Tamチョコを食べて頭の中が整理整頓されても,それは一時的なものに過ぎず,自分の能力というのは結局は自分で切り開いていくしかなく,日々の努力や日々の積み重ねによってのみ上に上がって行けるのだということに改めて気がつくとき,てぃむたむてぃむたむと念仏を唱えたくなってしまう. なんじゃそりゃ. コーラックが一時的な効果を生むに過ぎず,結局は日々の食生活や規則正しい生活が重要であることと同じである. またコーラックかい. 

今さっき,ハラスメント発言を連発する先生がオフィスにおいでになった. ご本人はたぶんよかれと思って発言しているのだろうが,十分屈辱的で十分ハラスメントである. たぶん,その発言の根底には,これまでの環境や受けてきた教育の影響で無意識のうちに体に染み付いた「女性蔑視」があるのだ. 絶対に許せない. 念仏唱えたくなってきたてぃむたむてぃむたむ. おーい. 気持ちを落ち着かせるために.Tim Tamチョコをもう一ついただく.

やはり依存している.

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curiosity and innocence

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池で泳ぐ鯉をじっと見つめる女の子. なにを思っているのだろう.

何かひとつの事象に対する純粋な好奇心. そして探究心. それがどんどん薄れていっているような気がする.

大学で働いているので研究が仕事のひとつなのだけれど,最近は,純粋な好奇心からというよりも,仕事だからやっているという感じがする. 仕事とはそういうものなのかもしれないけれど.

そもそも今の研究を始めたのは,「人間のリテラシー能力をどう育てるか」という問題に対する好奇心からだった. その問題に対する好奇心は今も失われていない. しかしながら,人間の能力の伸びというものは,「これをやったからこれだけ伸びました」と言えるような単純なものではなく,また,試験の点数だけでは測定できないものもある. もしかすると,数値化できない部分の方が本当は重要である可能性がある. そんなことを強く感じるようになるにつれ,そもそもの研究のfeasibilityについて疑問を感じるようになった. 人間のリテラシーの発達に,ある教授法が有効かどうかなんて本当に実証することができるのだろうか.

最初から「有効だ」という仮説があり,そこに何としてもたどり着くようにデータを解釈する. 自分のやっていることはただのコジツケに過ぎない,ということを考えるときもある. 

そもそも個人の持つ能力とその成長というものは,教室の中での学生との対話とか,毎日の何気ない触れ合いの中で,教員が感じ取るものなのだ. その,「私が感じ取れたもの」はt検定とかANOVAとかMANOVAとかで検定しても数値には反映されないと思う.

そんな矛盾を感じつつ,今日も研究をこつこつと続けていくのだろう. なぜなら,これが「仕事」だから.

橋から身を乗り出して鯉を観察していた女の子のように,純粋な好奇心で打ち込めるものが研究であるべきなのだろう.

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Valentine's Day

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今日も始まってゆく一日.

1月末に後期授業が終わり,期末試験があり,採点をして,評価を出して,入試の仕事をして,やっと雑務から解放されたと思ったら,2月も半ばにさしかかっていることに気がつく. 

この前,「あけましておめでとうございます」って新年の挨拶をしていたような気がするのに,時間が過ぎるのは本当に早い. 気がついたらもう明日はバレンタインデーである. 好きな人にチョコレートケーキを焼いて持って行かなくっちゃ. なんて乙女チックなことはア・ラ・サーの人は言ってはいけないのでしたね. というかどう考えても「ア・ラ・サー」は無理があるような気がしてきました. フォー. それにしても,チョコレート好きなわたくしとしましては,バレンタインデーには「送る」よりも「もらう」ほうの立場に憧れます. 毎週土曜日に楽しみにしている『日経プラスワン』の「旬のスイーツ」の本日の記事は,福岡にある「お菓子のいちりゅう」というお店の「シャルロット・オ・ショコラ」でしたが,濃厚なカカオの香りが漂ってきそうなケーキの写真に引きつけられ,このケーキがバレンタインの日に自宅に届くというようなことが起こらないかしらと甘い妄想をしてみたりした. それに,「シャルロット・オ・ショコラ」って名前も濃厚で引きつけられる. シャルロットですよ. シャルロット・オ・ショコラ・サッチーとかいう名前を勝手に作ってみた. なかなか濃厚な名前で,本名が実に普通に思えてきた. ばかばかしい.

そんなわけで,2月半ばにさしかかってやっと雑務から解放され,今日からやっと研究に打ち込める. 
新学期が始まるまでの約一ヶ月の間に,書きかけの論文を一本書き上げることと,博士論文のプロポーザルの修正版をコミティの先生方に出してOKをもらうことが目標. 気がついたら4月になっていましたあれれ,とうことにならないよう計画的に進めて行かなくてはいけない. 

そんなわけで,気合いをいれて大学にやって来た土曜日. でも静かな研究室でパソコンと向き合っていると息がつまりそうになって,結局カフェに移動してきた. 人の話し声とか音楽が聞こえる中でパソコンと向き合っていると,自分だけがふわっと浮き上がっている感じがして,仕事がはかどる. いつも孤独だけど,そういう場所に行くと,その孤独というラインにさらにくっきり線が入るような気がする. だから自分だけの世界に集中できるのかもしれない.

相変わらずの生活である. たぶんこの仕事をしている限り,これからもずっと同じことを続けていくのだろう. でも,Billsでブランチを食べて,江の電に乗ってぶらり電車の旅をして,江ノ島の「湘南の宝石」を見に行って,Amalfi Dolceでお茶して,シャルロット・オ・ショコラ・サッチーという名前にツッコミを入れてもらってとかそんな土曜日がいいなー,と本当は思っている. ありそうでない時間です. 

一人より二人がいいという当たり前のことを,一人で研究をしているとよく思う. 

そんなバレンタインデーの前夜.

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大谷ヨネ子さん

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大谷ヨネ子と申します.

ホテル・ニューオータニの日本庭園に住んでるノラネコです.

ニューオータニの創始者,大谷ヨネ太郎さんの名前をもじりました. もじりましたといっても,「太郎」を「子」に変えるという,まるで小学生が思いつきそうなレベルの「もじり」ですが.

ホテルに住んでるので三食・ひなたぼっこ付き,ぜいたく三昧です.

ひなたぼっこのときはこうして置物みたいにじっとしています.

猫背でごめんなさい. 

というか猫だから別に猫背でもいいのですよね,

そういえば,猫って猫背だったんですね.

にゃお.

厳しい寒さが続いている今日この頃.

猫背の大谷ヨネ子さんのように(猫だから別に猫背でもいいのですけど),置物みたいにまんまるになって暖かい場所でじっとしていたい. 

今日は日曜日だったけど,一般入試のため大学へ.

作成者のひとりになっているので,待機用の部屋で待機.

昨年5月に初稿を出した後,8月,10月,11月,12月と計4回も校正を重ねてきた. それでも毎回ミスが見つかり,所詮人間がやることに完璧なんてないのかもしれない,ということを学んだ.

なので,試験当日の今日も気が抜けなかった.

待機しているだけだけど,張りつめた空気の中にいたので,なんとなく気疲れしてしまった感じ.

これが明日も,明後日も,明々後日も続く. 

なんかゆううつで猫背になってます. にゃーおにゃお.

大谷ヨネ子さんの猫背を思い出して癒されている日曜の夜. 

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こちらが,ヨネ太郎さん.

姿勢いいです.


 

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my students

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学生から,名古屋のおみやげをいただく.

「キットカット・みそ風味」

「ちょこ」と「みそ」のコラボとは斬新である. どえりゃーおいしそーだぎゃ.

って名古屋の人はみんなこんな話し方するのかなと思って学生にたずねてみたら,

「誰もそんなしゃべり方はしてません.たわけ」ということだった. 「たわけ」とは言われてません.

ちなみに,この学生によると,「たわけ」は現在でも使用頻度は高いということだった. 若い名古屋人(特に男性)は「たーけ」というように,たわけの「わ」を長音の「ー」に変化させて使用するらしい. どえりゃーおもしれーだぎゃ. ちなみに,名古屋の人は「エビフライ」という単語が発音できなくて「エビふりゃー」という音声になってしまうという噂を聞いたことがあったが,これも確認してみたところ,

「いいえ,ちゃんとエビフリャイって発音できます」ということだった. あれ,やっぱりフライじゃなくてフリャイって聞こえましたよ. 見栄はってるけどやっぱりフライって言えないのかもしれない. 名古屋の方すみません.


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こちらの絵は,本学の学生が描いた油絵である.

学園祭に展示されていたものだが,あまりにプロフェッショナルなので感動してしまった. そのことを本人に話すと,「じゃ差し上げます」と言って持ってきてくれた. ありがたい.

この学生のお母様は芸大出身で現在も画家として活躍されているらしい. この絵を見ていると,やはりDNAは受け継がれるのだということを実感する.

絵の才能があるこの学生は,外国語の才能はあまりないようで英語は6クラス中いちばん下のクラスに入っている. ローマ字もままならないようで,"Tom and John"を「トムとジェリー」とか言っていた. おーい. そんなこと言ったら,トムさんとジョンさんがネコとネズミ呼ばわりされたって怒ってきますよ. もうかんべんしてくださいって感じがします. でも,こんなにすばらしい絵が描けるのですから,トムとジェリーだって許せてしまいます. 英語力なんてその人を表すほんの一面に過ぎないのだ,というついつい忘れてしまいがちな重要なことを,こういう一芸に秀でた学生に出会うたび再認識する.

こんなふうに,本学の学生は,学力はそんなに高くないけれども,他者に気遣いができたり一芸に秀でていたりと,人としての魅力にあふれた学生が多いと思う. たとえば,切れやすいとか暴力をふるうとかそういう形で他者を傷つけるようなことをする学生は,知っている限りいない. 暴力は困りますね. 暴力反対. 最近,大学によってはそういう学生も少なからず入ってきていると聞くと,本学はましなほうなのだろうと思えてくる.

しかし,暴力ではないにしても,別の形で教員のストレスを増やす学生もいる. 秋学期も終わりに差しかかったここ数週間,再履修クラスにいるある一人の学生の対処に困っている. 最後の授業の日,なんか見たことない人が座っているなーと思っていたら,授業後,その人が13回分の授業の欠席届を何のためらいもなく持ってきた. 授業初日から一日も出席していないのである. 10月8日:「ぜんそくのため」,10月15日:「友人の結婚式のため」,10月22日:「新型インフルエンザ」(中略)11月16日:「お葬式に出席したため」,11月23日:「インフルエンザB型」.(中略)12月10日:「銀行へ教育ローンを借りにいったため」,12月24日:「ふたたぶぜんそくが出たため」・・・という感じ. 

なんだかとても多忙な学生のようです.

というか木曜の夜に誰が結婚式すんねんって思いましたけど.

というか木曜の夜に誰が銀行に教育ローン借りに行くねんって思いましたけど. 

というか体弱いんですね.

というかほんの数週間の間に冠婚葬祭多いですね.

こんなウソを平気でつけてしまうその非常識さ. その上,衝撃だったのは,こんな信憑性のない届に保護者の署名と印鑑があったことである. ちょっと理解に苦しむ. なんでこんな学生を入れてしまったのか大学の選抜制度にも疑問を感じる.  

こんな欠席届が出されても,欠席を配慮する理由はなく,もちろん評価は「不可」である. しかし,「不可を出す」=「また来年の再履修クラスでこの人にお目にかからなければならない」という図式が,さらなるストレスとなって頭の中をかけめぐる. 彼の中に変化をもたらすべく教育者として彼と向き合ってべきなのだろうが,その一方で,もうこんな非常識な学生は救いようがないから見捨ててもいいのではないかという気持ちもないわけではない. 

学生を見ていると,一人ひとり本当に違っていて,人間って本当にいろんな人がいるんだなということを感じる. あまりに低レベルな13回分の欠席届を見ていると,"Tom and John"=「トムとジェリー」ってもしかしてアリじゃないか?って思えてくる. 

疲れた体と心に,キットカットのみそ風味がじわっと染みる. 

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賀詞交歓会

Jan7_008_2 賀詞交歓会に参加してきた.

 全学部の教職員が百周年記念講堂に集まり,理事長と学長の「新年挨拶」を拝聴する. 今年の箱根駅伝では,本学の学生が大活躍し,見事シード権を獲得したこともあり,理事長も学長も「新年挨拶」というか「箱根駅伝」の話に終始していたような気がするけれど. 大学の名前が二日間宣伝され続け,しかも毎年あれだけ高い視聴率をマークしていることを考えると,箱根駅伝は大学にとって計り知れないほど巨大な「宣伝効果」があるのだろう. 

理事長も学長も自分たちが走ったわけじゃないのに大興奮. 自分はこの大学に来てまだ一年目なので,それほど愛校心もなく,箱根駅伝も「あれ,うちの大学が出てる」という感じだったのだが,賀詞交歓会に選手たちが現われると,いちばん先に選手のところに行って一緒に写真を撮ってもらったわたくしです. ミーハーかい. カメラを向けられると選手がみんないっせいにピースをしたので,つられて一緒にピースをしてしまいました. 日本人の若者ってカメラを向けるとなぜ「ピース」ってするのでしょうか. とても不思議な習慣だと思います. 自分もやってしまったけど. それにしても箱根駅伝を走った選手のみなさん,とてもいい表情をされてました. 選手のうち3人が4年生. 卒業後はどんな道に進んでいくのでしょうか. 箱根駅伝を走ったという経験は,彼らの未来への礎となり人生の支えとなっていくことでしょう.

Jan7_009 賀詞交歓会の後,所属している学部の女性教員と女性職員で構成されるという「ビジョ会」という会の新年会に誘っていただく. え?ビジョ会? わーい美女(ビジョ)の仲間に入れてもらえたと喜んでいると,いいえ,「美女(ビジョ)」じゃなくて「微女(ビジョ)」です,と訂正される. そんな. 微えむ女(ホホエム・オンナ)と書いて「微女会」. 「ホホエム・オンナの会」ってなんかモナリザの集合みたいでちょっと怖い気がしたけど,みなさん「微女会」にふさわしく,微笑みの美しい方ばかりでした. こんな素敵な会の仲間に入れていただけて光栄です. 普段はなかなかゆっくりお話しする機会がないので,先生方や職員さんの新たな一面を発見することができたりして,大変有意義な時間を過ごせた. 場所は大学近くのイタリアンへ. トマトソースのニョッキ. 美味でした. そして,ニョッキは「ニョッコ」の複数形だということを教えていただいた. 間違えて「ニョッコ」とオーダーしてしまったら,お皿に一つだけしか入れてくれないのかもしれない. そんな. 使用頻度は極めて低い単語かもしれない.

Jan7_004 「微女会」の新年会を企画してくださった図書館長のYさんに「お年賀」としてトラのキャンディをいただく. かわいいかわいいかわいい. 五円玉が一緒についていたりして,小さな心遣いに感動してしまった. 今年は「ご縁」があるのかもしれない. えー. 昨年のお正月はハワイにいたので,日本のお正月の風習って「まごころ」に包まれていてあったかくていいなと改めて思った. 

 微女会の新年会のあとは大学に戻って仕事をするつもりだったけれど,微女なみなさんとのお話が楽しくて結局場所をカフェに移して夜まで話し込んでしまった. 新年だからいいですよね. とても楽しいひとときでした.

Jan7_013  夕方,みなさんと駅ビルの屋上庭園に上がってみたら,目の前に富士山が.

 オレンジ色に染まった夕日の中にぼんやりと浮かぶマウント・フジ. 遠く離れていて小さくしか見えないのに何かとてつもなく大きな力をもらえた気がした. 今年も一発ドーンとやったれと言われている気がした. 

この場所からこんなにクリアに富士山が見えることはめったにないということだった. なんかついている. 今年はいい年になるかもしれない. いや,いい年に自分でしていかなくてはいけないのだろうけれど. ドーンとやったります.

本年もよろしくお願いいたします.

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