« 国際比較調査 | トップページ | 東京 »

人を形作るラベルについて

昨夜,法曹の制度の根幹を揺るがすような不祥事を大学教員が起こしたというニュースを耳にしました.


今回の不祥事は,単に不祥事というだけでは済まされない深刻性がありますが,振り返れば類似の不祥事のニュースが後を絶たない気がします. 特に,同業者のニュースには敏感になり,記憶にも残りやすいのですが,確か,数年前には,「○○大学に所属する先生が,百貨店でスカーフを盗んで窃盗容疑で逮捕」というニュースがありました. 最近では,「△△大学に所属する先生が,ホテルのビュッフェで食い逃げをし,詐欺罪で逮捕」なんていうニュースもありました. スカーフ事件については,すぐに巻いてみたかったのかなあ…とか,ホテルのビュッフェに関しては,「食べ放題」って意味を拡大解釈してしまったのかなあ…とか,同業者としてはそのお粗末な行動の背景に何があったのかリサーチしてみたくなるところなのですが,それにしても,こういった不祥事が起こる度に思うことがあります. それは,


職業名とか社会的地位とかは,単に「ラベル」にしか過ぎないのだなあ…


ということです.


「大学教員」というラベル,そして「○○試験出題委員」というラベル,このラベルに加えて,フォーマルなスーツにネクタイ,そして,ロマンスグレイの髪に知的なメガネ,こうしたアイテムを取り揃えることで,なんとなくそれっぽく見えるし,見せる効果があるように思います.


こういうラベルって,実は「そう見えているだけ」で,実は「相手に錯覚を起こしているだけ」のようなところがあるように思います. 言い換えれば,こうしたラベルは,実は「人工的なもの」で,実は何かあれば「簡単に崩れてしまう」危険を備えているということ. そのことに気がつかず,分かりやすく加工されたラベルだけで人を判断したり,行動を決定したりしている人って意外に多いのではないでしょうか.

私がそういうことを感じるようになったのは,私自身がいわゆる「大学教員」ぽく見えないことに起因しています. つまり,多くの人が恣意的に思い込んでいる大学教員のイメージとは,自分の外見が異なるということです. 初対面の人との会話において,非常に高い頻度で次のような会話が起こります.

相手:「ご職業は何ですか」

私:「はあ,大学に勤めています」

相手:「え?もしかして先生ですか?」

私:「はい,まあそうです」

相手:「ええーーーっ!! 見えないですねーー!!」

私:「うっせーよっ」(心の叫び)


という談話構造で形成される会話をこれまで何度となく経験してきまして,もうこのごろではウンザリしているのですが,こういう談話に直面する度に思います. 人間の判断って実は恣意的に作られた直感とかイメージに基づいて行われているのではないかと. 分かりやすいラベルに支配されているのではないかと. ジェルネイルしてピアスしてても,リサーチの能力を備えた人はいます. 


人を形成する「ラベル」について,生物学者の福岡伸一さんが『動的平衡』の中で次のようなことを書かれていました. 印象的だったので引用します.


人はなぜ学ぶことが必要なのか?

私たちが今,この目で見ている世界は,ありのままの自然ではなく,加工され,デフォルメされたものである. ヒトの目が切り取った『部分』は人工的なものであり,ヒトの思考が見出した『関係』の多くは,妄想でしかないとも. 直感が導きやすい誤謬を見直すために,あるいは直感が把握しづらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ,人は学ぶ必要がある.それが私たちを自由にするのだ.

(引用おわり)


この事実に気がついたら,明日は今日見えていたものが違うものに見えてくるかもしれませんね.


|

« 国際比較調査 | トップページ | 東京 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 国際比較調査 | トップページ | 東京 »