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Mixed Methods


週末,混合研究法学会のアジア大会に出席してきました.


「こんごーけんきゅーほー(混合研究法)」と日本語で聞くと,「は?」という反応が返ってきそうなのですが,要するに"Mixed Methods"(質的分析と量的分析を統合したアプローチのこと)です.


日本語で「混合研究」というと,なんか違和感が拭えないのですが,たぶん「混合」というのがしっくりきていないからなのかなと思います. 個人的には「統合 (integration)」とか「融合 (combination)」とかの方がいいような気がしますが.


混合研究法学会は,これが初めての参加だったのですが,こんなに学ぶことが多く有益だった学会は,ここ数年で,いや,正直に言うと,これまで参加した学会の中で初めてだったかもしれません.


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青山学院大学の抱井(Kakai)先生は,ハワイ大学のがん研究センターで研究員をされたご経験がある方で,博士論文は,ハワイ在住の日系人の癌患者の方を対象に,質的・量的アプローチを統合した手法で研究を実施されたそうです. 今回の学会では,「混合研究法としてのGroundedなテキストマイニングアプローチ」というタイトルでワークショップを開催してくださいました. 


私は,質的研究については主にMAを取ったモナシュ大学で,量的研究についてはPhDを取ったハワイ大学で勉強したのですが,別々の場所でそれぞれ別々の先生から学んだせいもあるのか,質的アプローチと量的アプローチがこれまで一つの線で有機的につながっていませんでした. つまり,世界を捉える哲学的な観点から,この二つの研究手法を考えたことがなかったということです. ですが,今回の抱井先生のワークショップに参加したことで,これまで別々に理解していた二つのアプローチが一気に一本の線でつながりました. 二つのアプローチが別々のパラダイムだった1960年代から,実証主義,ポスト実証主義,構成主義へのパラダイム・シフトとともに,混合研究という考え方が構築されていった経緯を,丁寧にご説明いただきました. 多いに,本当に多いに感銘を受けました.


個人発表も,さすが研究法を大事にしている学会だけあって,みなさん,「メソッド」の部分にいちばん時間をかけておられました. 「私はこんな質的データと量的データを統合し,こんなメソッドを使って分析をしました.このメソッドで得られるexpected resultsはこうなります」というように,非常に論理明快にメソッドの重要性をお話してくださいました. 


同じ現象であっても,どのようなメソッドを用いるかで,得られる結果は変わってきます. 研究というのは,これまで見えなかったものが見えるようなったり,理解できなかったものが理解できるようになることを目指すものなので,こうやって,一人一人が独自のメソッドを発信し,それを共有することでよりよいメソッドが開発,構築されていくという学会の考え方,信念には多いに賛同します.


よく参加している自分のフィールドの学会とは雰囲気が全く違っていて,disciplineが変わると学会の雰囲気もこんなにちがうんだなあ...という新鮮な発見がありました. 


会場の立命館大学いばらきキャンパスは,今年の4月からスタートした新しいキャンパスのようです.キャンパスの施設は,地元の人も利用しやすいようにしているようです. 日曜日の芝生の公園では,子ども達がサッカーをしていたり,スターバックスでは家族がお茶を飲んだりしていて,こんな風景が大学にあるのもいいものだなあと新しい大学の形を見たような気がしました. 


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非常に実り多い二日間でした. 本当に勉強になる学会なので,毎年参加したいと思います.


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レム睡眠

国際混合研究法学会に出席するため,大阪に来ました.


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新大阪駅を降りたところにある「レム新大阪」というホテルに宿泊していますが,最上階のお部屋からの夜景がきれいです.


「レム」と聞いてすぐになんだか睡眠みたいな名前だなあ...と思ってしまったのは,「ノンレム睡眠」という用語のせいでしょうか.

しかし,レム新大阪のブローシャーを読んでいたら「上質な眠りにいざなうホテル」というキャッチコピーが. やはりそうだったのか.


今日は良く眠れそうです.

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男子バレー

渋谷駅構内に大型のポスターが貼られていたので,思わず撮影してしまいました.


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バレーボールは経験がありルールが分かることもあって(学内球技大会に出ただけだが),好きなスポーツの一つですが,


今年の男子バレーは,いつになく引き付けられました.


男前であることに加えて,打点328cmの美しいバックアタック.


石川佑希選手は,ほんとに美しかったです.うひ.


いやー,この書き方おばちゃんですねぇー...


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東京

科研共同研究の打ち合わせで東京に来ました.


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本年度が最終年度のプロジェクト. 成果報告として,一ヶ月後に国際シンポジウムを開催することになっています.

正直なところ,まだデータ分析を行っている途中で,一ヶ月後に国際シンポジウムを開催できるほどの仕上がりではないのですが,プロジェクトの運営は代表者の先生が担っていますので,分担者はその先生が決めたスケジュールで動かなくてはいけません. ソフトがきちんと整っていないとハードの存在はほとんど意味をなさないわけですが,とりあえず目立つ部分だけ取り繕っておけば,「なんとなくそれっぽく見える」ということでしょうか. あるいは,華やかなハードを先に用意しておけば,必然的に有能なソフトができあがることを期待して意図的にこういうスケジュールを組んでいるということでしょうか. どちらの場合であったとしても,あまり尊敬はできませんが,いろいろな考え方がありますので,とにかく今は自分に与えられた業務を真摯にコツコツと進めていくだけです. 「共同研究」というのは本当にむずかしい. 今回のプロジェクトで学んだことの一つです.


今回の打ち合わせのために,約2週間かけてデータ分析の結果をスライドにしてまとめましたが,自分がこれから伝えようとしていることを文字化したり図式化したりすることって本当にむずかしい. これも,今回のプロジェクトで学んだことの一つです. 作家の松浦弥太郎さんが,「文章を書くということは,自分がこれから言おうとしていることを深く考えることだ.だから『文章を書く』ということはむずかしいのだ」ということをご自身のエッセイの中で書かれていたのですが,発表スライドをまとめながら本当にそのとおりだなあと深く実感しました. 文字化しなければ,自分の頭の中や心の中にとどまっているだけで,それがきれいに構成されて一つのストーリーができあがることもないだろうし,他の人々にメッセージとして届けることもできません. 


「文字を書くこと=深く考えること」


このことをこれからも大事にしていきたいと思います. そういう意味で,今回の共同研究は不満がたまることもあるけれど,自分にとって貴重な経験になるはずです.


土曜日は一日中会議で,終わったのは19時前でした.  東京に一泊し,翌日福岡に戻る前に,以前住んでいた街に行き,よく通っていたカフェに行ってみました. 小田急系のスーパーの二階にある小さなカフェなのですが,窓側のカウンター席と流れているBGMが好きで,ここに住んでいた2009年〜2012年の3年間,よく足を運んだカフェです. 今日は本当に久しぶりに行ってみましたが,窓側のカウンター席もBGMも変わっていなくて,この席でハワイ大に提出する博士論文を必死で書いていた当時のことがぶわっとフラッシュバックしてきました. あれから自分はどのくらい成長しているのでしょうか. 今は,博士論文も提出し,学位も取得し,大学も国立大に変わり,肩書きも准教授になり,外から見れば成長はしているのでしょうけれど. でも,相変わらず自信がないままやっています. 自分に自信が持てるタイミングっていつどんなふうに訪れるものなのでしょうか.


カフェの後,一駅となりにある写真店に行き,写真を撮ってもらってきました. 4年前の秋,今の大学のポジションに応募する時に履歴書につける写真を撮ってくださったお店です. この写真店にいるフォトグラファーの清水さんは,本当にきれいな写真を撮ってくれます. お話も上手で,一緒に話していると,撮影して写真の仕上がりを待つというだけの短い時間が,とても有意義な時間になるのです. 写真というものも,それを作り上げる人のお人柄とか生き様みたいなものが全て反映されるのかもしれません. 「文章を書く」という行為に「頭の中の深い思考」が反映されるのと同じように.


久しぶりの東京出張は充実した時間になりました.

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人を形作るラベルについて

昨夜,法曹の制度の根幹を揺るがすような不祥事を大学教員が起こしたというニュースを耳にしました.


今回の不祥事は,単に不祥事というだけでは済まされない深刻性がありますが,振り返れば類似の不祥事のニュースが後を絶たない気がします. 特に,同業者のニュースには敏感になり,記憶にも残りやすいのですが,確か,数年前には,「○○大学に所属する先生が,百貨店でスカーフを盗んで窃盗容疑で逮捕」というニュースがありました. 最近では,「△△大学に所属する先生が,ホテルのビュッフェで食い逃げをし,詐欺罪で逮捕」なんていうニュースもありました. スカーフ事件については,すぐに巻いてみたかったのかなあ…とか,ホテルのビュッフェに関しては,「食べ放題」って意味を拡大解釈してしまったのかなあ…とか,同業者としてはそのお粗末な行動の背景に何があったのかリサーチしてみたくなるところなのですが,それにしても,こういった不祥事が起こる度に思うことがあります. それは,


職業名とか社会的地位とかは,単に「ラベル」にしか過ぎないのだなあ…


ということです.


「大学教員」というラベル,そして「○○試験出題委員」というラベル,このラベルに加えて,フォーマルなスーツにネクタイ,そして,ロマンスグレイの髪に知的なメガネ,こうしたアイテムを取り揃えることで,なんとなくそれっぽく見えるし,見せる効果があるように思います.


こういうラベルって,実は「そう見えているだけ」で,実は「相手に錯覚を起こしているだけ」のようなところがあるように思います. 言い換えれば,こうしたラベルは,実は「人工的なもの」で,実は何かあれば「簡単に崩れてしまう」危険を備えているということ. そのことに気がつかず,分かりやすく加工されたラベルだけで人を判断したり,行動を決定したりしている人って意外に多いのではないでしょうか.

私がそういうことを感じるようになったのは,私自身がいわゆる「大学教員」ぽく見えないことに起因しています. つまり,多くの人が恣意的に思い込んでいる大学教員のイメージとは,自分の外見が異なるということです. 初対面の人との会話において,非常に高い頻度で次のような会話が起こります.

相手:「ご職業は何ですか」

私:「はあ,大学に勤めています」

相手:「え?もしかして先生ですか?」

私:「はい,まあそうです」

相手:「ええーーーっ!! 見えないですねーー!!」

私:「うっせーよっ」(心の叫び)


という談話構造で形成される会話をこれまで何度となく経験してきまして,もうこのごろではウンザリしているのですが,こういう談話に直面する度に思います. 人間の判断って実は恣意的に作られた直感とかイメージに基づいて行われているのではないかと. 分かりやすいラベルに支配されているのではないかと. ジェルネイルしてピアスしてても,リサーチの能力を備えた人はいます. 


人を形成する「ラベル」について,生物学者の福岡伸一さんが『動的平衡』の中で次のようなことを書かれていました. 印象的だったので引用します.


人はなぜ学ぶことが必要なのか?

私たちが今,この目で見ている世界は,ありのままの自然ではなく,加工され,デフォルメされたものである. ヒトの目が切り取った『部分』は人工的なものであり,ヒトの思考が見出した『関係』の多くは,妄想でしかないとも. 直感が導きやすい誤謬を見直すために,あるいは直感が把握しづらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ,人は学ぶ必要がある.それが私たちを自由にするのだ.

(引用おわり)


この事実に気がついたら,明日は今日見えていたものが違うものに見えてくるかもしれませんね.


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国際比較調査

科研基盤研究Bの大型プロジェクトで,「英語教育(特にライティング)の実態調査国際比較」というプロジェクトに関わっています.


2012年から始まった4年がかりのプロジェクトで,本年度が最終年度.


私は,研究代表者ではなく「分担者」として関わっているのですが,2012年のプロジェクト開始時期から,アンケートの作成とデータ分析とその報告を担当しているので,実質,調査の核となる部分は一人でやらせてもらっている(やらされてる)感じです.


現在は,秋に開催される国際シンポジウムに向けて,本調査のデータ分析結果のまとめとスライド作りに取りかかっているところです.


今日は一日,SPSSのアウトプットを見ながら,この結果をどんなふうに報告するか思考に思考を重ねていました. 重要な結果が出ていることが分かったのですが,これをどんなふうに伝えるか,つまり,どんなストーリーを作るかで,聞き手や読み手への「伝わり方」は大きく変わると思います. それは,例えば,報告の順序であったり,二つのデータの比較の仕方であったり,グラフなどビジュアルの見せ方であったり,いろいろなのですが,こうした「レトリック」というのはやっぱり大事なんだと思います. "what"は,"how"があってこそ生かされる,ということでしょうか. 良い研究者というのは,「ストーリーを描ける人」なのかもしれません(これはデータを改ざんするという意味ではありません).


そして,分析結果はただ数字を並べれば良いというものではなく,それを補強するような質的データがあれば一層意味のあるものになるように思います. 特に,私が携わっているような「教育」分野は,人間が研究対象ですので,ある行為の背景には必ず,その人たちの過去の経験,そして国の教育政策などが影響を与えています. その裏にある部分を見ずして数字だけ報告してもおもしろくないし,研究としてあまり意味がないのではないかなと思うのですよね. 


そんなわけで,最近「日本混合研究法学会」という学会に入会しました. 「混合研究」ってそのまんまやんって感じなのですが,量的も質的もどちらも大事にするアプローチは大いに賛同しますので,この学会の活動は今からとても楽しみです.

今週は,この科研のプロジェクトの最終報告を兼ねた打ち合せで東京出張. その後は,上に書いた日本混合研究法学会に参加するため大阪出張,と出張が続きます. 10月は仙台,11月はオーストラリア,アデレード(AILA)と今年後半は結構忙しくなりそうです.

生きていると,てめーこんにゃろーと腹立たしく思う出来事もあるわけですが,このように出張の機会をいただき勉強ができる環境にあることに感謝しなければいけませんね. 文章を書くことで改めて思考が整理され,今の状況に感謝することができました. ブログも大事ですね. 更新していかなくては.

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世界に一つしかない作品


絵を送っていただきました.


前任校で教えていた学生さんで,今は,仕事をしながら画家を目指している人が描いてくれたものです.


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昨年の春に,自分にとっては大役というか,比較的大きな仕事が舞込んできて,それが大きく飛躍しますようにという気持ちから,仕事の場所に絵を飾りたいと思いました.


そして,その時咄嗟に浮かんだのが,彼の絵でした. 


6年前,彼の作品を初めて見たのは学園祭の時だったと思います. 一筆一筆に気持ちがこもっていて,伝えようとしている想いがその絵から溢れ出してくるような,そんな感覚にとらわれて,その作品の前で立ち止まってしまったことを今でも鮮明に覚えています.


それ以来,彼の絵のファンになり,彼が絵を出品するという展示会にも足を運んだことがあります.


忘れられない出来事があります. あれは,暑い夏に早稲田大学で開催された展示会だったでしょうか. もう一人,一緒に展示会を見に行った学生さんがいて,三人で早稲田のキャンパス内にあるカフェに入ったのですが,その時に,どういう文脈だったかその会話は記憶に定かではないのですが,彼が「オレ,お父さんいないんだよね」とポツリと口にしたことです.


それ以上,詳しい話は聞かなかったけれど,彼が若くして,こんなに想いのこもった絵を描くようになった背景には,お父様の影響があったのかもしれないな,とそんなことをふと思ったのでした.


彼が描いてくれた「世界に一つしかない絵」を研究室に飾りました.


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飛び跳ねるイルカ,鮮やかな黄金色のガーベラ,上品な紫色のライラック,そして吸い込まれそうなくらい美しい青い海.    

「美しい絵」というのは月並みで無難な褒め言葉のように思いますが,「美しい絵」というのはまさにこういう絵のことをいうのかもしれません.

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