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放生会


筥崎宮で開催されている「放生会(ほうじょうや)」に行ってきました.


殺生を戒め,生命を慈しむお祭りということで,感謝祭や収穫祭の意味があるようです.


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筥崎宮の長い長い参道に軒を連ねる屋台の数々.


新ショウガや型抜き,氷点下体験,博多チャンポン(ガラスのビードロ)など,初めて目にする珍しい屋台もあり,子どもの頃のあのお祭りのときのワクワク感に近いものを感じました.


「殺生を戒め,生命を慈しむお祭り」といいつつ,「ウナギ釣り」が催されており,しかも店内に「釣れたウナギは蒲焼きにします」などと書いてあるのはどうなのかと思いましたが,利益追求優先のために,文化の本来の意味が失われていく,というのは世の常なのかもしれません.


ちなみに,ウナギ釣りの横では「カニ釣り」が開催されておりました. というかどうやって釣るねん.


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博多の放生会といえば,この「おはじき」も名物なのだそうです.


どういう意味があるのか詳しいことは分かりませんが(分からんのかい),手作り感あふれる小さいけど重みのあるおはじきは,放生会の初日には売り切れてしまうのだそうです.


もう一つ,放生会の名物といえば,「博多チャンポン」と呼ばれるこのガラスのビードロです.


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「博多チャンポン」というとラーメンしか知らなかったのですが,このガラスのビードロも「チャンポン」と呼ばれているようです. チャンポンというワードの中には何か特別な意味があるのかもしれませんが,詳しいことはよく分かりません(分からんのかい).


いずれにしても,この「チャンポン」と呼ばれるガラスのビードロがとにかく吸い込まれそうなくらい美しくて,その何とも描写しがたい形に癒し感があって,二つセットで購入しました. ブルーとピンクのガラスで,見ているだけで心が安らぎます.


こんなささやかな出来事が,とても大事なものに思えて,静かに流れていくささやかな時間が,とても幸せな時間に思えました.


こういう気持ちになったのは,本当に久しぶりのような気がします.


今年の夏の一番の思い出になりそうです.

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知識は分けると増える


科研共同研究の打ち合わせで,東京に来ました.


いつものとおり,東大駒場キャンパスのI先生に会議室を手配していただきました.

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今日は,共同研究のメンバーである7名の先生方が来られていたのですが,普段は別々の大学で働いている先生が同じ場所に集まって意見交換する,というのはとても重要な意味を持っているのだなあと改めて思ったりしました.

7名の先生方は,広義には「L2ライティング」という分野の研究者であるのですが,狭義には,かなり異なる領域の研究をしています. ですので,この7人の先生方が集結するということは,それぞれの「知」を共有できる機会となります. そして,その過程でまた新たな「知」が創造される...今日の先生方とのディスカッションで,改めて,そういうことを感じました. 

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5月にMITの宮川先生のレクチャーを聴く機会があったのですが,先生のお話の中で印象に残った言葉があります.


お金は分けると減るが,知識は分けると増える


今日の共同研究の打ち合わせの場で,「知識は分けると増える」ということを確認できた気がしました. 他者とのディスカッションってだから大事なのでしょう.

私はあまりおしゃべりが得意じゃなくて,頭の中にある思考を瞬時に言語化することがあまり得意ではないのですが,だからといって黙っているのはよくないと思うので,気づいたことがあれば積極的に話すように努力はしています. ですが,言語が日本語であれ英語であれ,やっぱり話し言葉による言語化って難しいですね. これが書き言葉だと,思考→言語化1→修正→言語化2→修正→言語化3...というふうに,何度も何度も修正をする時間が取れますので,読み手に伝わるような言語化が可能になるわけですが,話し言葉の場合は,思考→言語化を瞬時に行わなくてはいけませんから,cognitive loadも大きくなり,大変です. ペラペラペラペラとよどみなくお話されている先生を見ると,この人の頭の中では思考とその言語化がどのように処理されているのだろうか?と真剣に考えてしまいます. それと,こういう人と例えば夫婦喧嘩とかになったら,相手は大変なんじゃないかなあ...なんて余計なお世話ですが心配になったりします.

いずれにしても,大学で研究者という立場で仕事をしている以上,「知の創造」に貢献することが期待されているわけですから,おしゃべりが得意じゃないから私はしゃべりません!という姿勢でいてはいけないのです. だから,書き言葉だけに頼らず,話し言葉でもちゃんとディスカッションができるように努力を重ねてまいりたいと思います. 今日は改めてそんなことを思いました.

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今日は渋谷に滞在して,また明日の夜,福岡に戻ります.
 

時々こうして東京に出てくるのは,自分にとっては大事な時間になっています. 福岡はよいところですが,時々息がつまりそうになります. たぶん,しんどさの原因の1つになっているのは,小都市ならではの「どこに行っても誰かに見られているような圧迫感」かもしれません. 東京では,周囲の人ごみにうまくブレンドされるような,何かそんな安心感があります. だから東京では一人でいてもこわくない. 

自分はいつまで福岡にいるのかな...と渋谷の夜景を見ながら考えました. 

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学びほぐし

広島の後,仙台に移動しました.


東北大学で開催された研究会に参加してきました.


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実は,初めての仙台です.


9月初旬の仙台は,もう秋の気配でした.

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東北大学の高度教養教育・学生支援機構という部署は,「学びの転換」が求められている今の大学教養教育のロールモデルとなるような様々な取組みを行っています.


素晴らしいのは,その取組みの結果を外部にも積極的に発信している点で,新しい知見の共有のために様々なセミナーを開催してくださっています. 申込方法もユーザーフレンドリーで,HPやパンフレットのデザイン,レイアウトも美しく分かりやすく,実に素晴らしい. 


今回は,「アカデミックライティングを指導する」というテーマで開催されたセミナーに参加してきました. 井下先生の講演もあるというので,これを逃すわけにはいきません.

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結果的に,セミナーは,期待していた以上の内容で,はるばる仙台まで来て大正解でした. 特に,井下先生の "Unlearn" の重要性についてのお話が心に残りました.


"unlearn"は,「学んだことを忘れる」という意味の他に,「学び直す」という意味があります. これは例えば,型通りのセーターをまず編み,次にもう一度,元の毛糸に戻してから自分の体型の必要に合わせて編み直すということで,これを学習に例えるならば,自分の積み重ねたきた学びの束をほぐして,あるものは捨て,あるものは練り直して,新たな学びを創造する...ということを意味するのだそうです.


哲学者の鶴見俊輔氏は,この"unlearn"を「学びほぐす」と訳しているのだそうです. この訳は,実にすばらしい. シンプルで短い表現の中に,何かを学ぶことや何かを身につけるために必要な様々なことが凝縮して詰め込まれている気がして,感銘を受けました.


例えば,ライティングの指導の場合,全くの初心者には,ターゲットとなるジャンルのモデルを学生に見せて,構造やスタイルを分析させることで,まずどのような「要素」が求められているのかを理解させることが必要だと言われています(もちろん,賛否両論あり,モデルを見せることに対する否定的な見解もあります). 


しかし,学習者は,このモデルの通りに書く練習をした後,徐々に,自分が置かれた状況に合うように「自分の言葉で」文章を書けるようにならなくてはいけません. コミュニケーションとは伝える内容があるわけですが,その内容の「伝え方」は,相手が誰であるかとか,何のためにその情報を伝える必要があるのかとか,自分がどのような場所にいたり,どのような状況に存在しているのかなどの様々な社会的要因によって変える必要があるからです.


つまり,学んだモデルをいったん捨て,自分の状況に合うように組み立て直すことができること. このプロセスが何かを習得するためには非常に重要になるということです.


そういえば,小学校から大学まで本当にたくさんのことを学んできたと思いますが,多くのことがあまり身に付かないまま終わってしまったような気がします(もちろん,無意識に役立っている知識というのもたくさんあるとは思いますが). たぶん,身に付かなかったと感じるのは,自分が"unlearn"(学びほぐすこと)をしなかったからなのかもしれません.


学校で学んだことを「自分のもの」にするためには,いったんそれらを"unlearn"することが大事なのでしょう.


料理なんかも同じことが言えるような気がしました. 私は豆腐好きなもので,このところ美味しい麻婆豆腐をいかにして作り上げるかに考えをめぐらせているのですが,クックパッドのレシピを見て,そのとおりの調味料の配分で麻婆豆腐を完成させ満足していた初期の段階から,徐々に,食べる人のニーズや食べる時間帯などの社会的状況に応じて,オリジナルの麻婆豆腐を作り上げる段階に成長していきました. この過程において,私はクックパッドのレシピで"learn"したものをいったん"unlearn"し,様々な試行錯誤により,美味しい麻婆豆腐の作り方を"relearn"した,というように説明ができると思います. 鶴見俊輔氏的に言うならば,麻婆豆腐学習過程において「学びほぐし」が起きたということです.


井下先生のアカデミックライティング指導法についての講演がいかに素晴らしかったかを書こうとしたのですが,結論が麻婆豆腐になっていました. 


東北大学高度教養教育・学生支援機構のセミナーは,知見に富む大変素晴らしいものでした. また仙台に行きたいと思います.

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JACET@広島

JACET国際大会のシンポジウム(@ 広島市立大学)で,新英語カリキュラムについて,その開発プロセス,理論的枠組み,自律学習促進のためのしかけ等について発表してきました.


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外向けに発信するために時間をかけて準備をしたことで,改めて思考が整理され,今後の課題について気づきを得ることもできました. 

他大学の先生方とのディスカッションも大変有意義でした. 今後も積極的に取り組みについて発信し,カリキュラム開発・運営の改善につなげていきたいと思います.

今回は,上司の先生お二人との共同発表で,準備過程では二人と連絡が取れなくなって不安になったりしましたけども,お二人はやはり長く生きているだけあって(またオジさん扱い),本番ではさすがのパフォーマンスでした. 私の書いた原稿を読んでいたみたいですけど,そんなことは微塵も感じさせないほどの見事さ. 勉強になりました. ちょっと悔しいけど. 

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発表の後は,共同発表者の先生に,広島風お好み焼きで有名な「みっちゃん」というお店に連れて行っていただきました. みっちゃーーん. 

私にとっては,初めて本場の広島風お好み焼き(広島焼)です. 関西人ですので,お好み焼きといえば関西風以外に存在しないと考えてまいりましたが,このたびの「みっちゃん」での広島風お好み焼きの体験により,関西vs.広島の対立は無意味なものであり,両者は優劣を論じるものではないということを学びました. 

広島風には広島風の美味しさがありました(そば入りおいしい). そもそも異なるものを比較しても意味はないということですね. 広島焼から大事なことを学ばせていただきました.

シンポジウム発表のプレッシャーから,お昼も食べられずフラフラになっていましたので,ボリュームのある広島焼も一枚ペロリと平らげてしまいました. そばはハーフにしましたが,それでもかなりのボリューム. ちなみに,お向かいに座っておられる先生は,ダブルを頼んでおられました. お腹が気になります.


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広島焼の後は,別の場所でこんな美しいデザートをいただいてきました.


カワイスギテ,タベラレナイ〜


なんて可愛い声を20年前くらいなら出していたのでしょうか.


20年後の私は完食していました. にゃお.


明日は大濠公園5周くらいかな.

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