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8年

学位を取るために助手として勤めていた大学を退職し,ハワイ大学に留学したのが,ちょうど8年前の夏のことでした.

東京のマンションを引き上げて実家の神戸に戻り,その後,関西空港からホノルル空港へ飛び立つまでのあわただしい数週間のこと,関西空港へ向かう橋の上から見えた海がキラキラ光っていたこと,その景色を見ながら考えたこと,ひとつひとつの出来事が,8年過ぎた今でも鮮明な記憶として残っていて,毎年8月がやってくると,あの時の複雑な心情を思い出します. 

本当に自分の選択は正しかったのか,ハワイで学位を取ってその後どんな生活が待っているのか,日本を離れハワイで数年間暮らす選択をしたことで自分はもっと大事なものを失おうとしているんじゃないのか,博士号ってそこまでして追究する価値が本当にあるのか...今思えば,考えても仕方なかったこと,意味のなかったことを,かなり真剣に考えて思い悩んでいたことを思い出します.

この複雑な心情は,結局,その後ハワイでの博士課程の生活が始まってからも,時々ふつふつと気泡が浮き上がって弾けるように湧き出てきて,その感情を押さえることは,博士課程での勉強を一生懸命頑張ることと常に表裏一体であったように思います. 特に,大事なものを失ってしまってからは. もちろんこれは,たとえ日本に残っていたとしても自分の力ではどうすることもできなかったのですが.

このことも含め,もう絶対に乗り越えられないと思った出来事が他にもあったように思いますが,今自分がこうして生きているということは,たぶん乗り越えてきたのでしょう. どうやって乗り越えたのか,それはやっぱり,自分が決めた選択の責任は自分が取らなくてはいけないんだという信念だったのではないかと思います. 簡単に言うと,自分が決めた道を信じること. 正しかったのか間違っていたのかは第三者が客観的に評価することは難しく,その判断は結局自分でするしかない. 正しい選択とは,選択したものが「正しい選択だった」と言えるように「していくもの」だからです.

先日,前期に担当していた授業を履修していたY君から,「交換留学を申請したいのですが,指導教員の欄にサインをしていただけませんか」というメールが届きました. 8年前の今頃,Y君はまだ鼻水をたらした小学生だったはずですが(鼻水は余計でした),同じく8年前,私は関西空港でメソメソしていたハワイ大学博士課程入学前の学生でした. Y君にとってのこの8年間はどんな歴史が刻まれているのでしょうか. この交換留学がY君にとってさらなる飛躍へつながりますように. 指導教員のサインがその第一歩になりますように.


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