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論文とニート

Dscf3989

博士論文研究の一部となる論文が何とか完成した.

昨年の秋学期にデータを取り,今年1月〜3月にかけてデータ分析をし,3月中旬頃から執筆を開始した. 授業期間中は,なかなかまとまった時間が取れないので,やはり予定よりすごく時間がかかってしまった. 前の勤務校で助手をしていたときは,年間2本くらい書けていたのだが,今は担当授業コマ数が増えたので,やはり年間1本出せればよいという感じだろうか. 書き上げて投稿したとしてもリジェクトされると年間0本ということになってしまうので,とにかく書きゃいいというわけにもいかず,アクセプトされるに値するクオリティの高い論文を書き上げなければならず,そうすると,先行研究調査,そしてデータ分析にも十分すぎるくらいに時間をかけなければならない. しかし,ここで問題になるのは,一日に与えられた24時間という枠組みの中で,論文執筆に当てられる時間は極めて限られているということである. 授業期間中は,平日は少なくとも2コマは授業をしなければならないし,空き時間は採点をしたり翌日の授業準備をしたりして,おなかを空かせたひな鳥たちがピヨピヨピヨとオフィスにやってくると,そのひな鳥たちのお世話をして差し上げるのが親鳥の務めとなる. そうこうしているうちに夜になって,夜練(ランニング)のために帰らないといけない時間になる(この頃は練習のために夜20時には大学を出るようにしている). こんな感じで平日はあっという間に時間が過ぎていき,授業期間中に論文が書けるのは週末のみということになり,結果的に,せっかく書き始めた論文もほとんど進まないということになる. 

というわけで,ひな鳥たちがキャンパスからいなくなったこの「夏季休暇期間」はわたしにとって勝負の時間であった. 8月は,ほぼ一ヶ月オフィスに引きこもっていた. もしかすると,わたしは「ニート」と呼ばれる若者と同じ生活を送っているのではないだろうか?とふと疑問に感じてしまうくらいの引きこもり状態だった. でも,自分の場合は論文を書いているという点で「生産的な」ニートのカテゴリーに入れていただけると思うので,引きこもり生活も前向きに取らえることにしよう. というか,「ニート」と言っても,その中身はいろいろであるはずだ. 他者の人生は外からは見えない部分が多く,本人にしか分からない事情もたくさんある. 一つの単語ですべてを一括りにするのは簡単で分かりやすいが,人の人生というものはそう単純なものではない. 三流作家が作った用語に惑わされないことだ.  

こんなふうに「ニート生活」を肯定的に取らえている自分だけれども,本当は,夏休みなのでどこか旅行でも行きましょう的な過ごし方をしてみたいとも思っている. しかし,旅行に行ってしまうと論文がまたまた進まなくなるので,やはり論文の方を優先せざるを得なくなる. プライオリティは旅行より論文. そして引きこもりのニート. 何それ?誰それ?大丈夫それ?と思わず3ステップで聞き返したくなってしまうその人は,まさに自分であるという事実. 悲しいが今は仕方ない. 同じ立場で研究をしておられる他の人たちはどうしているのかな,どうすればバランスよい生活を送れるのかなとふと気にかかることがあるけれども,たぶん,論文を書くという仕事をされている人々は,みなさん多かれ少なかれご苦労をされているのだと思う. 自分の場合は優秀ではないという弱点が問題なのであって,そのことが「何それ?誰それ?大丈夫それ?」の3ステップ・クエスチョンへとつながっているのだろう.

時間はかかるが,こうしてこつこつと執筆をし投稿して,一流の査読者の方からフィードバックをもらって書き直して...という一連の作業を通して,少しずつ力をつけていきたいと思っている. 学会発表は時間をかけて準備してもたった20分の発表で終わってしまうし,書き言葉の形で成果が残らないので,やはり同じ時間をかけるなら論文の方に時間をかけたい. わたしのような人間が研究者という道を選んでしまった以上,ニート生活からは逃れられないということなのかもしれない. 

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コメント

またして登場です。失礼します。sorry for cluttering your blog 的な discoure がハワイにいればみんなが employ しそうですが。さて、夏休み末から9月上旬にかけての私の日々はさっちーさんはじめ、E 君との再会もあり、大変アカデミックで濃い時間でした。僕より一回りも年齢の差がある彼も大変頭脳明晰で教えられることも多かったです。今は、現実の生活に戻り、ぴーちくぱーちくいっている生徒達を見て、少し人間臭い世界に戻った安心感は束の間で、谷底に落とされるほどの格差を感じ、違った意味でブルーにもなってしまいます。さっちーさんをはじめ、E 君がやっていることには及びませんが、わたしなりに、 a bit academic に頑張っていきたいです。我々も南から応援のエールを送らせていただきます。dissertation 頑張ってください。

投稿: daigonopapa | 2011年9月 7日 (水) 19:41

補足ですが、やはり物事は good or bad などの dichotomy ではなく、continuum の中で捉えるべきなのでしょうか。自分は泥臭い中にいて、satchyさんや E 君はその対局の academia でいられるという感じ方はせずに、theory-driven で常ににいることはできないけれど、practitioner として 従事していられることをまず感謝しなければ...などと朝考えました。しかしこうしたスキームも、いったんドロドロな世界に浸かってしまうと見えなくなる現実があるのですが。いずれにせよ、continuum の中の practice に近い対局に自分は今はいるという風に理解することにしました。participants が必要な時にはいつでもいってくださいね。sorry for cluttering your blog! coldsweats01

投稿: daigonopapa | 2011年9月 8日 (木) 08:01

daigonopapaさま,

先生,ありがとうございます.白か黒かの"dichotomy"で物事を分析することが求められる状況もありますが,それだけでは,限界があると思います.実践のない机上の論理だけではただの空論になってしまいますし,また,直観のみに支えられた実践だけでは発展性の低いものになってしまうような気がします.ですので,先生がおっしゃるように,"continuum"の中で物事を捉える視点を持つことは,とても大事なことだと私も思います.特に,研究により得られた知見を教育に還元することが目的であるべき私達の分野では,尚更そうだと思います.

"theory"と"practice"はreciprocalな関係にあると思います.theoryもpracticeも知っているからこそ,どちらも互いに発展していく可能性があるのだと思います.例えば,最近.L2 writingでは,ESLとEFLはidenticalではないということがよく議論されています.そうした中で,我々EFL contextsのpractitionerが発信していくことは学界でとても重要な意味を持つように思います.その発信が,L2 writing theoryの枠組みの改善へとつながっていくのだと思います.

先生と同じく,私も,continuumの中で"teacher-researcher"の立場でありたいと思っています(どちらかというとteacherよりです).同じく,などと言うと失礼があるかもしれません.私などよりはるかに頭脳明晰で強固な基盤をお持ちの先生は,すでにacademiaの中におられるのではないでしょうか.

投稿: satchy | 2011年9月 8日 (木) 11:56

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