« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

11才

Dscf4012

実家のわたしの部屋には,小学一年生の頃から使っていた木製の勉強机がまだ残っている.

今でも帰省すると,この勉強机を使って,本を読んだりメールを書いたりしている.

机の引き出しの中には,小学校時代に使っていたもの(分度器とか三角定規とか彫刻刀とか)や,いただいたもの(「九九が全部言えた賞」とか「きっちり賞」とか(何が「きっちり」だったのか思い出せない)「囲碁大会8位」の賞状とか(8位かよ+なぜ囲碁?))が残っている. 見始めると,懐かしくなってあれもこれも見たくなって,「タイムトリップ」に膨大な時間を費やしてしまうので,普段はあまり見ないようにしている. でも,今回,何となく小学校時代の思い出に浸りたくなって,引き出しの中を冒険し始めてしまった. すると,小学校のお友達にもらったお誕生日カードが出てきた.

「11才のおたんじょう日おめでとう!」

と書いてある.

11才.

どのくらい前のことになるのだろう. 流れた年月の長さとその年月の中で経験したことの重みが言葉にできないくらい大きくて,そしてそれらすべてを通して自分の中に生まれた変化と成長が思い出せないくらいめまぐるしくて,自分に11才という時代が本当にあったのかどうかさえ,定かでないように思えてくる. 

でも,このお誕生日カードに書かれたメッセージを読んでいるうちに,当時の思い出が一気にフラッシュバックしてきた. このお誕生日カードを書いてくれた友達は,広田礼子ちゃんといって,当時,富士見ヶ丘という街に住んでいたこと,広田礼子ちゃんの富士見ヶ丘のご自宅がとても大きかったこと,交差点の角にあって,そこが待ち合わせの場所によく使われていたこと,地元のヤンキー川口君がうろうろしていたのでじっと見ていると「おまえら何見てんねん」とつっこまれたこと,などなど. ああ懐かしい. 広田礼子ちゃんと富士見ヶ丘での数々の思い出が,自分にも11才という時代が確実にあったのだということを再確認させてくれた.

もう一つのカードの執筆者は,くんごちゃんというお友達で(本名は久語さんという),この方とは,大人になった今でも,交流が続いている. 富士見ヶ丘のこと,広田礼子ちゃんのこと,四つ角にある広田礼子ちゃんの大きなお家のこと,そして「おまえら何見てんねん」のヤンキーの川口君のことなどを大人になった今でも語りあえる,わたしの唯一の幼なじみの友人である.

思いがけなく11才の頃にタイムトリップできた8月最後の週末.

| | コメント (2)

神戸

Dscf4013

8月最後の週末を利用して帰省してきました.

神戸はとても美しい街.

夏の青空がよく似合う街.

ここで生まれ育ったことを,

改めて誇りに思った8月最後の週末.

| | コメント (0)

周防大島から

Dscf3988

山口県・周防大島からお手紙が届く.

同じ大学の図書館職員のYさんから.

ご主人のご実家がこの周防大島にあり,帰省されているとのこと. 手書きのお手紙というものをいただくことがほとんどなくなってしまった昨今. 「人間が手を動かして書いたもの」には,パソコンを打って作成したものにはない何か大事なものがつまっているように感じました. 月並みだが,それは,書いた人の「優しさ」だったり「ぬくもり」だったりする. 

相手に対する気持ちというようなinvisibleなものの価値は数値化しにくく,追跡して機能を測定することも難しい. そして,私達は,社会の中で数値化できず測定できないものを,過小評価する傾向があるような気がする. しかし,数値化できないからこそ,そこには普遍的な価値が存在するのであり,無形のものに対して価値を見出す目を持つことが,お金とか物には換えられない心の豊かさにつながるのではないか,という気がしている. 

ところで,山口県・周防大島からこのお手紙を送ってくださったYさんは,もうすぐ本学をご退職される. 本学に就職した年をたずねると,なんと,わたしが生まれた年であった. つまり,わたしがこの世に誕生して,今日に至るまでの長い長い年月を,本学図書館の司書としてお勤めされてきたことになる. なんだかとてつもなくすごいことのような気がした. なぜなら,わたしは今日この日を迎えるまでに,相当長い年月を生きてきたような気がするからだ. だって,赤ちゃんがこんなおばちゃんになっているのですし,マンママンマと食べ物を求めることしかしなかった赤ちゃんが(特にそういう傾向があったらしい),日本語と英語の両言語を操れるようになっているのですから. それだけの年月,「同じことをずっと続ける」ということを,まだ経験したことがないので,それがどれだけすごいことなのか,実感としてよく分からない. でも,わたしが生まれてから今日までの年月は,とてもとても長い年月だったので,その期間,ずっと同じことを続けてこられたということは,確実にすごいことだということは理解できる. まさに,大きな一歩は小さな一歩を積み重ねることによってしか得られない,ということを,Yさんに教えていただいたような気がする.

これも月並みだが「すごい」という言葉以外に,Yさんが長きに渡って積み上げられてきた実績やご経験を描写する言葉が見つからない. そんな「すごい」Yさんだからこそ,こんなに温かいお手紙を手で書くことができるのだろうし,そんな「すごい」Yさんだからこそ,紙一枚でこんなに大きなものを伝えられるのだろうというふうに思いました.

| | コメント (0)

990

学会の後,山形の十日町にある「990」というフレンチのお店へ.

「990」という名前が気になって,店名の由来をお店の人にたずねたところ,

「はい,それは山形の郵便番号です」とのお返事.

なるほど.

思ったより普通でした.

でも,読み方は「きゅうきゅうぜろ」ではなく.「クックレイ」と読むのだそうだ. へー,クックレイ. その瞬間,なぜか「カレー粉」の映像が頭の中を駆け巡る. なぜカレー粉の映像が...と頭を抱えて唸っていると,絶妙なタイミングで,「本当は『ククレ』にしたかったのですが,カレーを作っている某企業からクレームがくると嫌なので『クックレイ』にしたのです」と店員さん. そうかククレカレー. 疑問が解けました. でも「クックレイ」もあんまり変わらない気がしますけども. 

そんなクックレイさんであるが,お料理は素晴らしく美味しく,また食器から盛り合わせ方まで見た目にも細かい気配りがなされていて,「カレー粉ぽい」なんて言ってしまった自分を反省した.

Dscf4002_2

Dscf4004_2

Dscf4005


Dscf4006

今日は,ハワイ大学で一緒だった友人とも再会でき,素敵な時間を過ごせました.

| | コメント (0)

山形

Dscf3999

Dscf3998_2

山形にやってきました.

東京から新幹線で約3時間で着くはずが,7時間かかりました.

向かう途中,大きな地震があったようで,宇都宮駅で新幹線が運行停止すること約1時間. 郡山駅で約2時間. そして,福島駅から山形方面に向かうはずが,山形新幹線が運転見合わせとのことで,仙台駅に連れて行かれてしまう. なぜ仙台に連れて行かれるのかなと思っていると,仙台から「センザンセン」に乗って山形へ向かってくれというアナウンス. 「センザンセンセンザンセンセンザンセン」と繰り返し言われるのだが,何のことかさっぱりわかりまセン. でも,仕方がないのでとりあえず仙台駅へ向かう. 

仙台駅で「センザンセン」は「仙山線」と表記することが分かりましたが,なんと「仙山線」は(その時間帯は)各駅停車しかないとのこと. カモーン. 

そんなわけで仙台からセンザンセンに乗り,各駅停車にトコトコと揺られながら山形までやってきました. 山形駅に着いたときは,嬉しさがこみあげてきた. 新幹線で3時間で来れていたら味わえなかった感動である.

座って本を読んでいるだけでしたが,ちょっと疲れました.

でも,宿泊先のホテルが最上階のとても素敵なお部屋をアサインしてくれたので,7時間の旅に耐えたごほうびをもらえた気がした.

南側と東側に大きな窓があってお部屋がとても明るい. 

景色もきれい.

これから二日間しっかり勉強してきます.

| | コメント (0)

ゆず

Dscf3985_3

「ゆず」という果実は万能である.

ある時はジャムに,ある時はジュースに,ある時はゼリーになったりする. また,「ゆず」は,その「皮」の存在も忘れてはならない. 細かく切ったゆずの皮は,煮物とかお鍋,おうどんやおそば,冷奴とかおひたしなど,様々な料理で薬味として活躍してくれる. この「皮」がある料理を食べたグループと,この「皮」がない料理を食べたグループの,料理に対する評価(スコア)を比較してANOVA検定にかけたら,おそらく有意な差が出ることが推測される. 恐るべし「皮」効果である. こんなに影響力のある「皮」を持つ果物は,ゆず以外に存在しないのではないだろうか.

これだけではない. 「ゆず」は,その使用領域を最近では化粧品にまで拡大させている. たとえば,わたしが昨年の冬にアフタヌーンティーで購入したボディーミルクは,その商品名が"YUZU"という. そのまんまやん. そう,その名の通り,ゆずの成分が含まれたボディーミルクで,大変良い香りがする上に,保湿効果が高く,チョークによる手あれが悪化し,指紋がなくなりつつあったわたしの指に,最近は指紋が復活してきたのである. 大変喜ばしいことである. これで,アメリカ入国の際の指紋チェックでトラブルに巻き込まれずに済みます. 「なぜ指紋がないのですか?」と聞かれましても. 

しかし,化粧品ごときで驚いていてはいけないのである. 「ゆず」は,冬になると熱い湯の入った風呂に放り込まれさえするのである. ゆずが風呂に放り込まれる可能性が極めて高い日は,毎年12月22日,日本で「冬至」と呼ばれるその日である. 冬至の日に「ゆず湯」に入ると,「一年中,風邪を引かない」という古くからの言い伝えがあるからである. 風邪のウィルスをやっつける薬を発明したらノーベル賞ものだと言われる昨今,冬至の日に風呂に放り込まれるゆずの効果は無視できない存在だと言ってよいだろう. 

前置きが長くなってしまった(長過ぎる). なぜ,「ゆず」の多種多様な用途についてこれだけの紙面を費やしたかというと,先日,「ゆず」がその力を最大限に発揮する利用法について,ワーオウ!とアメリカ人的なオーバーリアクションで驚かざるを得ないすごい発見をしてしまったからである. それは,風呂に放り込まれるゆずの効果をも上回る画期的なものである.

高知アイスの『おいしいんだもの.ゆずシャーベット』である.

シャーベットってこんなにおいしい食べ物だったんですね,という気づき,そして新鮮な驚きを与えてくれたシャーベットで,この感動を伝える語彙がなかなか見つからない. 商品名のとおり,だって「おいしいんだもの」と言うしかない.

ちっちゃくて丸くって全身黄色くって冬になると風呂に放り込まれているくせに,その中に秘めたる力,恐るべしである.

| | コメント (0)

続けること

Dscf3981

新しいジョギング・シューズを買いました.

ニューバランスの新作で,"Night Rainbow"っていうんだそうだ. 

その名の通り,七色のレインボウ・カラーで,アメリカで似たような色の旗をよく見かけますが,わたしはそちらの関係ではありません.

レインボウ・カラーのこのシューズは,暗闇の中でも光り輝いてくれるので,わたしのような車道好きなナイト・ランナーにぴったりのシューズである. そして,何と言っても,七色全部使ってやったぜどうだい?っていうド派手な感じが気分を盛り上げてくれます.

今年の1月から始めたジョギング. 

週5日ペースで走り続け,約半年が過ぎたことになる.

最初は3キロくらいでヘロヘロになっていたが,このごろは7キロくらいは止まらずに走れるようになってきた. タイムもいい感じで縮まってきていて,体調がいいときは,1キロ6分を切るようになってきた. でも箱根駅伝を走る人たちは,1キロ3分弱で走っているので,それに比べると,まだまだである. というか,箱根駅伝の人たちと比べるレベルじゃないだろって話ですが.

それにしても,走ることがこんなに楽しいとは思わなかった. 

このことは自分にとって新たな発見だった.

そして,「続けること」の大切さを再認識できた.

「小さな一歩でも,百回歩き続ければ百歩になる」というとても当たり前のことが,当たり前のことでないように感じたりする. 奇跡が起きて突然何か大きなことができるようになることは絶対にないのだということ. そして,「奇跡」は歩みを続けている人にしか起きないのだということ. 走りながら,いつもそういうことを感じている.

脚に筋肉がついてムキムキしてきたと感じる2011年の夏. 

ムキムキムシムシ.

| | コメント (2)

証明写真

Dscf3986

履歴書に貼る証明写真なんてどうでもいいと思っていた. 

そもそも,履歴書に証明写真が必要な理由が分からない. 英語圏の国々,アメリカやオーストラリアで使われている履歴書("resume"とか"C.V."と呼ばれている)には写真を貼付する必要がない. なぜなら,その人物の能力を評価するのに「外見」は関係がないからである. さらに言うと,英語圏で使われるresumeやC.V.には「生年月日」を書く必要もない. なぜなら,その人物の能力を評価するのに「年齢」は関係がないからである. 従って,日本特有の「『新卒』じゃなくてごめんなさい」的な後ろめたさを英語圏における就活では感じずに済むのである. きわめて合理的な考え方である.

そんなわけで,証明写真なんてどうでもいいと思っていたので,証明写真が必要になったのだが,特に何も考えずに,比較的近所にある「カメラのキタムラ」に足を運ぶ. だいたい,写真屋さんだからといって店名に「カメラの」とかいうフレーズを入れているその適当さが,私が考える証明写真の重要性の低さと相一致すると思ったのである. せめて正しい発音で「キャメラの」と言ってほしかったところである. キャメラのキタムラYeah!! しかも,社長さんの苗字が北村さんだからといって店名に「キタムラ」という名前を放り込んでいるその工夫のなさも(「キタムラ」というカタカナ表記にした点だけは評価できるが),私が考える証明写真?だからどうした?的な意識の低さと相一致すると思ったのである. そして,さあキタムラさん,キャメラで撮ってくれたまえ的な感じでキャメラのキタムラに乗り込んだのである.

しかし,キャメラのキタムラさんの店内に足を踏み入れ,中の光景が目に入ってきたときに,キタムラオイコラーーっと喝を入れたくなってしまったのである. 理由は,店内があまりに"messy"だったからである. もう今日から「メッシー・キタムラ」と店名を変えなくてはならないと思った程であるが,カタカナ表記してみると「キャメラのキタムラ」より「メッシー・キタムラ」の方がなんか洗練された感じがするではないか. メッシー・キタムラYeah!! もう「メッシー・キタムラ」で決まりである.

と勝手なことを言っているのだけれども,あまりのmessyさに驚いてしまい,すぐに店を出て来てしまった. こんな散らかり放題の「メッシー・キタムラ」さんで撮影していただいても,きれいに撮っていただけるとは思えなかったからである. そして気がつく. 証明写真なんてどうでもいいと思っていたくせに,実は「きれいに撮ってほしい」という気持ちも潜在意識の中にあったということに. 

今,思えば,この「カメラのキタムラ」が「メッシー・キタムラ」という店名に変わる一連のプロセスは(勝手に変えているのだが),その一つ一つが決して無駄ではなかったのである. なぜなら,この一連のプロセスの後に,素晴らしい出会いが待っていたからである. ちなみに,この出会いは,「証明写真,きれい,小田急沿線」という検索ワードによりもたらされたものである. 

"Studio Titto"というスタジオ. そして,そこで写真を撮ってくださったフォトグラファーのShimizuさんである. 

これまでの人生の様々なターニングポイントで証明写真なるものを撮ってきて,満足のいく仕上がりになったことは一度もなかったように思う. 原因は「素材が悪いから」という一言に尽きるわけで,素材の悪さを再認識する場を否応なく与えてくれる証明写真なるものが好きではなかった. しかし,Studio TittoのShimizuさんが撮ってくださった写真を見て,驚いてしまった. 

自分がきれいに写っている.
 
こんな証明写真は生まれて初めてで,何だか信じられない気持ちがした. そして,改めて感じたことは,写真の大切さである. これは,フォトグラファーのShimizuさんが教えてくれたことである. Shimizuさんが何気なく言った一言がとても心に残った.

「証明写真は,見てくれる人に対する『敬意』とか『優しさ』なんですよ」

何だかはっとさせられる一言だった. 証明写真なんてどうでもいいと思って自動撮影機で撮ったスピード写真には,見てくれる人に対する敬意とか思いやりは含まれていないような気がした. 履歴書に使う用紙は上質のものを使うとか,カバーレターは必ず付けるとか,そういうことには気をつけてきたつもりだったが,証明写真も同じなのだということに改めて気がつかされた. 

相手への敬意と優しさ. 

いつでもどこでも大事にしていきたい.

| | コメント (0)

あたりまえ体操

右足を出して左足出すと…

歩ける♩

COWCOWの「あたりまえ体操」.

画期的な体操である. 

この「あたりまえ」すぎる動きで暑い夏も乗り越えられそうな気がします.

みなさんも一緒に.

| | コメント (0)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »