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末吉@浅草

Dscf3946

浅草寺に行っておみくじを引いたら「末吉」だった.

「大吉」をねらってまるでバーテンダーのごとくおみくじの箱をガッサガッサガッサと振ったにも関わらず,出てきたのが「末吉」というのが自分としては納得がいかなかった. だいたいこの「末(すえ)」ってのが気に入らない. なぜって分かりにくいからだ. 「すえ」って何なのでしょうか「すえ」って. 「大吉」でもなく「凶」でもない. 性格的に,縁起が良いのなら「大吉」,悪いのなら「凶」,このどちらかにしてほしいと思うのである. 吉は吉でも末の吉なのであればもう凶でいいじゃんと思うのである. 浅草寺の吉凶判断は次の7段階に分かれるらしい. 大吉・小吉・末小吉・半吉・末吉・吉・凶. 「末吉」の他に「末小吉」なんてものもあるのですね.  ますます分かりにくい. でも「末吉」の下にまだ「吉」があったのですね. すぐ下が「凶」じゃなくてよかった. というかどっちやねんっていう感じだけれども.

ところで早速その「末吉」のおみくじを開いてみると,「乗危亦末蘇」という項目の下に(漢字が読めないけど),「危篤の者がまだ完全に蘇生しないように,その困難は簡単には解決しません」と書いてある. ひゃー. 何だかすごく胸にグサリとつきささる厳しい言葉です. しかし,その下の「若見一陽後」という項目の下には(漢字が読めません),「春になれば(観音菩薩の慈悲の光にあえば)良いこともあるでしょう」と書いてある. ふーん,なんかこれはいい感じ. でも,さっきと言ってることがなんか違う感じ. 何だか矛盾が見られるけれども,結局,「乗危亦末蘇」と「若見一陽後」を統合して(漢字が読めない)再度解釈して直してみると,危篤の者がまだ完全に蘇生しないように,その困難は簡単には解決しないだろうけれども,春になれば(観音菩薩の慈悲の光にあえば)良いこともあるでしょう,ということになるのだろう. 要するに,「いろいろ大変だけど春になれば良いことがありますよ」ということだろう. しかしながらそこには条件があり,春は春でも「観音菩薩の慈悲の光」に巡り会う春でなければ何も意味をなさない,ということである. というかどんな春やねんそれ. 「観音菩薩の慈悲の光にあえる春のバスツアー」とかあればいいんですけどね. ない.

「乗危亦末蘇」と「若見一陽後」の項目(漢字が読めません)の右横には,「願望」とか「病気」とか「失物」とか「待ち人」とか「結婚」などの項目が並んでいる. 先ほどの「乗危亦末蘇」と「若見一陽後」(読めないって)の項目に比べるとこちらの項目はいたってシンプルです. 書いてある内容もいたってシンプル. たとえば,

失 物 → 出てこないでしょう

とある. めっちゃシンプル. そしてすごく率直. しかし「出てこないでしょう」って勝手に決めつけられるのがちょっといやな感じ. そう言われると意地でも探してやろうという気になります. 

ところがこの率直さに比べると他の項目は,またまた末吉特有の分かりにくさがあちらこちらに垣間見える. たとえば,

願 望 → のちのち叶うでしょう
病 気 → 長引くが治るでしょう
待ち人 → 遅くなって現れるでしょう
結 婚 → まあまあ良い結果を得るでしょう.

とある. なにこの中途半端なざっくりした感じ. 「のちのち」とか「長引くが」とか「遅くなって」とか「まあまあ」とかなくてもいいと思うんですけどね. しかし,いろいろな意味で「のちのち」,「長引くが」,「遅くなって」,「まあまあ」という四つの言葉は,今の自分の状況を物語る切実な飾り文句であることは否めない感もある. 

一緒におみくじを引いたS君はこの4月から大阪に転勤が決まった. S君にとっては栄転である. S君が引いたおみくじは「大吉」だった. S君の益々の活躍,そして明るい未来を感じさせる「大吉」である. 

おみくじというのは,引いたときのその人の状況が表れていて,そして,その人にその時必要なことが書かれているものなのかもしれない.

観音菩薩の慈悲の光にあいにいかなくては.

S君の未来がますます輝かしいものになりますように.

Dscf3940

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