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一歩でも,半歩でも

東日本大震災の発生を受けて,大学の卒業式は中止となり,学科単位での証書授与式のみが行われた.

私は本学に赴任してまだ二年目なので,今日巣立って行く4年生の学生さんたちとはほとんど関わりがなかったが,これから社会人として新たな一歩を踏み出そうとしている学生さんたちの爽やかな笑顔を見ていると,この4年間で一人一人が刻んで来た歴史,そして築いてきたものの重みがじわりじわりと伝わってきて,一人一人に心から「卒業おめでとう」という言葉を贈りたい気持ちになった.

地震の後は気持ちが沈みがちだったが,新たな一歩を踏み出そうとしている若者たちの笑顔に励まされ,そして,自分も沈んでばかりいないで前に進んで行かなくてはいけないという気持ちになった.

そして,主任教授のB先生が卒業生に贈った言葉にも大きな力をもらえた. 尊敬する人物が岡本太郎氏だというB先生は,現在開催されている「生誕100年岡本太郎展」で目にした氏の次のメッセージを学生に贈っていた.

「何でもいい,見物人ではなく,とにかく自分でやってみよう. 動いてみよう. 一歩でも,半歩でも前に自分を投げ出してみる. 出発は今,この瞬間からだ」

何かはっとさせられた.

特に「見物人になるな」というフレーズが今の自分の心にずしりと響いた.

わたしは何をやっていたのだろう. つらいとか悲しいとか寂しいとか苦しいとか自分で自分を暗い気持ちにさせているだけで,自分からエネルギーを外に放出することをしてこなかった. 自分にできることは限定的だが,少なくとも,教員としてこれからの未来を担う若者と関わっている以上,若い人たちにエネルギーを与え,前へ前へと導いていく使命が自分にはあるはずで,その努力をこんな時だからこそしなくてはいけないのだった. 地震で被災された方々に直接的な形で手を差し伸べることはできなくても,若い人たちにエネルギーを与え育てていくという形で,自分にできることはたくさんあり,その使命を自分から放棄していてはだめだということに改めて気がついた.

見物人になっていてはいけない. 

一歩でも,半歩でも,前に自分を投げ出してみよう.

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lifting up

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3/11の地震の後,気持ちが沈みぱなしで,なかなか気持ちが上に向かわない.

人の命は,一人でも,百人でも,一万人でも,その重みに変わりはない. 

その重みのある命が一瞬にして奪われてしまった.

そんな中,今,自分の置かれた状況はあまりにも恵まれすぎていて,だからこそ自分はもっともっと頑張らなくてはいけないのだと頭では理解できていても,頑張るということがとても難しいことに今は感じられる.

自分はいつも支えを必要としていて一人では何もできなくてとても無力な人間だというを改めて感じている.

でも頑張って生きなければいけない.

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上るべき階段

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大学が春休みに入り,入試も終わり,やっと研究に集中できる時間が持てるようになった.

久しぶりにじっくり本を読んでいると,これまで知らなかったことを学んだり,考えもしなかったことについて思考をめぐらせたり,思いもしなかったアイデアが浮かんできたりする. 授業期間中は頭のかたすみでいつも翌日の授業のことや課題の採点のことを心配している私なので,こうして頭の中から授業の心配を取り除き,研究だけに没頭できる「春休み」という期間は,大変貴重なインプット,そしてアウトプットの時間である.

これまで研究の関心はEAPとかESPの方だったのだけれど,最近はSFLの方に傾き始めている. advanced literacyの発達を調べる上で,書き手の言語使用がどのように変化するかを測定する指標をどうするかで長い間悩んできたのだが,SFLの中にはそのヒントとなるものがたくさん詰まっていることを発見した. ここに行き着くまでにぐるぐると寄り道をしてしまった感があるけれども,それがなければここには辿り着けなかったかもしれないので,その寄り道の時間も決して無駄ではなかったのだろう(と思うことにする).

私はA.B.D. (All But Dissertation)になった後,日本に帰って残りの博士論文を完成させることにしたので,指導教授のオルテガ先生からは直接指導を受けることができないのだが,たぶんハワイ大学に残って論文を書いていたとしても,結局はほぼ同じ道を辿ることになったと思う. オルテガ先生は「こうしなさい」とか「こうしたほうがいいのでは」というふうに進むべき道を明示的に教えてくださることは決してない. 専門がまったく一致しているわけではないことも一因としてあると思うけれど,「答は教えない」,そして「本人に考えさせ本人に決めさせる」というのがオルテガ先生のやり方なのだと思う. そして,私が出した結論に対していつも言うことは,"good"とか"nice"である. なんかテキトーやねって感じがしないわけでもないのだが,こういうやり取りをこの2年くらいの間続けていて学んだことは,結局は自分の頭で考えなくてはいけないのだなということである. しかし,そうであっても,後ろに大きなオルテガ先生がついていてくださるというのは,やはり心の支えにはなっている.

そんなオルテガ先生から一昨日メールが届いた. 衝撃的な内容で一瞬心拍数が上がった. 先生の身辺にこれから大きな動きがあるようで,私の研究計画もそれに合わせて若干の変更をせまられることになった. 変更というよりは先行きが近いところに見えてきた,と言った方が正確かもしれない. 大変かもしれないが,未来像が近いところに見えてきたことで,そこに向かうためにこの一年でしなければならないことをしっかりと自覚し身が引き締まる思いがした.

オルテガ先生がどんどん大きな存在になっていく姿をこんなに近くで目にすることができることも大きな刺激になっている. 

オルテガ先生は1980年代にスペインの大学をご卒業された後,ギリシアの語学学校でスペイン語を教えていらっしゃったらしい. それからアメリカに渡り,アメリカの大学で学位を取り,アメリカ国内のいくつかの大学で教壇にたたれ,そして,ハワイ大学の教授になられた. もうこれで十分じゃないかと思ってしまう私だが,先生には「これで終わり」という文字はないのだろう. 私にはまだまだ上るべき階段があるのよカモーン!という声が聞こえてきそうだ.

階段は自分で上るのをやめない限り,ずっと上に続いているものなのかもしれない.

ということを先生から教わった気がする.

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