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ようやく…

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何度も修正を求められていた論文がやっとアクセプトされた.

一つの点が改善したと思ったら,また別のことで問題点を指摘される. それが改善したと思ったら,また新たな問題点を指摘される. 指摘され,直し,また指摘され,直し,指摘され,直し,このプロセスが約半年間続いた. "Writing is rewriting."ということをまさしく体感した半年間だった. わたしの場合は"Writikng is re- re- re- re- rewriting"というのが正確かもしれないが. リリリリリリライティング.

本当に勉強させてもらった. 自分が書いた論文を第三者に読んでいただくことの大切さをこれほど身を持って実感したのはこれが初めてかもしれない. 穴だらけの論文にたくさんの人を巻き込んでしまうことは心が痛むことではあるけれど. その恩を返すためにも,次は,もっと質の高い論文を書かなくてはと強く思わされる.

そして,今日は,後期に担当していた授業がすべて終了した. 欠席が多かった学生が授業後に申し訳なさそうにやってきて,口を揃えて言う台詞:

「おばあちゃんが倒れました」

この時期に本学の学生のおばあさまが同時にあちこちで(長野県や茨城県や熊本県など)倒れる現象はまさに怪奇現象である. これにウンザリした以外は,良い学生さんに恵まれ,楽しく有意義な四ヶ月だった. それにしても,倒れるのはいつも「おばあちゃん」で「おじいちゃん」ではないところに,「女性は弱い生き物である」という偏見,あるいは女性蔑視が含まれている気がして,ちょっとイラッとする. そんなことをぼんやり考えていると,

「知り合いが倒れました」

と言ってきた別の学生がいた. 

「知り合い」ってtoo generalやろー広すぎやろー. 一体誰がどんな理由で倒れたのでしょうかね. というか勝手に倒れとけボケって感じだ. 

帰りにTULLY'Sで「ティラミス・ラテ」を飲みました.

ほっこりあたたまります.

ようやく終わり.

でもそれは次の始まりでもある.

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富士山

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ジョギングを始めて2週間.

すでにその楽しさに引き込まれている.

同じ走行距離を昨日よりも短いタイムで走れた時,自分の走りが成長したような気がして嬉しくなる. 設定した心拍数を超えるとピピピピピーと比較的やかましい警告音のなる心拍計がならなくなると,自分の心臓がたくましくなった気がして嬉しくなる. 

そして,ジョギング・ルートとして普段は通らない場所を通るようになったことで,これまでその存在を知らなかった場所や道を開拓することができたこと,これが何よりの収穫である. 

最近,富士山が見える場所を発見した. 

頭の部分がちょこんと見えているだけなのだが,すごく感動した.

関東圏では別に珍しくない景色なのかもしれないが,関西出身のわたしにとっては,マウント・フジはやはりシャッターを押さずにはいられない大きな存在だ. フージー

自宅から数百メートルしか離れていない場所なのだが,普段は通らない場所なので,ここに引っ越してきて2年がたつのに全然知らなかった. 

自分の世界が広がったような気がしてとても嬉しい.

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ちらしずし

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図書館のYさんとランチにお寿司屋さんに行く.

「ちらし寿司」を注文.

巻き寿司が「巻いてある寿司」,押し寿司が「押してある寿司」,にぎり寿司は「にぎってある寿司」,回転寿司は「回転する寿司」,そしてちらし寿司は「ちらしてある寿司」ということで,日本の寿司は「そのまんまやんか」とつっこまざるを得ない実にシンプルな名前を持つものが多い. 回転寿司とかは「回転サーブ」の「回転」とはちょっと意味が違う回転なのだけれども,確かに寿司が回転していることに変わりはない. 回転サーブ級の回転寿司もちょっと見てみたい気がするしアイデアとしては斬新だと思うのだが,いかんせんその速さで回ってこらるとお客様は寿司を食べられなくなるし若干の危険も伴うのでスシローさんはこのアイデアを却下することだろう. それはともかくとして,この実にシンプルな名前で占められた寿司群の中でも「ちらしてある寿司」という意味の「ちらし寿司」は,「またちらかして!」というお母さんの叱責の声が聞こえてきそうな音声を伴っており,日本を代表する食文化の名前としては決して美しいとは言えないと思う. ちらしとるんかい. 確かに,今日注文したちらし寿司も,サーモンやらマグロやらイクラやらいろいろなお魚があちこちにちらされており,「こんなにちらかしてもう!」というお母さんの甲高い声が聞こえてきそうなちらばり具合である. しかしこのちらばり具合がまたいいのである. だからお寿司の中でも「ちらし寿司」がいちばん好きである. 

よく分かりませんがおいしくいただきました.

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結びつける力

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大学図書館の職員のYさんにお年賀をいただく.

小箱の中には,今年の干支のうさぎのキャンディ.

そして,五円玉が結びつけられている.

とてもかわいくて心がこもっていてあたたかい.

そして,

こんなに小さい箱なのに,その中には何か大事なものがぎっしり詰め込まれている感じがして,不思議な気持ちになった.

結びつけられた五円玉の中に,人と人,人ともの,人とことを「結びつける」不思議な力を感じたからかもしれない.

年が明けてから,「ご縁」というものに改めて思いを馳せる出来事が続いた.

一つは,自分と場所をつなぐ「ご縁」だ. ある場所から,「あなたのような人にぜひ来てもらいたい」という言葉をかけてもらい,新しい場所と自分,そしてその場所にいる新しい人々と自分がこれからつながっていけるかもしれないという期待に胸を膨らませた. しかし,年が明けて,「ご期待に応えられないことになりました」という返事が届く. 一方的にご縁を期待してしまった自分が悪いのだけれど,期待が大きかった分,ショックも大きかった. でも,その場所と自分をつなげるだけの「実力」が自分になかったのだから仕方ない.

もう一つの「ご縁」は家族のことだ. 数年前から別々に暮らし始めていた両親が,いよいよ正式に別々の人間になってしまうかもしれない. そうなってしまったとしても,自分と親をつなぐ「ご縁」はこれからも一生続くわけだけれど,両親が別々の人間になってしまうというのは,とても悲しいことだ. そして何より,「ご縁」があって結びついたはずの二人が,言い争いの耐えない結婚生活をその後何十年と送ることになり,別々に暮らすことを決断し,そして人生も残り少なくなった今になって,別々の人間になろうとしていることが,私にはとても虚しく思える. 「ご縁」とは,もろく,はかなく,簡単に切れてしまうものなのかもしれない. でも,だからこそ,大事にしなければいけないのであって,そのためには,「思いやり」そして「努力」が必要なのだろう. 

新しい場所とつながるには「実力」が必要で,ご縁があってつながったとしてもそれをずっとつなげていくには「努力」が必要で,やはりどんなときも「力」が必要なのだなと思う. 人と人,人ともの,人とことを「結びつける力」とは自然発生的では決してないのだろう.

「ご縁」とは自分で紐を結びつけることなのだろう.

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新年

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2011年が始まった.

年末年始は神戸の実家に帰省し,"Advanced language learning: The contribution of Halliday and Vygotsky" (Byrnes, 2006)を読んで過ごす. つもりが,結局,集中して読めたのは行き帰りの新幹線の中だけになってしまった. お雑煮やおせち料理をいただいたり,「大木こだま・ひびき」の漫才を見たり(「そんな奴おらんやろ〜」はやはり最高です),甥っ子や姪っ子と戯れたり(「ババぬき」をして2位になりました.中途半端やね),いちばん年長の甥っ子(中学1年生)が「遠隔英才教育(by satchy)」の結果英語の成績が「5」だったという報告を聞かせてもらったり(英検の問題集を送っただけだけれども),近所のサティの玩具売り場で姪っ子に「リカちゃんのスウィーツデコラハウス」を買って差し上げたり,楠公さん(湊川神社)に初詣に行って研究やその他諸々のことに関して祈願をさせていただいたのちに屋台のたいやきを食べたり,神戸ハーバーランドから夜景を見てああhomeに帰ってきたーと感傷に浸ったり,そのあと中学生と小学生の甥っ子たちがガチャガチャで織田信長の鎧兜をゲットして大興奮しているのを見てなんでガチャガチャで鎧兜なのさー?(しかもすごい金色)とわけがわからなくなってしまったりしていると,とても「研究モード」にスイッチを切り替えることはできなかった. しかし,仕事をしているときは感じられないあたたかな時間を過ごすことができた. 家族がいて,帰る場所がある,というのはとてもありがたいことだなとしみじみ思いました. 

帰りの新幹線では,気持ちを切り替えて本を読むことに集中した. ちょうどUターンラッシュの日に当たり,通常の指定席は満席だったが,グリーン車に一つだけ余っていた席を確保することができた. 初めてのグリーン車ぐりーんぐりーんわーいとわくわくしながら乗り込んだものの,通常の座席より少し幅が広い程度でそれほどプレステージ感は感じられなかった. あるとしたら席についたとたんに「おしぼり」をサービスしてもらえたくらい. 別におしぼりいらん. ところで, "Advanced language learning: The contribution of Halliday and Vygotsky"のeditorであるHeidi Byrnes先生は,ジョージタウン大学で,"Developing multiple literacies"という教育目標を掲げた全学レベルのライティング・プログラムを展開しておられる方である. ジャンル・アプローチに基づくライティング教授法を取り入れ,様々な社会的コンテクストで異なるジャンルを書く活動を通して,リテラシーを強化することを目指すタスクが組み込まれている. このタスク・デザインには,ハワイ大学のジョン・ノリス先生も携わったらしく,Task-Based Language Teaching (TBLT)のアイデアも取り入れられている. 大変システマティックで,その教育効果がいかほどのものか大変気になるプログラムなのだが,その報告がこの著書の中でなされている. このプログラムはドイツ語のライティング教育だが,私は同様のライティング・プログラムを日本の大学の英語ライティング指導に取り入れたいという秘かな夢を持っている. 正確にいうと,英語に限らず日本語での文章力育成も視野にいれた"multicompetence"涵養のためのカリキュラムを作ることが最終的なゴールである. 「外国語教授とは母語の能力向上をも視野にいれたものであるべき」という千葉大学の大井恭子先生のお考えに,わたしは全く持って共感している一人である.

書いていて恥ずかしくなるくらい大きな目標を語っている. しかし,目標を公表し自分を追い込むことは,達成に一歩近づく有効な戦略である. って,元旦の日の朝日新聞に書いてありました. 新聞に書いとったんかい. 頭の中で考えていることを文字化すると,やはりモチベーションが上がってくる. ライティング・プログラムの件は長期的な目標だが,今年の短期的な目標として,本格的にジョギングを開始し,2012年のヨロン・マラソンに出場することを目指すことにした. 長い間忙しくて走ることから遠ざかっていた. 何となく直感で今年は走ることを再開しなければという気持ちになった. 

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新しいジョギング・シューズを買いました. 

リーボックのTAIKANシリーズは,とても軽くて,足が前へ前へ自然に出る感じがします. って,神戸ハーバーランドのゼビオの店員さんが言ってました. 店員が言っとったんかい.

でも,実際走ってみると,本当に軽くて,足が前へ前へ自然に出る感じ. 

この調子で前へ,前へ・・・だ.

今年もがんばります.

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