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銀座

3月最後の日曜日.

お友達と銀座で会う.

お友達はハワイ大学で知り合った人で,前に一緒にお出かけしたのは去年の8月,マノアのWaioli Tea Room にお茶をしに行ったときだったと思う. 

あれから半年. ハワイで知り合ったその人と一緒に銀座を歩いていることが,とても不思議なことに思えた.

帝国ホテルのロビーで1時に待ち合わせ. 3月末といってもまだ肌寒い日曜日,ロビーに現れたお友達は,コートとマフラー姿だった. 夏服姿のお友達しか知らなかったので,コートとマフラー姿がとても新鮮だった. 

帝国ホテルを出て日比谷公園に桜を見に行く. お友達は他県出身で東京に住むのが初めてということなので日比谷公園をご案内しようと思ったのである. が,日比谷公園は思ったより広くて全然ご案内できなかった. えらそうに「東京のことなら何でも聞いてください」みたいなことを言ってしまったものの,自分だって他県出身なのである. しかも東京に住んだ歴は3年だけ. 結局,桜の木がある場所も見つけられず,噴水のあたりをブラブラ歩いて,花屋さんで鉢植えの花を見て,池のところで甲羅干しをしている亀をながめてから,公園を出てきた. 池には亀がたくさんいて驚いた. 近くにいた女子大生風の女子3人組が,「わースッポンだ,スッポン!」と大興奮していたけれど,あの亀は本当にスッポンだったのだろうか. ミドリガメじゃないのかな. どっちでもいいけど. それにしても,こんな大都会に亀さんがいるなんて新しい発見だった.  

日比谷公園を出たあと,お友達を「銀座みもざ館」というカフェにお連れしてお茶とケーキを楽しもうと計画していたのだが,事前に地図で場所を確認していたにも関わらず,結局,「銀座みもざ館」を見つけることはできなかった. かっこつけて「銀座をご案内しますよ」なんて言ってしまったものの,全然ご案内できなかった. もし自分が男性で今日が初デートだったとしたら,間違いなく「このダメオ!」とか言ってフラれていたことだろう. わたしは高田馬場は割と詳しいので(職場があったので),高田馬場なら迷わずにご案内できると思うけれど,それ以外の町に行くと,どっちが西でどっちが東かが全然分からなくなってしまうのである. というか,高田馬場かい. 古本屋めぐりとかラーメン屋めぐりとかするのでしょうか. 駅には鉄腕アトムの曲が流れています,とか言われてもあんまり感動はなさそうだし. それはともかく,どうやら自分は方向音痴であるらしい,ということに今日気づいてしまった. というか,今頃気づいてるんかい,という感じですけれども. 何歳や. 途方に暮れていると,目の前にあった三越の2階窓越しにきれいなカフェが見えたので,どさくさにまぎれて「あそこに行きましょう」と突然予定変更する. やれやれ. でも,この銀座三越2階の"LADUREE"というカフェは,大変居心地の良い落ち着いた空間が広がっていて,ケーキもお茶もおいしく,ここに来て正解だったかもしれないと思った. 

Mar29  LADUREEでお茶をしてから,少しお買い物をして,洋食のお店で夕食を食べた. 創業38年という「あづま」というお店に行った. 創業100年とかいうのかなと思ったら「38年」というところがちょっと中途半端な感じがしますけども. 「あづま」さんには予約を入れていたこともあって周到に場所を調べてきていたので,迷わずにたどり着くことができた. やっとお友達にかっこいいところを見せられました. というか,どこがかっこいいのでしょうか. 「あづま」さんでは,オムライスをいただいた. サイドにカニクリームコロッケが付いてきた. 好きな食べ物は?と聞かれると「オムライスとコロッケ」と答えるわたしは,このメニューは自分のために用意されたメニューに違いないと思った. さすが創業38年. やっぱり38年はちょっと中途半端ですね.

日本に帰国してからというもの,ハワイでの生活とのギャップが大きすぎて,ハワイで過ごした日々のこと,ハワイで経験したこと,ハワイで学んだことのすべてが現実感を失いつつあったのだが,今日お友達とハワイでの生活を振り返り思い出を語り合ったことで,自分は確実にハワイにいたのだと再確認するとともに,自分がハワイで学んだことに現実感が戻ってきたような気がする. そして,ハワイで経験したことを無駄にしてはいけない,次のステップにつなげていかなくてはいけないと強く思った.

ハワイで知り合ったお友達とまた東京で再会できたことをとてもうれしく思うし,ハワイで一緒に頑張ったお友達とまた東京で一緒に頑張れることをとても心強く思う. 

今日は銀座で散々迷子になってしまったのだけれど,勇気を出してお友達に「銀座で会いませんか」と言えてよかったと思った. 大人になるにつれて,誰かに「会いましょう」と声をかけることは自分にとって簡単なことではなくなってきているのだけれど(みんなそれぞれの生活があるので),でも,「声をかける勇気」があればこんなにも視野が広がったり,いろいろなことを再確認して意味づけができたりするんだなと思った. 一人でひきこもっていてはだめだなと改めて思った. 

3月最後の日曜日,銀座にて.

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アンナチュラル

Mar19_016_2 引越しでバタバタしていたが,デスクとチェアが届き,荷物も片付いて,ようやく仕事ができる環境が整ってきたので,たまっていた仕事を片付け始める. 

 ちょうど今週デンバーで開かれている学会に出席したかったのだが,レジストレーションに加えて渡航費+宿泊費を計算してみると,自分の銀行口座の残高がかわいそうな状態になりそうだったので断念した. 学会に行けばオルテガ先生にも会えたはずなのだが. 会いたかった. カモーン. 今回はライティングに特化した発表もあったらしく勉強しに行きたかったのだけれど. tressolesさんの発表も聞きたかった. ざんねん. 全て自費というのはやっぱりきつい. 4月からは研究費をいただける立場になるので,出たい学会があるたびに銀行口座の残高と相談しなくてすむようになるのがうれしい. 

そんなわけでデンバーに行くのはあきらめて,部屋で仕事の片付けにはげむ. まず,来月実施するプレイスメント・テストの問題を作る. 大学一年生は語学の授業が必修なのだが,自分のレベルに合ったクラスで授業を受けてもらうために,4月にプレイスメント・テストを受けてもらうのである. 試験時間は70分. リスニング20問,グラマー20問,リーディング20問という構成. ライティングを入れたかったのだが,学生数を考えると採点が大変になるということで,マークシートで処理できる問題のみということになった. マークシートだけでは本当の力は測れないと思うけれど,短時間で大量採点が求められるときにはやむを得ない.

テストのレベルは,英検2級レベルということで,過去問などを参考に問題を作成する. 久しぶりに英検の問題を見て,使われている英語がやや不自然な気がして,ハワイではこんな英語を話すアメリカ人はいなかったなぁと思ったりした. 特にリスニングの会話聴き取り問題. 文法的には何も間違ってはいないのだけれど,プラグマティズム的に何か変な感じがするのである. 「放課後ゲームセンターに行くつもりなのですが一緒にどうですか,キャサリン?」,「ごめんなさい,ヒデキ.行けないと思います.なぜなら勉強しなければいけないからです」,「そうですか,では一人で行くことにします」,「また次の機会にぜひ,ヒデキ」というようなやりとり. ゲームセンターへ女の子を誘うという目的で繰り広げられるこんな会話がどこかで本当に展開されているのだろうか,という気がした. しかも,登場人物の名前はヒデキとキャサリンである. ヒデキ&キャサリン. なんか白いパンタロンを履き,白いギターを持って歌っていそうなコンビである. というか,何と間違えているのでしょうか. というか,学校帰りにゲーセンに寄り道したらあかんでしょう,ヒデキというツッコミを入れたくなったりした. というか,女の子をゲーセンに誘ってどうする,ヒデキ. キャサリンに断られても,それでも一人で行くのかい,ヒデキ. ヒデキー.

それならば,サッチーとオルテガ先生の間で起こるであろう次のようなやりとり…「データの分析は終わりましたか,サッチー?」,「オルテガ先生,実はまだデータそのものが取れていないのです」,「何ですって?」,「いえ,あのデータが取れていないのです」,「カモーン!」…というような会話の方がプラグマティズム的にも自然だと思われる. というか,どこが自然やねん. 最後に「カモーン」が言いたかっただけやんか. というか,くだらないことばっかり言ってないで仕事しなければいけません. カモーン.

まぁ語学の試験問題というのは,アンナチュラルな状況で問題が作成されるわけなので,程度の差こそあれ言語が不自然になってしまうのはやむを得ないことなのだろう. 以前,オーストラリアのモナシュ大学というところで日本語を教えていたとき,日本語リスニング問題のテープを自分たちで作成しなければならず,上の先生が用意した会話を録音テープに向かってしゃべらされたことがある. 「神棚が家にありますか?」,「はい,あります」,「おじいさんが神棚の水を取り替えたり,ご飯をお供えしたりしています」とかいうものだった. 「~があります」と「~たり,~たり」と「~ています」という文法項目を入れるために強引に作った文章だったような気がする. というか,なんで神棚やねん. と心の中でツッコミをいれていたわたしである. 上の先生が作った文章なので口には出さなかったけれど. 「神棚が家にありますか?」って日本人同士であまり聞かないような気がする. 突然聞かれたらびっくりしてしまうと思います. 

それにしても,まだ大学の研究室が使えないので,今は自分の部屋で仕事をしているわけだけれど,静かな部屋で,"Oh! We're running out of gas!! (ああーガソリンが切れそうだぜ!)"とか"Do you know who closed the window?(誰が窓を閉めたか知ってますか?)"とか"You look pale! (顔色が悪いですよ!)" なんていう奇妙な英語文がCDラジカセから次から次へと流れてくる状況では,仕事どころかそのヘンテコリンさに意識が向かってしまってどうも集中できない. もともと,プライベートな空間に仕事を持ち込むということが好きではないし,しかも引っ越してきたばかりということで,床についた汚れが気になって拭き掃除を始めてしまったり,最近手に入れたScotch Briteのパワーふきんでキッチンを磨き始めてしまったりする. このふきんは,ふきんはふきんでも「パワーふきん」と呼ばれているだけあって,その吸収力は驚くべきものがある. 引っ越してから,細々したものを買いに近所のイトーヨーカドーによく行っているのだが,4階のキッチン用品やお掃除グッズ売り場には,「これで磨くとピカピカになります」系の商品があふれていて,これまで黄色い化学ぞうきん『金鳥サッサ』しか知らなかった私は,世の中にはこんなにすごい商品が存在していたのかと驚いてしまった. そんなにピカピカピカピカ言われたら,どこまでもどこまでも磨き続けたくなってしまうではないか. 金鳥サッサじゃだめなのかい. つくづく,日本には便利な商品があふれていると思う.

仕事の話から金鳥サッサの話に話題が逸れてしまったのだが,部屋にいるとやはり集中できないので近くのカフェで残りの仕事を片付けることにした. 家から5分くらいのところに,落ち着いて仕事ができるカフェを見つけることができた. どの席の近くにも電源差込口があって,パソコンを持ち込んで勉強したり仕事したりすることを快く認めてくれている. 日本のスタバではときどき「電源はお使いいただけません」なんて言われてしまうことがあって(アメリカでは使い放題だったのに)残念に思っていたところだったので,このカフェとめぐりあえてとてもうれしい. それにしても,東京のスタバはどこもいつもすごく混んでいる. 近所のこのカフェではほっと落ち着くことができる. 自分が自分らしくいられるナチュラルな空間. 神棚はありませんよ. まだ言っている.

ナチュラルな空間でアンナチュラルな英語文を聴く. 

本当にこんな文を試験に使ってよいものだろうか. 

というか,自分の英語だって相当アンナチュラルなのだけれど. ネイティブスピーカーのようなナチュラルな英語は話せないのである.

ネイティブスピーカーが常に「ナチュラル」の指標になるというわけでもないと思うけれど.  

難しい仕事を引き受けてしまった.

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商品価値

Mar22_020 土曜日に,注文していたテレビが届く.

 テレビはあまり見ないのだけれど,朝晩のニュースと土曜日の『イロモネア』を見るために購入した. 

 届いたテレビをセッティングして電源を入れてみると,『王様のブランチ』が放送されていた. これは毎週土曜日に関東圏だけで放送されている番組で,関西では見ることができない. すごく久しぶりに司会の優香ちゃんを見た. 前に『王様のブランチ』を見たのは3年前になると思うけれど,あれから3年が過ぎても優香ちゃんはやっぱりかわいかった. 何となく性格も良さそうで,優香ちゃんのことを「嫌い」という日本人はいないのではないだろうか. そして,優香ちゃんはただかわいいだけではなく,MCとして番組の進行もできる力を持っているという点で,タレントとしての商品価値は極めて高い,といえる. 「優香ちゃん」という商品の可能性を発掘し育て上げた人々の才能も評価に値すると思う. なんで優香ちゃんの評論をしているのかよく分かりませんが. 

『王様のブランチ』を少しだけ見てから,新宿まで出かける. 前に勤めていた大学の卒業生のヤスさんと3時に新宿駅南口で待ち合わせ. 3時まで少し時間があったので,ルミネの中をぶらぶらする. 春物のかわいい服やアクセサリーがあふれていて,どれもこれもみんな欲しくなってしまう. 日本には「物」があふれているので,「所有していないもの」への欲望に灼かれ消費行動がドライブされがちである. 自分が「所有していないもの」にはどんなものにもそれなりの商品価値があるように思えてしまう. ハワイでは「物」がなかったので,「所有していないもの」に気づかされることもなかったし,商品価値について考えることもなかった. 服はTシャツとジーンズでよかったし,靴はサンダルでよかった. しかも一年中である. ラクチンだったと思う. 

新宿駅南口でヤスさんと会って,"TO THE HERBS"というカフェに行き,バナナとチョコのティラミスパフェを食べる. とてもおいしい. パフェなんていう食べ物もハワイにはなかった. すごく久しぶりだっただけに余計においしく感じた. ヤスさんはイチゴのパフェを食べていた. 店員さんおすすめのイチゴ・パフェ. ちょうどイチゴの季節なのでイチゴ・フェアをやっていたのである. イチゴじゃーイチゴ祭りじゃ. こういう「なんちゃらフェア」というのも,日本の飲食店でよく見られるイベントだ思う. さつまいもフェアとかじゃがいもフェアとかさといもフェアとか. イモばっかりかい. クロネコフェアとか. 宅急便かい. よく分かりませんが. この多種多様な「なんちゃらフェア」も,日本にいろいろな「物」があふれている証拠であろう.

Feb13_014 それはさておき,ヤスさんは昨年9月に某大学を卒業した人で,この春から広告代理店に勤めることになっている. 発想が豊かな人で,いつもすごくおもしろいエッセイを書いていたので,広告代理店というのはヤスさんが自分の才能をどんどん発揮できる職場だと思うし,そのうち,ソフトバンクの「お父さん」に負けないCMキャラクターをヤスさんが生み出してくれるのではないかとわたしは期待している. あの「白い犬」のお父さんのことを嫌いという日本人もあまりいないような気がする. 白い犬がただの白い犬ではなく一つの商品になっている. わたしも,お父さんストラップが欲しくてソフトバンクの携帯を買ったくらいであるし. このストラップは背中のところを押すと,「言ってることがわからん!」と怒るお父さんの声が聞こえてくる. その後,「カーツっ,カーツっ,喝!」とお父さんに喝を入れられるのである. ストラップといっても,ただのストラップではないのである.   

ヤスさんと広告代理店の採用面接について話をしていたときに,ヤスさんが「広告会社の面接ですから,まず,自分自身を『商品』として『広告』できなければいけません」と語っていたのが印象に残った. 自分という人間がいかに価値があるかを聞き手にアピールするというのは,言うまでもなく面接において一番大切なことであるけれど,自分という人間を「商品」に見立て「広告」するという考え方がおもしろいと思った. そして,自分自身をふりかえって,自分という人間にはどのくらいの商品価値があるのだろうかと考えてしまった. 自分にしかできない仕事というのは今のところないし,自分の代わりなんていくらでもいそうである. 自分の商品価値をもっと高めたいと思った. それにしても,「最近の若いモンは…」と文句を言う大人たちが多いけれど,「最近の若いモン」で若いモンを一くくりにするのはよろしくないということをヤスさんと話をして改めて感じた. 最近の若いモンの中でも,ヤスさんのように,大人よりも物事をしっかり考えて真面目に生きている若いモンもいるのである. 何でもかんでも一くくりにしてしまうと,その中の「個人差」とか「個人の価値」が見えなくなってしまうので危険だと思う. カーツっ,カーツっ,喝!

WBC (World Baseball Classic) ではサムライJAPANが活躍している. WBCを通して,日本の野球選手の商品価値もどんどん高くなっているのだろうと思う. それにしても,WBCのルールというのは分かりにくい. この前,韓国と対戦して負けたと思っていたら,また韓国と対戦するといい,また負けたと思っていたら,また韓国と対戦するといい,そして,今度はやっと日本が勝ったと喜んでいたら,また韓国と対戦するという. というかまた韓国かい. というか,どんだけ敗者復活戦やってるねん,とどうしたってツッコミを入れずにはいられないのである. この複数回にわたる敗者復活戦は,昨今の日本の私立大学の入試制度と似ているような気がする. 昨今の日本の大学は,AO入試をはじめ,一般入試にもA方式,B方式,C方式と様々な入試のオプションを用意しており,A方式で不合格ならB方式,B方式が不合格ならC方式というように,まるで起き上がりこぶしのごとく,何度も何度も出願ができるシステムになっているのである. 最近は,D方式,E方式も出てきているというし,このままだとZまで行ってしまうのではないかと思わせる勢いである. A,B,Cの併願も可能であり,「最大で8回の出願が可能です」なんて宣伝をしている大学もあるという. もうそこまできたら,「生徒随時募集中」とかにしたらいいんじゃないでしょうかね. というか,ヤマハ音楽教室かい. 体験レッスン受付中!とか言うんかい. 敗者復活戦があまりに多いというのもどうなのでしょうか,という気がします. 勝負事というのは「一発勝負」という側面があるからおもしろいのだと思うし,だからこそ勝利者の商品価値も高まるという気がする. 

Mar22_009_2  日曜日に,注文していた白いクラークチェアが届いた. これで仕事ができる環境が整った. この白いクラークチェアは,見た目シンプルな作りになっているけれど,組み立てるが結構大変で,ヘロヘロになった. でも,座り心地がよく,仕事もはかどりそうで,ヘロヘロになって組み立てるだけの価値はあった. どんなものも手に入れたいと思ったらその代価を伴うということだろう. 自分の商品価値を高めたければ,もっと努力しろということだろう. 

 商品価値について考えた春のひととき.

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幸運を呼ぶ四つ葉のクローバー

Mar19_002 新天地に引っ越してきて一週間が過ぎようとしている.

 部屋は8割方片付き,徐々に自分の空間が完成しつつある. 自分で自分の空間を作り出す作業は,真っ白なキャンバスに絵を描く作業と似ているような気がする. そう思うと,力仕事も結構楽しめる.

 出窓のところに,四つ葉のクローバーを置いてみた. お部屋が明るくなったし,何か幸運が訪れそうな気がしてきた. このクローバーは花屋さんで,「幸運を呼ぶ四つ葉のクローバー」という名前で売られていたのである. 植木鉢に付いていた解説には,「四つ葉のそれぞれの葉は,希望,幸福,愛情,健康を表し,四枚そろって"True Love (真実の愛)を表すといわれています」と書かれていた. なんかよく分からない説明だが(なぜ希望と幸福と愛情と健康がそろうと"True Love"(真実の愛)になるのか,その論理関係が不明),とにかく幸運を呼んでくれて,しかもそれが"True Love(真実の愛)"につながるのなら…ということで迷わず買ってしまった. というか,"True Love(真実の愛)"って何じゃという気もするのだが. そんなものがあるのかどうかわたしはよく知らないのだが,もしあるのだとしたらちょっと経験してみたい気もする. 四つ葉のクローバー頼みかい. というか,乙女かい. ぶー.

新しい家具も購入した. デスクとキャビネットと本棚の色は白でそろえてみた. 「白い家具で彩られたお部屋」というのに憧れていたのである. リカちゃんハウスではないんですけどね. しかし,購入した白い家具はすべて「組み立て式」で,購入したのはいいものの,家に持って帰って組み立てるのが結構大変だった. 説明書を読みつつ,軍手をはめ,ドライバーを握り,一つ一つネジを回し,固定していく. 中学生のときの技術の授業を思い出した. 自慢じゃないが,家庭科より技術の方が成績は良かった. いきなりミシンでスカート縫えと言われましても. 裾がいい具合に広がらなくて,四角いスカートになってしまった記憶があります. 四角いスカート作りよりも,金槌でトンカン叩いて椅子なんかを作るほうがうんと楽しかったですね. しかし,白い家具組み立て作業では,側板と天板を間違えて,途中まで組み立てたものを解体してまた最初からやり直しなどという,どんくさい場面もあった. というか側番と天板間違えるなよちゅう話です. そんなドジもしつつ,数時間かけて白い家具が完成したときには,あまりの喜びと達成感で,「よっしゃー」と高い声をあげてガッツポーズしてしまいましたね. そのうち勢いあまって「よっしゃー」が「サーッッ」になってしまったりして. 福原愛ちゃんかい. というか,卓球してるんじゃないんですけどね. 変な人. サーッ.

そんなふうに自分の空間作りをしているうち,時は流れ,外はすっかり春めいてきた. ここ数日は5月上旬並みのポカポカ陽気の日が続いている. こんなにやわらかな春の陽射しに包まれていると,昼間からビールでも飲みたい気分になってしまう. ビールじゃー,ビールを持ってくるのじゃー,と叫びたくなってしまう. 春は危険である. 今日はお休みだったので,昼間から本当にビールを飲みたくなってしまった. ビールじゃー,ビールを飲むのじゃ. 春は危険だ. なんだか言ってることがただのおっさんです. もちろん,昼間からそんなことはしませんでしたが. 

Mar19_014  ビールを飲む代わりに,今日は転居に伴う様々な事務手続きを済ませてきた. 区役所に行って転入届を出し,警察署に行って運転免許証の住所変更をし,勤め先の大学に「転居と着任に関わる書類」を送ったりした. そして,市立図書館に行って,図書カードを作ってもらい,早速,本を借りたりした. 今回暮らすことになった街は,最寄の駅近くに,区役所,警察署,消防署,図書館,文化センターなどあらゆる公共施設が集まっていて,非常に便利である. 中でも駅前に図書館があるというのがうれしい. 駅の南側には,比較的大きなショッピングモールがいくつかあって,お買い物も楽しめる. コープさんがあるので,「おうちコープ」という宅配サービスを申し込んできた. 注文していたものを毎週決まった日に自宅に届けてくれるらしい. 平日は買い物に行く時間がないし,不在でも玄関に置いていってくれるというのがありがたい. 専用のクーラーボックスに入れてくれるらしいが,ノラネコに襲撃されないか心配ですが. おうちコープ担当のタケダさんは市原悦子によく似たしっかり者の女性だった. 「ここに来る前はどこにいらっしゃったのですか?」とたずねられたので,「ハワイに住んでいました」と答えると,「あらまぁ,ハワイ.私もヴァカンスでハワイは何度か行ったことがあるわよ.おほほ」とおっしゃっていた. そうですか,ハワイには何度も. それより,市原悦子似のタケダさんから「ヴァカンス」ってことばが出たところに反応してしまいました. ヴァカンス. この「ヴァ」ってのがポイントです. よく分かりませんが. 水着姿とか想像してしまいました. わぉー

この街で楽しく暮らせそうな気がしてきた.

四つ葉のクローバーも大切に育てようと思う.

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大学訪問

Hw_003 大学を訪問してきた.

 直属の上司となる先生にご挨拶,プラス,今後の仕事について簡単な打ち合わせをするため.

 この一ヶ月くらい,空虚で自堕落的な日々を過ごしていたため,服装と持ち物を変えれば少しは気持ちが引き締まるかもしれないと思い,新しく買ったパンツスーツを着て,新しく買ったヒールを履き,新しく買ったハンティング・ワールドのバッグを持っていった.

久しぶりにピシッとした格好をすると,気持ちが仕事モードに切り替わった. 

しかし,久しぶりに高いヒールを履いたため,靴擦れを起こしてしまう. おーい.

自宅から大学までは約1時間かかった. 電車に乗っている時間は約30分. 電車の中で過ごすこの時間は,自分にとって貴重な時空間である. 行きは,仕事に向けての"warm up",帰りは,仕事から解放されてほっとする"cool down"の時間になる. 電車に乗っている時間には,公と私を区別する明確な一線が画されていると思う. 

直属の上司となる先生とは,採用が決まった後,メールでは何度かお話させてもらっていたが,会って話をするのは面接の時以来初めてである. これまで勤めた学校や大学で,わたしは女性の上司の下で働くことが多かった. 大学院でも,修士・博士どちらとも指導教授は女性だった. カモーン. しかし,今回直属の上司となる先生は男性である. どんな方なのだろう,みのもんたみたいな上司で何かにつけ「ほっとけない!」ってケチをつける人だったらいやだなとか,みのもんたみたいな上司で「ちょっとお嬢さん!」から始まる許しがたいセクハラ発言を連発する人だったら困るなとか,いろいろな不安が錯綜する中,研究室を訪問した. 

直属の上司となる先生は,とても穏やかな方で,教授であることのパワーを行使せず,地位は関係なく人の話をちゃんと聞いてくださる方だった. そして,大阪府ご出身ということで,お話の途中ところどころ関西弁が混じるところに親近感を感じてしまった. わたしのために,大学ミニツアーを開催してくださり,講義室,図書館,体育館,トリニティ・ホール(なんでトリニティなのかは不明),生協,郵便ポストなどに案内してくださったり,事務所の職員の方々にわたしのことを紹介してくださったりした. たくさんの人に会えてうれしかったが,名前をひとつも覚えていない. おーい. そして,大学のカフェテリアでランチをごちそうしてくださった. 「トレーに好きな小皿を乗せる」式大学カフェテリアはすごく久しぶりで,何をとっていいのか迷ってしまった. とりあえず,冷奴とほうれん草のおひたしとごはんとお味噌汁をトレーにのせた. 地味なお昼ですね. 先生に,「菜食主義者ですか?」とたずねられてしまう. そういうわけじゃないんですけれども. 丸大のあらびきポークウィンナーとか好きですし. というか,初対面の上司の先生の目の前で,そんなガツガツ食べられませんちゅう話です. 

先生の研究室の隣の部屋が空き部屋になっていて,そこがこの4月からわたしの研究室になるとのことだった. 前職のときは,研究室が共同だったので,個室をいただけるのは今回が初めてである. 前職の大学より規模は小さい大学だけれど,待遇は比較にならないくらい良い. その分,期待される役割と果たすべき責任も,前職とは比べ物にならないくらい増えているわけだけれど. 早速,大きな仕事を頼まれ,本当に自分で大丈夫なのだろうかという不安を感じている. でも,もうそろそろコーディネート的な仕事もできるようにならなければいけないのだと思う. とにかくせっかく巡ってきたチャンスを無駄にすることなく,全力で取り組むのみである.

しばらく自堕落的になっていたけれど,ようやくエンジンがかかってきたようだ. 

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new place

Mar14_002 新天地に引っ越してきました.

 荷物が届いたばかりで,ダンボール箱の山に埋もれています.

 それにしても,初めての土地で過ごす一日目というのは,何となく心細いものです.

 とりあえず,出窓のところにポトスを置きました.

お部屋が少し明るくなりました.

これから片付けです.

 

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back to earth

引越しの荷物を送る.

研究関係の書類や本は大学の研究室へ,他の荷物は自宅へ,別便で送ることにした. クロネコヤマトさんの単身パックを利用した. 荷物を取りにきてくれたクロネコヤマトさんの男性スタッフは,インターホンに出ると,「どうも~,クロネコと申します」と自己紹介していた. クロネコかい. ちなみに,うちの隣のおばあちゃんはミケネコを飼っていますけどね. ミケネコかい. アナロジーで考えると,ミケネコヤマトの宅急便だってありだと思う. あると思います. くだらない. ところで,転居先に荷物が届くのが13日の金曜日なのだけれど,13日の金曜日にクロネコから荷物が届くというのは,なんとなく縁起が悪いような気がする. やっぱり,ミケネコヤマトがよかった. もういい. それにしても,今回の引越しはラクだった. ハワイ→日本の海外引越しのときは,一つのダンボールの重さが20キロを超えないように気をつけなければならなかったけれど(1キロ超えるごとに超過料金が加算されるからだ),国内の引越しは,重量制限がなく一つのダンボールにいくらでも積められるので,すごく助かると思った. 

Mar2_001  荷物を積めるときに,ハワイ大学の授業で使っていた教科書やハンドアウト,自分が書いたペーパー,そこに書かれた先生のコメントなどを改めて読み返してみた. ほんの2ヶ月前までハワイに住んでいて,ハワイ大学の授業に出て,シンクレア・ライブラリーにこもって毎日夜遅くまで勉強し,それらのことはほんの2ヶ月前までは確かに起こっていたことなのだけれど,今では何となく架空のもののように感じられる. そして,ほんの2ヶ月前までハワイにいたはずの自分自身でさえ架空のもののように思えてくる. 指導教授のオルテガ先生のモナリザの微笑を思い出してみる. 先生は確かに実在していたはずだけれど,今はその存在に現実感がなくなっている. カモーン. 

ハワイ大学で学んだはずのこと,経験したはずのこと,すべてのことが現実感を失ってしまっているのは,先月ハワイを去って日本に戻ってきてから研究を全然していなくて,正確に言うと,研究を回避していて,その結果,ハワイ大学で学んだはずのことと経験したはずのことに「意味づけ」ができていないからなのだと思う. つまり,次のステップへどうつなげていくのかが自分の中で見えなくなっているのだと思う. 過去や現在の経験を未来にどう生かすかは,誰か第三者が決めるわけではなく,すべて「自分次第」である. 人生の「舵取り」である. でも,人生のターニングポイントにおける「舵取り」というのは簡単なものじゃない. だから,休みたくなるし逃げたくなる. 今,自分はそういう状況にあるのかもしれない.

2月に日本に帰ってきてから,研究のことを考えるのが嫌になってしまって,研究関係の本や論文は全然読んでいないし,手直しする予定だったペーパーも全然直していない. その代わりに,ハワイで読めなかった日本語の本を手当たり次第に読み,アカデミックなこととは全く関わりのない文学の世界に逃げ込んでいた. 津村記久子氏の『ポトスライムの舟』を読み,村上春樹氏の『海辺のカフカ』を読み,加藤周一氏の『羊の歌』を読み,江国香織氏の『泣く大人』を読み,固く閉ざされた自分の心をもう一度押し開いてくれるような,気持ちの自然な発露を導いてくれるような,著者の文章力に感動し,文学の中で描かれる世界と現実を重ね合わせ,人間の弱さ,この世の不条理,不均衡な人間関係,孤独と喪失感について考え,自らを深め広げてくれる言葉とメタファーの威力を体感した. 

こうして,日本語の文学作品の文章を一行一行追いながら,本を一冊一冊丁寧に読んでいくうち,文章を書くことを改めて面白いと感じたが,同時に,自分がやろうとしている研究にはどんな価値がありどんな意味があるのだろうと考えてしまった.

自分の研究テーマは,リテラシー教育とかライティング指導とかライティングの教材開発とか,「書く」ということと「その教育」ということに関係しているわけだけれど,要するに,これは自分が「文章を書くこと」に興味を持っていることがきっかけになって生まれた研究テーマなのである. しかし,今は,書くことをどう教育するかということよりも,自分自身が作品を書いて発表していくことに興味が移りつつある. たとえば,ホノルル空港で働いている人々はなぜあんなに意地悪なのかとか,飛行機のトイレはなぜ男女兼用なのかとか,日本で販売されている化粧品の多くにはなぜ「お肌プルプル」とか「コラーゲン」という言葉が使われているのかとか,日本の朝のニュースではなぜ「お天気お姉さん」と呼ばれる若い女性が登場するのだろうか,なぜ「お天気おじさん」じゃだめなのかとか,みずがめ座の人の今日のラッキーアイテムはなぜ「うどん」なのかとか,なぜいちいち「七味をたっぷりかけてね」とアドバイスされなければならないのかとか,多くの人が見過ごしてしまいがちな様々な怪奇問題を取り上げ,それらを,自分の居場所を探し続ける旅をする日本人女性の視点から分析し,メタフォリカルに,アイロニックに描写してゆくのである. 主人公は言うまでもなく自分である. 自分かい. やっぱり物書きには向いていないでしょうかね.

そもそも,リテラシー研究って何なのだろうか?という気もする. 書くことを教え,その結果書く力がどれくらい伸びていくのかを研究するということは果たして"feasible"なのだろうか. リテラシーというのは,経験の積み重ねによって得られる知識であり,多くの場合,明示的には意識されないものである. つまり,これは,マイケル・ポランニーの言うところの「暗黙知(tacit knowledge)」であって,何によって何がどう伸びたのかは言葉で明示的に語るのは難しいということである. 研究によって,ある指導の教育効果が発見できればそれはそれで大変素晴らしいことであるとは思うけれど,何を持って「効果がありました」と言えるのだろうか. そもそも,教育効果の「効果」って何なのだとも思う. データを統計にかけて実験群と統制群で有意な差が見られたというだけで効果があったと結論付けられるのだろうか. 数値で結果が示されなければ,すべての指導法や教育プログラムは無価値ということになるのだろうか. 実証できないものはすべて疑えというのは「医学」では当たり前の決まりごとであるけれど,この実証主義は「教育」の分野にもあてはまることなのだろうか. 

考えれば考えるほど,自分がやろうとしている研究は意味があるのか,あるいは,そもそも"feasible"なのだろうかという思いが頭の中をかけめぐる. 

また大学というアカデミックな場所で毎日を過ごすようになると,こういう疑問とか迷いも消え,研究に没頭できるようになるのかもしれないけれど. 小説を読みすぎて空想の世界に逃げ込んでいるだけなのかもしれない. オルテガ先生に「あなたが今やるべきなのは博士論文を書くことで,ハルキ・ムラカミを読んでいる場合じゃないでしょう.カモーン」と怒られてしまうかもしれない.

現実に戻らなければならないのかもしれない. 

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学内政治などについてぼやく

大学というところには,教育や研究に熱心な先生がおられる一方で,「学内政治」に非常に熱心な先生もおられるわけですが,

その「政治」が,最終的に大学や学生に還元されるような建設的な議論を展開しているのかというとそうではない場合もあり,そういう不毛な議論に時間と労力を注ぐことに一体どんな意味があるのだろうか?と疑問を抱いてしまうことがある.

3年前,ハワイに行くと同時にそうした学内政治からは解放されたわけだけれど,日本に戻ってきて,またあやうくその不毛な学内政治に巻き込まれそうになった. あぶないあぶない. それにしても,あれから数年がたっているのに,まだ同じ問題で不毛な議論が展開されていることを知り,衝撃を受けるとともに,その執着ぶりに感心してしまった. その執着ぶりは,論理よりも感情の上に成り立っていると言わざるを得ないもので,こうなるともう,「おまえってなんかむかつくんだよね」と言ってる子供のケンカと変わりないレベルにも思えて,いい歳をしたオジサンが集まってみっともないですよ,とご助言差し上げたくなってしまった. カモーン. 

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 ハワイのことを思い出して,学生はよかったとしみじみ思った.

 ハワイ大学は,研究や教育に熱心な先生が多いところだったと思う. もしかすると,学内政治に熱心な先生もおられたのかもしれないけれど,自分が学生である限りはそんな問題には関わらずに済んだし,とにかく自分の勉強と研究に打ち込める環境が与えられていた. 

楽しいことばかりではなかったけれど,学生という身分でハワイ大学で過ごせた日々は貴重なものだったと改めて思う. 「あとになってみないとわからないこと」というのはたくさんある.

これからまた大学で仕事をすることになるのだけれど,そこでも学内政治に熱心な人々がおられるのかもしれない. わたしは,学内で地位を高めたり権力を握ることには,少しも興味がないので(仕事が増えるし,何より組織を運営する能力がない),できるだけ下を向いて,「あなたはツブアン派?それともコシアン派?さぁどっち?」的などうでもいい派閥論争には巻き込まれないようにしなければ,と思っている. まぁ,「ツブアン,コシアン,さぁどっち?」と聞かれたら間違いなく「わたしはツブアン派です」と答えるだろうけれど,「コシアン」も食べられないわけではないですからね. あの,お口に入れたとたんにシャーっと溶ける感じがどうも好きになれないのですけれど. まぁ,どちらにも良い面と悪い面があり,"dichotomize(二項対立化)"して説明するのは難しいこともあるということです. 

どこでもそうなのだろうけれど,改めて「組織」で働くことの難しさみたいなものを感じている.

日本に帰ってきて,学内政治とともに花粉症にも悩まされている. ハワイでは,ありとあらゆるアレルギーと無縁だった. 日本ではご丁寧に,天気予報とともにスギ花粉情報なんていうものを教えてくださる. というか,気持ちが沈むので教えていただかなくて結構なのですけども. 「明日の花粉の飛散状況は『猛烈に多い』です」なんて言われてしまうと絶望にも似た気持ちになってしまう. 飛散は悲惨なのじゃ. オヤジギャグかい. やれやれ.

はぁ…とため息をついてしまうことの多い今日この頃. 目がかゆいー. 

いろいろなことがありますが,ハワイの青い海のように,いつも美しい心でいたいものです.

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高松にて

Feb21_014_2 高松に行って来た.

 舞子→明石海峡大橋→淡路島→鳴門大橋と,橋を二つ渡って高松に到着.

 かわいい女の子が迎えてくれた.

 ナツキちゃん.

 1歳3ヶ月になります.

 自分にとっては初めての「姪っ子」である.

女の子の赤ちゃんというのは何てかわいいのだろうと感動してしまった. 

初めて目にした伯母さんに警戒心を示していたが(抱っこすると,ンギャーーッとまるでこの世の終わりであるかのような叫び声をあげていた.そんなに怖がらなくても),徐々に心を許してくれるようになり,数時間後には,公園の砂場で戯れることができるくらいのレベルにまで関係を発展させることができた.

シャッターを押す伯母さんをじっと見つめながら何を思っているのだろう. 

どんな女の子に育ってゆくのだろう. それにしてもかわいい. あれ,よく見てみるとなんか自分に似ているかも,ふふ…なんちゃって. 

小姑の負のオーラが出始めている. 

嫌われないようにしないと. 

Feb21_018  滑り台上でポーズをとっているのは,ユウトくん.

 体が大きく,よく「小学何年生?」と聞かれるらしいが,まだ5歳の年長さんである.

 ユウトくんとは年に一度は会っているので,すでに良い関係が構築できている(と勝手に思っている).

 良い関係が構築できているのは,彼がわたしのことを「お姉ちゃん」と思っていることが大きい. 彼は,この5年間,わたしのことを「伯母さん」と呼んだことは一度もない. 

実に良い子である. 

「伯母さん」も「お姉ちゃん」も恣意的に与えられたただの記号にすぎず,私という人間の本質は何も変わらないわけだけれど,「お姉ちゃん」という記号が与えられたとたんに,何か「伯母さん」とは違う特別な存在になれたような,何か子どもにもっと近い位置にいるような気持ちになれるから不思議だ. わたしは,「伯母さん」よりも「お姉ちゃん」という記号が好きである. 

ユウトくんは,高松に引っ越してきてから公文に行き始めたらしい. もう割算を始めていて,49÷23=2…3のように剰余を求めることができるようになっている. こんなに小さな子どもがもう数の概念を理解できていることに感動してしまう. 子どもの学習能力というのは,大人の想像の域を超えている. 

「ユウトは算数が好きよ」と言っているので,おそらく将来は理数系の道に進むのかもしれないと思いながら,「ユウトくんは大人になったら何になりたい?」とたずねたところ,

「ゲゲゲの鬼太郎」

と即答した. 

なるほど,ゲゲゲの鬼太郎…. でも,お化けにゃ会社も仕事もなんにもないらしいですけどね.

算数とはあまり関係ないように見えますが(それにお化けにゃ学校も試験もなんにもないらしいですし),まぁ子どもの夢は大きい方がよいですからね. しかし,鬼太郎の一体どこが5歳児の心をつかむのだろうか. やっぱり,朝は寝床でグーグーグー夜はお墓で運動会だからでしょうか. ぬりかべーっ. よく分かりませんが. たのしいなたのしいな.

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 そんなゲゲゲの鬼太郎になることを夢見る算数が得意なユウトくんは,妹のナツキちゃんをとてもかわいがっている. ナツキちゃんもユウトくんを心から信頼しているようである.

 お兄ちゃんと妹.

 妹ができたとたんに,誰から教えられたわけでもないのに,お兄ちゃんは「お兄ちゃんらしく」なるから不思議だ. この写真からも,ユウトくんの「お兄ちゃんらしく」が伝わってくると思った.

あと20年,そして30年たってから,この写真を二人が見たときに,どんな言葉でこの滑り台での思い出を語り合うのだろう,とふと思った. 

甥っ子や姪っ子ができるまで,自分がこんなに子ども好きだったとは思いもしなかった. そして,人というのは生まれてきてこんなふうに育てられ育ってゆくのだということ,もしこの世に無条件の愛情と信頼で成り立つ関係があるとすれば,それは間違いなく子どもが育てられ育ってゆくその過程の中にあるのだということを,甥っ子や姪っ子と出会うまで考えたこともなかった. そういう意味で,ユウトくんやナツキちゃんの誕生は,「これまで想像だにしなかった自分」と出会うための回路を自分に提供してくれたと思う. 

小さな子どもたちからも自分はたくさんのことを学ばせてもらっていると思う. 生まれてきてくれたことに感謝をしている.

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