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もうひとつの日常性へ

Feb27_001

 東京駅から新幹線に乗る.

 名古屋駅を過ぎ,米原あたりに来ると,なじみのある空間が窓の外に拡がり,あー帰ってきたーという気持ちになる. 「天下分け目の関ヶ原」と言われるように,この場所には,気持ちの上でも,「ひとつの日常性」と「もうひとつの日常性」とを隔てる線があるように思う. 神戸を出て東京へ向かうときには,すべての日常性から決定的に解放されて,「もうひとつの日常性」との接触に大きな期待や希望を感じるし,東京を出て神戸へ向かうときには,「もうひとつの日常性」と決定的に別れ,住みなれた町の空間が拡がる日常性との接触に,安心と平穏を心の中に感じる.

住みなれた空間が拡がる「ひとつの日常性」も,そこから解放されて接触する「もうひとつの日常性」のどちらも好きだけれど,自分の気持ちを前へ前へと向かわせるのは,安泰と平穏がある場所ではなく,そこから解放される場所の方だ.

東京での短い滞在時間の間に,物件を見て回って契約を済ませ,NHKの向かいにあるスタバでアイス・ラテを飲み,お世話になっている先生にご挨拶に行き,お魚のおいしい居酒屋に連れて行ってもらったりした.

先生はいつも忙しい人で,いつも,何かの仕事の「締め切り」に追われている人である. 「その仕事の締め切りはいつですか?」とたずねると,たいてい,「先週の金曜日」とか「先々週の木曜日」とか「先月」というように,「先」のつく答が返ってくる. 過ぎてるやん. 最近は,原稿の取立て屋(という職種が世の中にはあるらしい)が毎週決まった日に研究室にやって来て,そばでじーっと待っているのだという. こわーい. 「取立て屋」という言葉の中に,何かタダゴトではない切迫感と危機感が感じられた. 

その後,科研の申請や研究の話などをする. 前職で「若手研究B」という研究費をいただいていたのだが,最近,これに加えて「若手研究スタートアップ」という研究費ができたらしく,3年外国に出ていたこともあり応募できるんじゃないか応募したほうがいいよ応募すべきだよ応募じゃー応募するのじゃというご助言をいただく. わたしはもう若手じゃないと思っていたが,日本学術振興会のHPを見ると,まだ「若手研究スタートアップ」に応募できるくらい自分は若手であることが分かった. この業界では,自分のような年齢でもまだ「若手」であり得るのである. 若手じゃー若手なのじゃ. 若手であり得るということは,それだけチャンスも拡がるということである. まことにありがたいことであり,このチャンスをできることならつかみたいと思うし,つかまなければならないと思う. 

いつも忙しい先生は,食事が終わった後も仕事の続きをするといって大学に帰っていった. いつも忙しいこの先生は人を好きになったりすることがあるだろうか,あるいは過去にあったのだろうかとふと思った. いつも忙しい先生のことをわたしは尊敬しているけれど,先生とわたしの間には,「ひとつの日常性」と「もうひとつの日常性」を隔てる関ヶ原の線のごとく,何か越えられない大きな壁があり,決して交わることのない別の世界の人間同士であるような気がして,わたしはそのことを少し悲しく思うことが以前はあったような気がするけれど,今は,人は有限の時間の中で知りえたすべての人と交わりあえるわけではないということを理解できるようになっているし,今回,先生とお会いしてそのことをさらに強く認識した.

そんなことも含めて,東京での短い滞在時間は,すべての日常性からの解放の感覚を呼びさまし,ぬるま湯につかっていた自分に喝を入れ,自分の気持ちを前に向けさせた.

わたしは出発しなければならない.

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