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バレンタイン・デーだったので

この間2月になったと思ったら,もう中旬を過ぎてしまった.

時間が過ぎるのは本当に速い.

その瞬間はたちまち過ぎ去りすぐに「過去」になってしまう. 同じ出来事は二度と繰り返されず,失われし時は求めても再び手に入れることはできない. 人生の時間は非可逆的で,一方向に進む有限の直線あることをしみじみと感じてしまう. 

2月に入り,わたしはその間に,誕生日を迎えまた一歳年を取り,運転免許を更新し,ソフトバンクで携帯電話を購入し,ハワイで伸ばしっぱなしだった髪をきれいにカットしてもらい,来学期の授業のシラバスを完成させ,教科書を業者さんに注文し,大学から送られてきた雇用契約書に署名をして印鑑を押したりした. どれも,二度と繰り返されない,かけがえのない,一回性の瞬間の積み重ねである.

Feb16_016 先週末はバレンタイン・デーだったので,図書館に行った.

 「バレンタイン・デーだったので」と「図書館に行った」の間に論理関係が成立しているのかは不明だけれど. 別にバレンタイン・デーじゃなくても,図書館には行っているわけであるし. 他に行くところないんかいという感じだが. でも,図書館は自分にとって心のオアシスであり自分がいちばん好きな場所でもある. だから,「バレンタイン・デーだったので」と「図書館に行った」の間には,順接の関係が立派に成立しているのである. まぁごちゃごちゃ言わんでよろしい.

神戸に帰ってくると,出身大学の図書館に行くことが多い.

バレンタイン・デーの日は,2月とは思えないくらい暖かな春風が吹いていて,きれいにカットしてもらって軽くなった髪と同様,心も軽くなった気がして,いつもは鶴甲団地行きバスに乗る大学までの長い距離を,歩いてみることにした.

大学は六甲山のふもとにある. JR六甲道駅を出て,フォレスタ六甲というデパートを通り抜けると,小さな商店街があって,その入り口にはミスタードーナツ(ミスド)がある. わたしは,学生時代,このミスドのいちばん奥のテーブルで,よく勉強したものである. 当時のミスドは,コインを削って10ポイントためるともれなく景品がもらえるというスクラッチカード制で,その10ポイントを貯めることにはそれほどの忍耐と根気を要しなかったため,何度か通っているうちに自然にポイントが貯まり,すてきな景品を比較的容易にそして頻繁にゲットすることができた. 当時は,景品の質も高く,紅茶ポットとカップ,そしてカレー皿は今でも愛用品のひとつとなっている. 現在,ミスドでは,そのスクラッチカードが廃止され,ポイントカードが導入されているのだけれども,景品をゲットするためには,気の遠くなるくらいの忍耐と根気が要求され,しかも,やっとの思いで目標ポイントを達成したとしても,もらえる景品はあまり大したことないという矛盾点の多いシステムになっている. わたしは,このミスドに導入された新制度に対しては納得のいかない点が多く,前のスクラッチカードがよかったのに!とぐずり続けているモンスター・カスタマーの一人である. まぁごちゃごちゃ言わんでよろしい.

その商店街を抜けて,山手幹線を渡ってまっすぐ歩き続けると,平清盛ゆかりの八幡神社がある. 八幡神社の前を通り,さらに歩き続けると阪急六甲駅がある. 阪神大震災で壊滅的打撃を受けた阪急六甲駅はその後大きく様変わりした. 立派な陸橋ができて,踏み切りを渡らずに楽に駅に行けるようになった. 阪急六甲駅の近くには「ポエム」という小さなパン屋さんがあって,わたしはここのハムロールパンが大好きだった. わたしは確か大学院生のとき,ここでいつものようにハムロールパンを買って店を出てきたところで,某テレビ局のインタビューを受けたことがある. インタビューというよりは,当時の経済ニュースに関する知識を試す問題に答えるというもので,神戸の大学生がバブル崩壊後の経済にどのくらい敏感であるかを知るという趣旨のものだった. その番組は,当時関西ローカルで放送されていた『紳助のサルでも分かるニュースクイズ』という番組だった. サルで悪かったですね. わたしの正解率は高い方だったと思う. しかし,実際の放送を見てみると,割と長い時間を拘束された割には大部分がカットされていて,一方的な編集の仕方にやや不満が残った. というか,タレントかい. 

「ポエム」からさらに歩き続け,六甲登山口の交差点を渡ると,急な坂道が大学の正門まで続く. 阪神大震災前,この道は,人が一人しか通れないくらい狭くて,4限が終わった16時10分以降は,駅に向かう学生が長い行列を作ってこの道を歩いていた. 震災後は,区画整理が行われて道が広くなり,前を歩いている人をいとも簡単に追い越すことができるようになった.

昔は人が一人しか通れなかったこの狭い道で,白いワンピースを着た美しい女性を見かけた日のことをわたしは今でも鮮明に覚えている. それは,大学の入学式の日,わたしが18歳のときのことだった. その女性は,スレンダーで,背が高く,華やかで,白いワンピースがやけに似合っていて,わたしには,その女性が限りなく美しいと思われた. わたしは後ろからその女性を眺めながら,この人は自分のような公立高校の出身者ではなく,いわゆるお嬢様学校といわれる私立女子高の出身であるに違いないと勝手に推測をした(結果的に,その推測は当たっていた). それまでの学校生活の中で,このような華やかな雰囲気を漂わせている美しい女性と出会ったことがなかったからである. また,その当時は,いわゆる「お嬢様ブーム」だったこともあって,公立高校に通う女子は,私立の女子高の女子に対して果てしない憧れを抱いていたのである. その「スレンダーで,背が高く,華やかで,白いワンピースがやけに似合っていた」女性が,入学式の後,自分が入った教室の2つか3つ後ろの席に座っているのを見たとき,わたしは大きな衝撃を受けた. 大学へ向かう狭い道で見かけた「限りなく美しい」女性は,自分と同じ大学の学生で,しかも自分と同じクラスだったのである.

その後,わたしはその「スレンダーで,背が高く,華やかで,白いワンピースがやけに似合っていた」女性とすぐに友達になり,一緒にハワイ島へ行ったり,一緒に神戸オリエンタルホテルでアルバイトをしたりした. 大学を卒業してからも,その女性が当時付き合っていたアメフト部所属で文武両道のかっこいい男性と結婚してからも,変わらず友人関係は続いていて,今では,自分のことを素直に語れるかけがえのない存在となっている. ちなみに,わたしがその女性のことを「限りなく美しい」と感じていた入学式の日,その女性の方は,わたしのことを「この人はほんとに18歳なのだろうか?」と思っていたそうである. 当時のわたしはやけに大人びていて,アルバイト先で,「歳いくつ?」と聞かれ「18歳です」と答えると,「またまた~冗談きついで~」と言われ,お笑いのツッコミのときにするように頭をコツンと叩かれたりした. 成人式のときは,晴れ着姿のあまりの初々しさのなさに,同級生の男子から「飲み屋のチーママかい」とツッコミを入れられたりした. そんないわれのない年齢詐称疑惑に傷つた思い出を共有できるのも,今では,その女性だけになっている. 

そんな思い出のつまった昔は人が一人しか通れなかった狭い道を抜けて,やっと大学に到着した. JR六甲道駅を出てから約30分が経過していた. 息切れがひどい. ゼーゼー. 軽い山登りをしたような気分である. あまりに息切れがひどく,そのうち,ゼーゼーがガーガーになる. カモかい. 学生時代はこんなに息切れすることなかったのに(しかも音声がガーガーになるまで). 息切れの激しさとともに,長い年月の重みを感じてしまった.

図書館では,英語の論文を読むつもりだったのだが,なんか書いてあることがどうしようもなくくだらないことに思えて,読むのをやめてしまった. ずっとハワイにいたらずっと同じことを続けていたのでこんなふうに感じることはなかったと思うのだが,日本に帰国してから,ずっと続けていた歩みをしばらくストップしてしまったこともあり,必要以上に客観的分析を加えるようになってしまい.これまで重要だと思い続けていた諸々の学術活動が何だかとてもくだらないものに思える瞬間があるのである. そんなわけで,図書館で,加藤周一氏の『日本文化における時間と空間』と『羊の歌』と『続・羊の歌』を借りてきた. しばらく外国で暮らしていたので,日本語の活字に親しみを感じるし,日本語の美しい文体と言葉に引きつけられる. そして,あらゆることが起こる文学の世界に身を置くことで,その瞬間だけわたしは現実から遠く離れた想像の世界へ逃れることができるのである. 

Feb15_002  帰りは,JR六甲道駅から普通電車に乗り,神戸駅で降りて阪急百貨店に行った. 特別用事があったわけではないのだが,何となく新しいピアスが欲しくなったのである. バレンタイン・デーですし. この二文には論理関係が成立しているだろうか. まぁごちゃごちゃ言わんでよろしい. BLOOMというアクセサリーショップで,その美しさと上品さに引きつけられながらピアスをひとつひとつ手にとって見ていると,店員さんがピタリとわたしの横に立ち,わたしがピアスを手に取るたびに,「そちらはハート型になりますぅ~」とか「そちらはリボン型になりますぅ~」とか,女性販売員さん独特の甘い声で説明をしてくださる. これはどうもご丁寧に. というか,ハートもリボンも言われんでも分かるちゅうねんとツッコミを入れたくなる. そんなことを思いつつ,四つ葉のクローバーのピアスを手に取ってみると,すかさず,「そちらは四つ葉のクローバー型になりますぅ~」と説明される. というか,四つ葉のクローバー知っとるちゅうねん. やれやれ. というか,そんな金魚のフンみたいにぴったりくっついて横に立たれてたら落ち着いて見られへんやんかと思う. 日本のサービスの質は世界一であると一般的に言われるが,外国から戻ってくると,それがtoo muchなものに思えてしまう. でも,日本のピアスは,とにかくデザインのセンスが良く,上品で,とてもかわいい. 気に入ったピアスがいくつかあり,何とか二つにまでしぼったものの,二者択一の決断が困難を極め,結局,二つとも購入した. 購入したのは,四つ葉のクローバーとリボンのピアスになりますぅ~. 分かっとる.

こうした一日の出来事も,そのひとつひとつが,二度と繰り返されない瞬間であり,一回性の現象である. 学生時代の六甲道から大学までの道のりで起きた数々の出来事が,その後の自分を作り出していったように,出来事相互の関係は実は密接で因果論的でありうる. バレンタイン・デーだったので図書館に行き,加藤周一氏の著を借り,帰りに寄り道してピアスを買うという一連の出来事も,実は密接に関係し合っていて,ひとつのかけがえのない瞬間を作り出し,明日の自分を生み出すきっかけとなっている. 

一回性ゆえに価値があるという時間の重みを感じたバレンタイン・デーの一日.

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