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未来は未知であるからこそ

Feb13_008  来年度担当する授業のシラバスがようやく完成した.

 明日がシラバス提出の締切日. ギリギリセーフである.

 ちょっと息抜きに神戸メリケンパークを散歩してきた. ああ神戸に帰ってきたんだなと思った. 

 シラバスは,まだ見たことのない学生を想定して書かなければいけないということで,ちょっと大変だった.

面接のときに熱く語らせていただいた「私が考える大学での言語教育」は,面接のときには,「それは面白いですね」という反応を示していただけたけれど,実際に採用され,内部事情を聞くにつれ,どうも「私が考える大学での言語教育」は,リトルリーグで野球をしている少年たちに突然,アメリカメジャーリーグ並みのパフォーマンスを期待するような非・現実的なものであるらしいことが分かってきた. リトルリーグでがんばっている少年たちに,「さぁ若き野球少年よ,イチローのごとく打つのじゃ,そして走るのじゃ」と要求してもうまくいくはずはないことは明らかである.

そんなわけで,「私が考える大学での言語教育」の方向性は大幅に修正せざるを得なくなった. "English as a Second Language (ESL)"のコンテクストでうまくいくであろうことが,必ずしも"English as a Foreign Language (EFL)"のコンテクストでうまくいくとは限らない,という理想と現実の乖離に,早速直面してしまった. しかし,現場の状況をしっかりと把握し,現場とそれを取り巻く社会的なニーズに合った授業を提供することは何よりも優先されなければならない.

ところで,シラバスを書きながら,「なんか気持ち悪い」と感じた点がある.

「シラバス(syllabus)」というのは,「この授業の目的はこういうことで,毎回の授業ではこんなことをして,あなたの成績はこんな基準で評価されて,この授業を履修するとこんなことができるようになって,こんないいことがあるんですよ」という,授業概要や達成目標、各回毎の授業内容が明確に記載された,授業担当教員と学生とのいわば「契約書」のようなものである.

「なんか気持ち悪い」と感じたのは,「この授業を履修するとこんなことができるようになって,こんな『いいこと』があるんですよ」という利益誘導で,自分が学生を学習に向かわせようとしている気がしたからである. 利得という「にんじん」をぶらさげて学生を学習に導かせるのは果たして正しいやり方なのだろうかと.

授業を受けた結果,学生が何を得たと感じるか,それをどう生かしていくのかは,学生一人ひとり違うような気がする. 「こんな『いいこと』があるんですよ」とシラバスに書いたとしても,同じ授業を受けたからといって,学生40人が40人とも同じように育っていくということはまずありえない. つまり,授業を受けた結果得られる「利得」は,未知数なのである. ガードナーは,「実利的な動機を与えれば人は学習する」という「道具的動機付け」という理論を提唱しているけれど,すでに見えてしまっている未来に向かって歩みを進めるというのは,ひとつのやり方ではあると思うがそれだけではないような気がする. なぜなら,未来は未知だからこそ,人はそれを知りたいと思ったり,まだ見ぬ希望をそこに重ねようとしたりするのであって,未来が未知だからこそ,人は学ぶ意欲を持ったり,生きる意欲を持てるのではないかと思うからである.

内田樹先生は,「学び」について次のように述べている.

「学び」というのは,「学ぶことの有用性や意味があらかじめわかったので、学び始める」というようなかたちでは始まらない. 「学び」というのは,「その有用性や意味がわからないもの」(私たちの世界はそのようなもので埋め尽くされている)の中から,「私にとっていずれ死活的に有用で有意なものになることが予感せらるるもの」を過たず選択する能力なしには起動しない(内田,2009).

この「あらかじめその有用性が分かった上でアクションを起こす」というのは「商品購入のスキームである」と内田先生は述べている.

つまり,人間が効用,不効用で行動を選ぶという近代経済学の考え方が,教育業界にまで侵食し始めている,ということを内田先生はおっしゃっているのだと思う(たぶん).

この「商品購入のスキーム」に関連した面白い広告をつい数日前に見つけた. わたしは,この頃,日本に帰ってきてあまりにもテレビ番組がつまらないので,スカイパーフェクトTV(スカパー)に加入することを考えているのだが,ふと新聞誌上で見つけたスカパーのキャンペーン広告に目を奪われた.

「猪木の闘魂注入ビンタプレゼント!」

というものである. キャンペーン中にスカパーに加入すると,抽選で10名の方に,アントニオ猪木の「闘魂注入ビンタ」がプレゼントされるというのである.

これは,まさしく「商品購入のスキーム」である. つまり,「猪木の闘魂注入ビンタ」という「利得」あるいは「にんじん」をぶらさげて,消費者をスカパー加入へと導くのである.

といっても,わたし的には,この「抽選で10名様」にはできれば選ばれたくないという思いがあるのだが. せっかく加入してやったのになぜビンタをくらわなければならないのだと思うし,猪木のビンタは半端じゃなく痛そうだ. しかも,普通のビンタじゃなく闘魂注入ビンタなのである. いらん.

しかしながら,日本の男性の中には,「猪木は最強だ猪木は世界一だ」という信憑を刷り込まれている熱狂的な猪木ファンがいることを,わたしは知っている. 以前勤めていた学校で同僚だった英語のS先生は,高校生に英語を教えるときの例文に必ず「燃える闘魂イノキ」を登場させる熱狂的猪木ファンだった. たとえば,"Inoki is stronger than any other wrestler in the world.(イノキは誰よりも強い)","Inoki is the strongest wrestler in the world.(イノキは世界一強い)"といったふうに,とりあえずイノキ使っとこうという感じで比較級と最上級を教えるのである. こうして,S先生のクラスの学生は,燃える闘魂イノキの存在を明快に感じながら英語を習得していったのである. ダーっ! もうひとりの熱狂的猪木ファンは,幼ななじみのKちゃんのご主人のケイタ君である. Kちゃんはわたしが留学中によくお手紙をくれた. その手紙の片隅には,いつもご主人のケイタ君からのささやかなメッセージが書かれていた. 「さっちゃんにエールを送ります.元気があれば何でもできる!1,2,3,ダーっ!」というものだった. わたしは,孤独な留学期間中,このケイタ君の「1,2,3,ダーっ!」に何度励まされたことだろうか. ところで,わたし的には,猪木の1,2,3ダーっ!もいいが,猫ひろしの1,2,3,ニャーっ!も結構好きだったりする. ニャーッ!

話が逸れてしまったのだが,「抽選で10名様に猪木の闘魂注入ビンタプレゼント!」が,S先生やケイタ君のような熱狂的猪木ファンを,スカパー加入へと導く「にんじん」としての機能を果たす可能性は極めて高い. 

しかし,このような「商品購入のスキーム」が,学びの場であるはずの教育現場にまで侵食していくことはよろしくないことだとわたしは思っている. 「この授業を受けるとこんな『いいこと』がありますよ」という,授業を受けた結果得られるであろう有用性を最初に強調してしまうと,そこに向かって歩みを進めていた学生は,知識や技術を習得するということよりはむしろ,それによって得られる資格とか収入とか職業といった何か「目に見えて分かるやすいもの」の方に照準を合わせるようになるような気がする. つまり,「これをするとこんな利得がついてくる」というような「交換の原理」でしか学ぶ目的を考えなくなる危険があるのではないかと思うのである. 

こうした合理主義的な学習方法を身につけてしまうと,長い時間をかけて苦しい思いもしながら知識や技術を習得することは,効率が悪く頭のよい人間がすることではないと考えたり,知識や技術を習得することそのものではなく,そのための最も効率的で最も最短なルートは何かということを考えたりする人が必ず出てくるような気がする. 

内田先生は,「『その有用性や意味のわかる知識や技能だけ』では私たちは困難を生き延びてゆくことができない」と述べている. 「子どもたちの中に芽生えようとしている『意味のわからないものの意味が予見できる力、有用性がいまだ知れないものの潜在的な有用性がかすかに感知できる力』」を育てることが学びの目的であると.

Feb13_007 未来は未知だからこそ面白い. 

 何の役に立つかは今は分からない. でも,いつか自分の道を切り開く助けとなりきっかけとなる.

 ということをシラバスに書けたらいいのにと思った.

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コメント

新しい講義を立ち上げるのは大変ですよね。で、実際にやってみると教えたいことと学生のレベルとがミスマッチしていたりしてへこみます。最近になってようやくこれくらいのレベルの講義を展開すればよいのだな、ということがうっすらとわかりはじめてきました。

投稿: しらいし | 2009年2月13日 (金) 06:59

私は授業のシラバスを作るとき、生徒との契約書ではなく上との契約書の気がしています。上に提出する義務があるからでしょうか。ちゃんとカリキュラムにあること全部カバーします。逆らいません、とオフィシャルに誓約している気がします。
SATCHYさんのおっしゃる、「何の役に立つかは今は分からない. でも,いつか自分の道を切り開く助けとなりきっかけとなる.」と似たようなことを以前インタビューで言ってしまったことがあります。質問は「あなたにとってESL生の成功とは何ですか?」というものでした。よく考えたらフルタイムの仕事のインタビューの場で、その瞬間は結果が出なくてもあとあとになって英語学習につながればいいのではないでしょうか・・・なんて悠長なことを言ったので落ちるのはあたりまえです。でも、教育とは早く・安く・大量に作れるものじゃないような気がします。特に大学生以上の年齢の方の学習はそんな簡単じゃないと思います。残念ながら経済の問題、人口の問題等々で高等教育がビジネスモデル的になっているようです。私の職場でもファーストフード的英語学習&成果なんてないと思うんですけど、皆安い・早い・高品質を求めてられています。残念です。

投稿: tressoles | 2009年2月13日 (金) 16:00

【しらいしさん】
そうですね,簡単すぎて退屈させてもいけないし,逆に,難しすぎてちんぷんかんぷんになってしまってもいけないし,どのレベルに照準を合わせて講義を展開するかはとても難しい問題ですね.最近は,AOや推薦など入試が簡略化されてきていることもあって,中3レベルの英語力で大学まで来てしまった学生も多いと聞きますが,実際のところどうなのかは,やはり授業を始めてみないと分からないですし.

まぁ大学生なのですし,時には難しいことにもチャレンジしていただいて,人生の曲がり角には思わぬ不幸が待ち受けているのだという現実も学んでほしいと思いますね.鬼教師.

【tressolesさん】
ESL生にとっての成功は何ですかという問いはとても奇妙な質問ですよね….授業というのは一回限りのもので,そのとき学んだことが成功につながるかどうかは,その時点との関係においてではなく,未来の出来事との関係において決まるものだと思います.40人の顔がみんな違うように,成功の意味も40人みんな違う答を持っているように思います.interviewerの方はどんな答を期待していたのかなぁ….tressolesさんのご返答は間違っていなかったとわたしは思います.

効率重視のビジネスモデルが教育業界にふさわしいものなのかについては,わたしも疑問を感じます.数値的に効果が示されなければその教育プログラムは無価値であると結論付けるような教育ビジネスはとても危険であると思います.

投稿: satchy | 2009年2月14日 (土) 22:05

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