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もうひとつの日常性へ

Feb27_001

 東京駅から新幹線に乗る.

 名古屋駅を過ぎ,米原あたりに来ると,なじみのある空間が窓の外に拡がり,あー帰ってきたーという気持ちになる. 「天下分け目の関ヶ原」と言われるように,この場所には,気持ちの上でも,「ひとつの日常性」と「もうひとつの日常性」とを隔てる線があるように思う. 神戸を出て東京へ向かうときには,すべての日常性から決定的に解放されて,「もうひとつの日常性」との接触に大きな期待や希望を感じるし,東京を出て神戸へ向かうときには,「もうひとつの日常性」と決定的に別れ,住みなれた町の空間が拡がる日常性との接触に,安心と平穏を心の中に感じる.

住みなれた空間が拡がる「ひとつの日常性」も,そこから解放されて接触する「もうひとつの日常性」のどちらも好きだけれど,自分の気持ちを前へ前へと向かわせるのは,安泰と平穏がある場所ではなく,そこから解放される場所の方だ.

東京での短い滞在時間の間に,物件を見て回って契約を済ませ,NHKの向かいにあるスタバでアイス・ラテを飲み,お世話になっている先生にご挨拶に行き,お魚のおいしい居酒屋に連れて行ってもらったりした.

先生はいつも忙しい人で,いつも,何かの仕事の「締め切り」に追われている人である. 「その仕事の締め切りはいつですか?」とたずねると,たいてい,「先週の金曜日」とか「先々週の木曜日」とか「先月」というように,「先」のつく答が返ってくる. 過ぎてるやん. 最近は,原稿の取立て屋(という職種が世の中にはあるらしい)が毎週決まった日に研究室にやって来て,そばでじーっと待っているのだという. こわーい. 「取立て屋」という言葉の中に,何かタダゴトではない切迫感と危機感が感じられた. 

その後,科研の申請や研究の話などをする. 前職で「若手研究B」という研究費をいただいていたのだが,最近,これに加えて「若手研究スタートアップ」という研究費ができたらしく,3年外国に出ていたこともあり応募できるんじゃないか応募したほうがいいよ応募すべきだよ応募じゃー応募するのじゃというご助言をいただく. わたしはもう若手じゃないと思っていたが,日本学術振興会のHPを見ると,まだ「若手研究スタートアップ」に応募できるくらい自分は若手であることが分かった. この業界では,自分のような年齢でもまだ「若手」であり得るのである. 若手じゃー若手なのじゃ. 若手であり得るということは,それだけチャンスも拡がるということである. まことにありがたいことであり,このチャンスをできることならつかみたいと思うし,つかまなければならないと思う. 

いつも忙しい先生は,食事が終わった後も仕事の続きをするといって大学に帰っていった. いつも忙しいこの先生は人を好きになったりすることがあるだろうか,あるいは過去にあったのだろうかとふと思った. いつも忙しい先生のことをわたしは尊敬しているけれど,先生とわたしの間には,「ひとつの日常性」と「もうひとつの日常性」を隔てる関ヶ原の線のごとく,何か越えられない大きな壁があり,決して交わることのない別の世界の人間同士であるような気がして,わたしはそのことを少し悲しく思うことが以前はあったような気がするけれど,今は,人は有限の時間の中で知りえたすべての人と交わりあえるわけではないということを理解できるようになっているし,今回,先生とお会いしてそのことをさらに強く認識した.

そんなことも含めて,東京での短い滞在時間は,すべての日常性からの解放の感覚を呼びさまし,ぬるま湯につかっていた自分に喝を入れ,自分の気持ちを前に向けさせた.

わたしは出発しなければならない.

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東京

Feb24  東京.

 ここには人がたくさんいる.

 絶え間なく流れるように人が歩いてくるということが,異様な,不思議な光景であるように,感じられた.

 他の場所では感じることのない独特の活気を,あらためて強く,身の廻りに感じた.

3年前もここに住んでいたのだけれど,その後,絶海の孤島で長年過ごした経験を積んだ今は,この光景が違ったものに感じられる. 

3年前ここで暮らしていたときは,わたしは東京があまり好きじゃないと思っていた. でも,今は,ここが好きだと思う. 

周囲から聞こえてくる標準語も,今は心地よく感じられる. 渋谷駅で,携帯電話で話していた若い男子が「まじー?ばっかじゃねーのっ?」と言っていた. 関西の男子なら「ゲーほんま?アホちゃうか?」と言うだろうと思った(文頭の「ゲー」はあってもなくてもよい). 関西では,「バカ」より「アホ」が好まれるのである. どちらでもいいと思うが,誠に不思議な現象である. しかし,よく考えてみると,自分がもし誰かに「まじー?ばっかじゃねーの?」とか言われたとしたら,何じゃこいつとか思っていたかもしれない. バカを除けば…たとえば,東京の男性が終助詞の「ね」を流暢に使いこなす場面に遭遇したときなどは(「ちょっと待っててね」とか),わーすてきと思える. 

それはともかく.

家探しは思いの外,スムーズに進んだ. 

不動産会社の人々の対応も実に丁寧で決め細やかで感動した. 事務的な手続きがこんなにもスムーズに,そして気分を害さずに進行するということは,ハワイではまず在り得ないことだった. 物件の説明を受けている間,あたたかいお茶を出してくれたりした. とっさに,このサービスにはチップがいるのかい?と思ってしまった. でも,アメリカ人が発する「チップくれるまで帰りませんよ,はよ払えよオイコラ」的な圧力を感じることもなく,「いただきます」と言ってあたたかいお茶をいただくことができた. 人が入れてくれたお茶っておいしい. だいたい受けるサービスがすべてチップで換算されなければならないなんて馬鹿げた合理主義だと思う. 腹立ってきたばーか. 

その不動産会社の壁をふと見ると,社訓が貼ってあって,「闘志の高揚! お客様を泣かせるな!」とあった. これまた熱い社訓で. しかし,あまりに闘志が高揚しすぎると,お客様は恐怖で泣いてしまうのではないかと推測するのだが,この二つの社訓の間に矛盾はないのだろうか. まぁ何でもいいですけれど. とても日本的な社訓だなと思いつつ,この徹底した「おかげさま」精神が成立する国は,日本以外にないのではないかと思った. 日本は,プライスレス(priceless)な価値のあるものを大事にする国なのかもしれない.

来月から暮らすことになるマンションは,駅から15分歩かなければならないことを除けば,豊かな人間生活の実現を可能にする理想的な物件である. まず,先月完成したばかりの新築であるという点. そして,広いリビングに加えて広いキッチンがついていて,広いバスルームがついているという点. ハワイでは,キッチンとバスルームが共同の寮に住んでいたので,不便が多かった. 誰かがバスルームを使っているときは,終わるまで待たなければならなかったし,夜遅くに帰って1階の共同キッチンに下りていって料理をするということがひどく面倒なことに思えて,そのうち共同キッチンを使うことがなくなり,部屋で簡単に作れるもの(サラダとか)を食べて何とか生命を維持していたような状態だったので,自分のお部屋にバスルームとキッチンがついているということが,とてもありがたいことに思える. もうサラダばかりじゃなく,好きなものが毎日食べられる. とてもうれしい. 大きな冷蔵庫が欲しくなってきた. 

自分の国のいろいろなことが,ハワイでの生活との比較を通して,これまでとは違う視点で考えられるようになったし,同じものがもはや同じではなくなっていることに気がつく.

現在の意味は,過去の経験によって決まるのだということを感じる.

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バレンタイン・デーだったので

この間2月になったと思ったら,もう中旬を過ぎてしまった.

時間が過ぎるのは本当に速い.

その瞬間はたちまち過ぎ去りすぐに「過去」になってしまう. 同じ出来事は二度と繰り返されず,失われし時は求めても再び手に入れることはできない. 人生の時間は非可逆的で,一方向に進む有限の直線あることをしみじみと感じてしまう. 

2月に入り,わたしはその間に,誕生日を迎えまた一歳年を取り,運転免許を更新し,ソフトバンクで携帯電話を購入し,ハワイで伸ばしっぱなしだった髪をきれいにカットしてもらい,来学期の授業のシラバスを完成させ,教科書を業者さんに注文し,大学から送られてきた雇用契約書に署名をして印鑑を押したりした. どれも,二度と繰り返されない,かけがえのない,一回性の瞬間の積み重ねである.

Feb16_016 先週末はバレンタイン・デーだったので,図書館に行った.

 「バレンタイン・デーだったので」と「図書館に行った」の間に論理関係が成立しているのかは不明だけれど. 別にバレンタイン・デーじゃなくても,図書館には行っているわけであるし. 他に行くところないんかいという感じだが. でも,図書館は自分にとって心のオアシスであり自分がいちばん好きな場所でもある. だから,「バレンタイン・デーだったので」と「図書館に行った」の間には,順接の関係が立派に成立しているのである. まぁごちゃごちゃ言わんでよろしい.

神戸に帰ってくると,出身大学の図書館に行くことが多い.

バレンタイン・デーの日は,2月とは思えないくらい暖かな春風が吹いていて,きれいにカットしてもらって軽くなった髪と同様,心も軽くなった気がして,いつもは鶴甲団地行きバスに乗る大学までの長い距離を,歩いてみることにした.

大学は六甲山のふもとにある. JR六甲道駅を出て,フォレスタ六甲というデパートを通り抜けると,小さな商店街があって,その入り口にはミスタードーナツ(ミスド)がある. わたしは,学生時代,このミスドのいちばん奥のテーブルで,よく勉強したものである. 当時のミスドは,コインを削って10ポイントためるともれなく景品がもらえるというスクラッチカード制で,その10ポイントを貯めることにはそれほどの忍耐と根気を要しなかったため,何度か通っているうちに自然にポイントが貯まり,すてきな景品を比較的容易にそして頻繁にゲットすることができた. 当時は,景品の質も高く,紅茶ポットとカップ,そしてカレー皿は今でも愛用品のひとつとなっている. 現在,ミスドでは,そのスクラッチカードが廃止され,ポイントカードが導入されているのだけれども,景品をゲットするためには,気の遠くなるくらいの忍耐と根気が要求され,しかも,やっとの思いで目標ポイントを達成したとしても,もらえる景品はあまり大したことないという矛盾点の多いシステムになっている. わたしは,このミスドに導入された新制度に対しては納得のいかない点が多く,前のスクラッチカードがよかったのに!とぐずり続けているモンスター・カスタマーの一人である. まぁごちゃごちゃ言わんでよろしい.

その商店街を抜けて,山手幹線を渡ってまっすぐ歩き続けると,平清盛ゆかりの八幡神社がある. 八幡神社の前を通り,さらに歩き続けると阪急六甲駅がある. 阪神大震災で壊滅的打撃を受けた阪急六甲駅はその後大きく様変わりした. 立派な陸橋ができて,踏み切りを渡らずに楽に駅に行けるようになった. 阪急六甲駅の近くには「ポエム」という小さなパン屋さんがあって,わたしはここのハムロールパンが大好きだった. わたしは確か大学院生のとき,ここでいつものようにハムロールパンを買って店を出てきたところで,某テレビ局のインタビューを受けたことがある. インタビューというよりは,当時の経済ニュースに関する知識を試す問題に答えるというもので,神戸の大学生がバブル崩壊後の経済にどのくらい敏感であるかを知るという趣旨のものだった. その番組は,当時関西ローカルで放送されていた『紳助のサルでも分かるニュースクイズ』という番組だった. サルで悪かったですね. わたしの正解率は高い方だったと思う. しかし,実際の放送を見てみると,割と長い時間を拘束された割には大部分がカットされていて,一方的な編集の仕方にやや不満が残った. というか,タレントかい. 

「ポエム」からさらに歩き続け,六甲登山口の交差点を渡ると,急な坂道が大学の正門まで続く. 阪神大震災前,この道は,人が一人しか通れないくらい狭くて,4限が終わった16時10分以降は,駅に向かう学生が長い行列を作ってこの道を歩いていた. 震災後は,区画整理が行われて道が広くなり,前を歩いている人をいとも簡単に追い越すことができるようになった.

昔は人が一人しか通れなかったこの狭い道で,白いワンピースを着た美しい女性を見かけた日のことをわたしは今でも鮮明に覚えている. それは,大学の入学式の日,わたしが18歳のときのことだった. その女性は,スレンダーで,背が高く,華やかで,白いワンピースがやけに似合っていて,わたしには,その女性が限りなく美しいと思われた. わたしは後ろからその女性を眺めながら,この人は自分のような公立高校の出身者ではなく,いわゆるお嬢様学校といわれる私立女子高の出身であるに違いないと勝手に推測をした(結果的に,その推測は当たっていた). それまでの学校生活の中で,このような華やかな雰囲気を漂わせている美しい女性と出会ったことがなかったからである. また,その当時は,いわゆる「お嬢様ブーム」だったこともあって,公立高校に通う女子は,私立の女子高の女子に対して果てしない憧れを抱いていたのである. その「スレンダーで,背が高く,華やかで,白いワンピースがやけに似合っていた」女性が,入学式の後,自分が入った教室の2つか3つ後ろの席に座っているのを見たとき,わたしは大きな衝撃を受けた. 大学へ向かう狭い道で見かけた「限りなく美しい」女性は,自分と同じ大学の学生で,しかも自分と同じクラスだったのである.

その後,わたしはその「スレンダーで,背が高く,華やかで,白いワンピースがやけに似合っていた」女性とすぐに友達になり,一緒にハワイ島へ行ったり,一緒に神戸オリエンタルホテルでアルバイトをしたりした. 大学を卒業してからも,その女性が当時付き合っていたアメフト部所属で文武両道のかっこいい男性と結婚してからも,変わらず友人関係は続いていて,今では,自分のことを素直に語れるかけがえのない存在となっている. ちなみに,わたしがその女性のことを「限りなく美しい」と感じていた入学式の日,その女性の方は,わたしのことを「この人はほんとに18歳なのだろうか?」と思っていたそうである. 当時のわたしはやけに大人びていて,アルバイト先で,「歳いくつ?」と聞かれ「18歳です」と答えると,「またまた~冗談きついで~」と言われ,お笑いのツッコミのときにするように頭をコツンと叩かれたりした. 成人式のときは,晴れ着姿のあまりの初々しさのなさに,同級生の男子から「飲み屋のチーママかい」とツッコミを入れられたりした. そんないわれのない年齢詐称疑惑に傷つた思い出を共有できるのも,今では,その女性だけになっている. 

そんな思い出のつまった昔は人が一人しか通れなかった狭い道を抜けて,やっと大学に到着した. JR六甲道駅を出てから約30分が経過していた. 息切れがひどい. ゼーゼー. 軽い山登りをしたような気分である. あまりに息切れがひどく,そのうち,ゼーゼーがガーガーになる. カモかい. 学生時代はこんなに息切れすることなかったのに(しかも音声がガーガーになるまで). 息切れの激しさとともに,長い年月の重みを感じてしまった.

図書館では,英語の論文を読むつもりだったのだが,なんか書いてあることがどうしようもなくくだらないことに思えて,読むのをやめてしまった. ずっとハワイにいたらずっと同じことを続けていたのでこんなふうに感じることはなかったと思うのだが,日本に帰国してから,ずっと続けていた歩みをしばらくストップしてしまったこともあり,必要以上に客観的分析を加えるようになってしまい.これまで重要だと思い続けていた諸々の学術活動が何だかとてもくだらないものに思える瞬間があるのである. そんなわけで,図書館で,加藤周一氏の『日本文化における時間と空間』と『羊の歌』と『続・羊の歌』を借りてきた. しばらく外国で暮らしていたので,日本語の活字に親しみを感じるし,日本語の美しい文体と言葉に引きつけられる. そして,あらゆることが起こる文学の世界に身を置くことで,その瞬間だけわたしは現実から遠く離れた想像の世界へ逃れることができるのである. 

Feb15_002  帰りは,JR六甲道駅から普通電車に乗り,神戸駅で降りて阪急百貨店に行った. 特別用事があったわけではないのだが,何となく新しいピアスが欲しくなったのである. バレンタイン・デーですし. この二文には論理関係が成立しているだろうか. まぁごちゃごちゃ言わんでよろしい. BLOOMというアクセサリーショップで,その美しさと上品さに引きつけられながらピアスをひとつひとつ手にとって見ていると,店員さんがピタリとわたしの横に立ち,わたしがピアスを手に取るたびに,「そちらはハート型になりますぅ~」とか「そちらはリボン型になりますぅ~」とか,女性販売員さん独特の甘い声で説明をしてくださる. これはどうもご丁寧に. というか,ハートもリボンも言われんでも分かるちゅうねんとツッコミを入れたくなる. そんなことを思いつつ,四つ葉のクローバーのピアスを手に取ってみると,すかさず,「そちらは四つ葉のクローバー型になりますぅ~」と説明される. というか,四つ葉のクローバー知っとるちゅうねん. やれやれ. というか,そんな金魚のフンみたいにぴったりくっついて横に立たれてたら落ち着いて見られへんやんかと思う. 日本のサービスの質は世界一であると一般的に言われるが,外国から戻ってくると,それがtoo muchなものに思えてしまう. でも,日本のピアスは,とにかくデザインのセンスが良く,上品で,とてもかわいい. 気に入ったピアスがいくつかあり,何とか二つにまでしぼったものの,二者択一の決断が困難を極め,結局,二つとも購入した. 購入したのは,四つ葉のクローバーとリボンのピアスになりますぅ~. 分かっとる.

こうした一日の出来事も,そのひとつひとつが,二度と繰り返されない瞬間であり,一回性の現象である. 学生時代の六甲道から大学までの道のりで起きた数々の出来事が,その後の自分を作り出していったように,出来事相互の関係は実は密接で因果論的でありうる. バレンタイン・デーだったので図書館に行き,加藤周一氏の著を借り,帰りに寄り道してピアスを買うという一連の出来事も,実は密接に関係し合っていて,ひとつのかけがえのない瞬間を作り出し,明日の自分を生み出すきっかけとなっている. 

一回性ゆえに価値があるという時間の重みを感じたバレンタイン・デーの一日.

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未来は未知であるからこそ

Feb13_008  来年度担当する授業のシラバスがようやく完成した.

 明日がシラバス提出の締切日. ギリギリセーフである.

 ちょっと息抜きに神戸メリケンパークを散歩してきた. ああ神戸に帰ってきたんだなと思った. 

 シラバスは,まだ見たことのない学生を想定して書かなければいけないということで,ちょっと大変だった.

面接のときに熱く語らせていただいた「私が考える大学での言語教育」は,面接のときには,「それは面白いですね」という反応を示していただけたけれど,実際に採用され,内部事情を聞くにつれ,どうも「私が考える大学での言語教育」は,リトルリーグで野球をしている少年たちに突然,アメリカメジャーリーグ並みのパフォーマンスを期待するような非・現実的なものであるらしいことが分かってきた. リトルリーグでがんばっている少年たちに,「さぁ若き野球少年よ,イチローのごとく打つのじゃ,そして走るのじゃ」と要求してもうまくいくはずはないことは明らかである.

そんなわけで,「私が考える大学での言語教育」の方向性は大幅に修正せざるを得なくなった. "English as a Second Language (ESL)"のコンテクストでうまくいくであろうことが,必ずしも"English as a Foreign Language (EFL)"のコンテクストでうまくいくとは限らない,という理想と現実の乖離に,早速直面してしまった. しかし,現場の状況をしっかりと把握し,現場とそれを取り巻く社会的なニーズに合った授業を提供することは何よりも優先されなければならない.

ところで,シラバスを書きながら,「なんか気持ち悪い」と感じた点がある.

「シラバス(syllabus)」というのは,「この授業の目的はこういうことで,毎回の授業ではこんなことをして,あなたの成績はこんな基準で評価されて,この授業を履修するとこんなことができるようになって,こんないいことがあるんですよ」という,授業概要や達成目標、各回毎の授業内容が明確に記載された,授業担当教員と学生とのいわば「契約書」のようなものである.

「なんか気持ち悪い」と感じたのは,「この授業を履修するとこんなことができるようになって,こんな『いいこと』があるんですよ」という利益誘導で,自分が学生を学習に向かわせようとしている気がしたからである. 利得という「にんじん」をぶらさげて学生を学習に導かせるのは果たして正しいやり方なのだろうかと.

授業を受けた結果,学生が何を得たと感じるか,それをどう生かしていくのかは,学生一人ひとり違うような気がする. 「こんな『いいこと』があるんですよ」とシラバスに書いたとしても,同じ授業を受けたからといって,学生40人が40人とも同じように育っていくということはまずありえない. つまり,授業を受けた結果得られる「利得」は,未知数なのである. ガードナーは,「実利的な動機を与えれば人は学習する」という「道具的動機付け」という理論を提唱しているけれど,すでに見えてしまっている未来に向かって歩みを進めるというのは,ひとつのやり方ではあると思うがそれだけではないような気がする. なぜなら,未来は未知だからこそ,人はそれを知りたいと思ったり,まだ見ぬ希望をそこに重ねようとしたりするのであって,未来が未知だからこそ,人は学ぶ意欲を持ったり,生きる意欲を持てるのではないかと思うからである.

内田樹先生は,「学び」について次のように述べている.

「学び」というのは,「学ぶことの有用性や意味があらかじめわかったので、学び始める」というようなかたちでは始まらない. 「学び」というのは,「その有用性や意味がわからないもの」(私たちの世界はそのようなもので埋め尽くされている)の中から,「私にとっていずれ死活的に有用で有意なものになることが予感せらるるもの」を過たず選択する能力なしには起動しない(内田,2009).

この「あらかじめその有用性が分かった上でアクションを起こす」というのは「商品購入のスキームである」と内田先生は述べている.

つまり,人間が効用,不効用で行動を選ぶという近代経済学の考え方が,教育業界にまで侵食し始めている,ということを内田先生はおっしゃっているのだと思う(たぶん).

この「商品購入のスキーム」に関連した面白い広告をつい数日前に見つけた. わたしは,この頃,日本に帰ってきてあまりにもテレビ番組がつまらないので,スカイパーフェクトTV(スカパー)に加入することを考えているのだが,ふと新聞誌上で見つけたスカパーのキャンペーン広告に目を奪われた.

「猪木の闘魂注入ビンタプレゼント!」

というものである. キャンペーン中にスカパーに加入すると,抽選で10名の方に,アントニオ猪木の「闘魂注入ビンタ」がプレゼントされるというのである.

これは,まさしく「商品購入のスキーム」である. つまり,「猪木の闘魂注入ビンタ」という「利得」あるいは「にんじん」をぶらさげて,消費者をスカパー加入へと導くのである.

といっても,わたし的には,この「抽選で10名様」にはできれば選ばれたくないという思いがあるのだが. せっかく加入してやったのになぜビンタをくらわなければならないのだと思うし,猪木のビンタは半端じゃなく痛そうだ. しかも,普通のビンタじゃなく闘魂注入ビンタなのである. いらん.

しかしながら,日本の男性の中には,「猪木は最強だ猪木は世界一だ」という信憑を刷り込まれている熱狂的な猪木ファンがいることを,わたしは知っている. 以前勤めていた学校で同僚だった英語のS先生は,高校生に英語を教えるときの例文に必ず「燃える闘魂イノキ」を登場させる熱狂的猪木ファンだった. たとえば,"Inoki is stronger than any other wrestler in the world.(イノキは誰よりも強い)","Inoki is the strongest wrestler in the world.(イノキは世界一強い)"といったふうに,とりあえずイノキ使っとこうという感じで比較級と最上級を教えるのである. こうして,S先生のクラスの学生は,燃える闘魂イノキの存在を明快に感じながら英語を習得していったのである. ダーっ! もうひとりの熱狂的猪木ファンは,幼ななじみのKちゃんのご主人のケイタ君である. Kちゃんはわたしが留学中によくお手紙をくれた. その手紙の片隅には,いつもご主人のケイタ君からのささやかなメッセージが書かれていた. 「さっちゃんにエールを送ります.元気があれば何でもできる!1,2,3,ダーっ!」というものだった. わたしは,孤独な留学期間中,このケイタ君の「1,2,3,ダーっ!」に何度励まされたことだろうか. ところで,わたし的には,猪木の1,2,3ダーっ!もいいが,猫ひろしの1,2,3,ニャーっ!も結構好きだったりする. ニャーッ!

話が逸れてしまったのだが,「抽選で10名様に猪木の闘魂注入ビンタプレゼント!」が,S先生やケイタ君のような熱狂的猪木ファンを,スカパー加入へと導く「にんじん」としての機能を果たす可能性は極めて高い. 

しかし,このような「商品購入のスキーム」が,学びの場であるはずの教育現場にまで侵食していくことはよろしくないことだとわたしは思っている. 「この授業を受けるとこんな『いいこと』がありますよ」という,授業を受けた結果得られるであろう有用性を最初に強調してしまうと,そこに向かって歩みを進めていた学生は,知識や技術を習得するということよりはむしろ,それによって得られる資格とか収入とか職業といった何か「目に見えて分かるやすいもの」の方に照準を合わせるようになるような気がする. つまり,「これをするとこんな利得がついてくる」というような「交換の原理」でしか学ぶ目的を考えなくなる危険があるのではないかと思うのである. 

こうした合理主義的な学習方法を身につけてしまうと,長い時間をかけて苦しい思いもしながら知識や技術を習得することは,効率が悪く頭のよい人間がすることではないと考えたり,知識や技術を習得することそのものではなく,そのための最も効率的で最も最短なルートは何かということを考えたりする人が必ず出てくるような気がする. 

内田先生は,「『その有用性や意味のわかる知識や技能だけ』では私たちは困難を生き延びてゆくことができない」と述べている. 「子どもたちの中に芽生えようとしている『意味のわからないものの意味が予見できる力、有用性がいまだ知れないものの潜在的な有用性がかすかに感知できる力』」を育てることが学びの目的であると.

Feb13_007 未来は未知だからこそ面白い. 

 何の役に立つかは今は分からない. でも,いつか自分の道を切り開く助けとなりきっかけとなる.

 ということをシラバスに書けたらいいのにと思った.

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人生はその人のいる場所にできるものだ

Jan31_001  日本で仕事をすることになったため,帰国. 

 3月に新天地に引っ越す予定だが,それまでの一ヶ月間,神戸の実家に居候させていただくことになった.

 自分の国に帰ってくることができてうれしい. 

 しかし,同時に,なぜだかとても居心地が悪い.

ハワイにいたときは,自分のホームは日本であり,日本にいる自分こそが本当の自分なのだと思ったりしていたけれど,そうではなかったことに改めて気づく. 「人生というのは,その人のいる場所にできるものだ,という単純な事実と,心というのは,その人のいたいと思う場所につねにいるのだ,というもう一つの単純な事実」という江国香織さんの言葉を思い出した. 人生というのは,自分がいたいと思う場所がどこであるかは関係なく,自分がいるまさにその場所で作られてゆくものなのである. 当たり前のことなのだけれど,自分にとっては,その場所がハワイだったのだと. 

日本に帰ってきて居心地が悪いと感じるのは,この約3年の間は,自分の人生がハワイで作られ,そこに自分自身がいたからである. ホノルル空港を飛び立って約9時間後に日本に到着し,さぁ今日からはこの地で人生を作っていくのじゃー作れー作るのじゃーと喝をいられても,わずか9時間で新しい環境に適応する準備が整えられるほどの要領と自己管理能力を残念ながらわたしは備えていない. 生きてゆくということは,自分が存在するその環境のすべてを受け止め,心がどこにあろうとも,その環境に適応する努力を絶えず続けてゆくことなのだということを改めて実感する.

そんなわけで,日本に到着して数日は,ガラリと変わった環境に適応できず,何も手につかず何も考えられずといった非生産的・自堕落的生活を送ってしまう. わたしのような勤勉一途な堅物人間がいったん自堕落的になってしまったときの崩壊ぶりは凄まじいものがあり,醜態きわまりない. 仕事は早いことだけがとりえだったのだが,メールを開くことさえおっくうになってしまい,数日後にやっと開いたメールに,春から就職することになる大学から,「先日送ったメールを転送いたします.申し訳ありませんが,近況をお聞かせいただけないでしょうか?」という「てめーーメール無視してんじゃねーよ.メールの返事よこせオイコラ」とも言い換えられるような内容のメールが届いていて,慌てて返信メールを打ったりした. やれやれ.

そんな自堕落的気分にさらに追い討ちをかけるような出来事が起こる. ハワイから戻ってきたわたしに向かって,親族の一人が「おかえりなさい」という歓迎の言葉をかけてくださった. そこまではよかったのだが,その次にその人が発した言葉に,全身から意識が遠のいていくような脱力感を感じてしまった.

「(ハワイでは)結婚相手が見つかりましたか?」

というものだった.

思いもよらないその質問の内容にしばらく何と返答してよいのか分からず,しばらく呆然と立ちすくむ. わたしがハワイに行くことを決意したのは,「結婚相手を見つける」ためではなかったからであり,ハワイ大学で達成すべき目標として,「結婚相手を見つける」ことという項目はまるで存在していなかったからである. ハワイでの生活が始まった後は,ひたすら本を読みひたすらものを書きひたすら研究計画について考え,それ以外のことに意識を向ける余裕なんてなかったからである. 何かを成し遂げようとするときには,それくらい一つのことに没頭する時期が必要なのである. 片手間で勉強していたわけではない. 日本に帰ってきた今は,4月からの仕事と研究をどうしようかということで頭がいっぱいであって,やはり,「結婚相手を見つける」ということにはどうしたって意識が向かわないのである. そんな思考状態であるわたしには,この「(ハワイでは)結婚相手が見つかりましたか?」という質問が非常にトンチンカンなものに思われた.

親族の人の気持ちが分からないわけではない. 親族や家族にとって,女の子どもの親孝行は結局,真面目にこつこつ働くことなどではなく,適当な男性を見つけて安泰な結婚をすることなのではないかというわたしが20代半ばで立てた仮説は,すでに検証済みであるし,実際,自分が逆の立場だったら同じことを思ったかもしれないという想像も大人になった今はできるようになっている. お父さんお母さんおじさんおばさんごめんなさいと謝罪しなければならない. 何だかこちらが思っている以上に心配をかけているようなので,「ご心配をおかけしてどうもすみません.それでは40歳までに結婚相手が見つからなかったあかつきには,頭を剃り,尼さんになって出家することにいたします」などと言えば,もうあきらめてくれるのだろうかなどと考えてみたが,自分が尼さんになって出家する姿はどうも現実的でない気がしたし,尼さんになるなんて宣言したら,それはそれでまた別の心配をかけてしまうような気がした. 

が,わたし自身はいったん建設し始めた橋の工事を途中でやめるわけにはいかぬのだという使命感みたいなものを感じており,今は橋の工事以外のことを考えられない状態なのである. 橋の工事の重要性は,結婚相手が見つかりましたか?ということに重要性を感じている人々にはいくら説明しても理解していただけないのだろうけれど. それに,労働は日本国憲法で定められた国民の義務であるので,その義務を果たすべく,わたしはとにかく働かなければならないのである.

日本には,他のどの国よりも,「こうあるべき枠組み」が存在しており,その枠組みからこぼれ落ちてしまうと,自動的に「こうあってはならない枠組み」に属する人としてのラベルを貼られる,そんな無形の社会的呪縛が存在しているように思う. そして,日本では,その「こうあるべき枠組み」が「年齢」を基準に形成されることが多い. 先日,「アラフォー」という言葉が日本で流行っていることを知った. 初めてこの言葉を聞いたとき意味が分からなかったが,"Around Forty"を短縮した言葉だということを知った. この「アラフォー」も,年齢による「こうあるべき枠組み」を象徴する言葉のような気がした. 数年前に流行った「負け犬」とか「負け組」とかいう言葉といい,日本では,どうしてこうくだらない言葉ばっかり流行するのだろうか. メディアやTV政策側のリテラシーが問われていると思う. そんな苦言を呈しつつ,わたしはアラフォーなのかないやアラサー(Around Thirty)だよねとか思ってる自分もいたわけであるが. やはりアラフォーでしょうかね. どっちでもいいか. いずれにしても,こうした「枠組み」をもとに「あなたってこういうひとよね」とかなり断定的に自分を判断されてしまうことに,何か鎖に縛り付けられたような窮屈さを感じる. 

Feb11_001 そんな自堕落的な毎日が何日か続き,その間に,来週が締め切りになっている担当授業のシラバスを書き上げたり,芥川賞を受賞した津村記久子氏の『ポトスライムの舟』を読んだり,某学術誌から修正したら載せてやるといわれていた論文の手直しをしたりした. 昨日は,明石海峡大橋が見渡せる場所にあるアウトレットに行って,新しい職場で着るスーツを購入したり,ハンティング・ワールドの素敵なバッグに心引かれてバッグを持って鏡の前に何度も立ってみたり(結局買わなかった),一万円以上お買い物をするともれなくもらえるという500円のお買い物券を握ってマクドへ行き,コーヒーとアップルパイとポテトを食べたりした.

少しずつ,新しい環境に順応していかなくてはならない. 人生は,その人のいる場所にできるものだから.

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ポチ

Dec24_009 ある場所へ行こうとして,住宅街に迷い込んでしまった.

 そこで,一匹の白くて小さなワンコと出会う. 

 フェンス越しでキャンキャンキャンと子犬特有のかわいい声でなきながらしっぽをふっている.

 わーなんじゃこいつめっちゃかわいいーと思う.

撫でたいー.

ポチー.

と勝手に名前までつけてしまう.

というか,今どき犬に「ポチ」なんて名前をつける人はいるのだろかとふと思う. 

わたしが子どもの頃,犬の名前は「ポチ」か「コロ」と決まっていた.

幼少時代を過ごした神戸市西区北山台というところは当時いわゆる新興住宅地で,自分と同世代のチビッ子を連れた若い家族が大集合していたのだが,なぜか8-9割方の世帯が犬を飼っていて,そのほとんどが「ポチ」か「コロ」という名前だった. 他に思いつけよという感じなのだが. 発想教育に問題があったのかもしれない. そして,犬小屋の入り口には,「ポチの家」とか「コロの家」とか書いたりしていた. たまに英語がよくできる子のうちでは,"Pochi's House"とか"Koro's House"とか書いたりしていた. どっちでもいいのだが. というか,いちいち「~の家」とか書かなくても分かりますっていう話なのだが. 

そんなコロとポチの町,神戸市西区北山台では,夕方になると新興住宅地内で一つしかない中央公園に,各家庭からやって来た「ポチ」と「コロ」が連なって散歩をしていたものである. 「ポチー」と呼ぶと別の家のポチがやってきたり,「コローお座り!」と命令すると別の家のコロがお座りをしていたりする場面があった. 訳が分からない. というか,訳が分からなくなっていたのは犬たちの方だったに違いない. 名字言ってくれないと分からんワン. くだらない.

今では時代も変わり,犬の名前も多様になった. たとえば,現在のわたしの実家のお向かいの後藤さんちのワンコは「ジャスミン」ちゃんという. 中国茶かい. ジャスミン・後藤だぜ. 「ポチ」と「コロ」が全盛期だった時代が懐かしい.

しかし,ハワイのビショップ博物館近くで出会ったこの白くて小さなワンコは,「ジャスミン」というより,「ポチ」が似合うと思った. 古き良き時代のワンコ文化がここに息づいている. というか勝手にポチと名づけているのだが.

ポチに癒された.

ちなみに,名前との関連で言うと,わたしのファーストネームは「子」で終わるのだが,日本では,平成生まれの女子の名前としてもはや「子」は使用されなくなりつつあるらしい. 明治生まれの女子の名前は「ゑ」でおわるものが多く,わたしのおばあちゃんの名前も「すみゑ」といった. 「○○子」ももはや明治の「○○ゑ」に相当する古い名前として扱われるようになるのかもしれない. ポチやコロも含め,名前も時代と共に変化するのだ.

しかし,何でも新しければよいというわけではないとわたしは思っている. 「すみゑ」はジャパニーズ・ビューティーをイメージさせる美しい名前であると思うし,ポチはその音声が癒しの効果を持っていて胸がきゅんとなる. 

日本は古いものを大切にしない国だと思う. 発展と引き換えに古いものがどんどん切り捨てられてゆく. 新しいものを創造していくことも大切だけれど,古いものが何でも時代遅れだと考えるのは,日本の良さーーそれは有形のものだけでなく無形のものでもあるーーが失われることにつながる. 受け継がれてきたものを大切に守っていく気持ちを持ち続けていきたいと思う.

もし犬を飼うことになったら「ポチ」と名付けることにする. 

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