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ふたたび

July31_001_2  ホノルルへ.

 ふたたびリングへ上がるために.

 ビザは3つめになった. 明日から第5ラウンド. 今回も戦い抜くことができるのだろうか.

 帰国中会いたい人がたくさんいたけれど,会いませんかという連絡をすることができなかった.

優しい人々の愛情に触れると,第5ラウンドを戦い抜くことができなくなりそうな気がした. 

そんなわけで,ひたすら本を読み文を書いて,ずっとひとりで過ごしていた.

日本を離れようとしている今この瞬間,そのことを少し後悔している.

ビザは3つめになり,戦いも第5ラウンドを迎えようとしているのに,空港で感じるこの空虚感は2年前と全然変わらない. 原因の分からない寂しさ. 全然成長していない.

明日からまたがんばろう.

みなさまお元気で.

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文章読本さん江

日本に帰国中,秀逸な文章読本に出会った.

「文章読本」とは,「文章の上達法を説く本」のことである.

日本の書店に行くと,必ず文章読本コーナーがある. 『論理的に書く方法』とか『小論文の書き方』とか『超・文章法』とか,それを読めば文章の達人になれるかのように思わせるタイトルの文章読本が並んでいる. ちょー.

こうした文章読本は,元・新聞記者や現役新聞記者によって書かれていることが多い. そして,たいてい朝日新聞の記者であることが多い. ここには,サンケイとか東スポの記者は登場しない. 文章業界にもヒエラルキーが存在していることが分かる. 「人生初でんねん.阪神・関本,満塁弾!」とか「虎・M46点灯や~」とかサンケイの記者でないと書けない文章術だってあると思うのだが. おかげで関西は盛り上がっているわけであるし. 最近の阪神ネタでした.

朝日新聞の記者によって書かれた文章読本には特徴がある. 素人の書いた文章を「悪文」のモデルとして挙げ,これがダメあれがダメとメッタ斬りし,勝手に手直ししていくことである. 読み手は,このメッタ斬りと手直しを通して,文章の上達法を学ぶことを期待される.

しかし,この「メッタ斬り」にはずっと疑問を感じていた. メッタ斬りの裏には,新聞記者の方々の「記者=文章のプロ」,「一般人=アマチュア」という論拠のない一方的なラベリングとヒエラルキーが垣間見える. しかし,記者が手直しする文章は,本当に「良い文章」そして「おもしろい文章」に仕上がっているのだろうか? たとえば,最近のサンケイの記事,「人生初でんねん.阪神・関本,満塁弾!」の「でんねん」の部分は,朝日新聞の記者によって赤線で消されてしまう可能性がある. (「でんねん」とは,日本語文末表現「です」の関西方言である.主に大阪の男性によって使用される傾向がある.と思う) なるほど規範に忠実に従った「正しい文」になるのかもしれない. が,訂正された文からは「おもしろさ」が微塵も感じられなくなってしまう. 最も問題なのは,「自分」が消えてしまうことである. 

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つまり,「正しいこと」と「おもしろいこと」は両立しない,ということである.

ということを指摘しているのが,斉藤美奈子著,『文章読本さん江』(筑摩書房 2002)である.

文章を書くこととかその指導法に興味を持っているので,これまでいろいろな文章読本を読んできたわけだけれども,新聞記者が一般人の文章を「悪文」と決めてかかる姿勢には疑問を感じていた. その新聞記者たちが作り上げた階層構造を,斉藤美奈子氏がするどい批評力によってばっさばっさと切り捨ててくれている. 大変心地よい. 

斉藤美奈子氏のメッタ斬りは,文章読本の御三家である谷崎潤一郎,三島由紀夫,清水幾太郎,さらに新御三家である本田勝一,丸谷才一,井上ひさしにまで及ぶ. 「おまへこそ〈筋道がよく通っていないこと〉を学ぶ格好の題材だ」とか言っている. 多くの人が感じていながらも大きな声では言えなかったこと,見て見ないふりをしていたことを,白日のもとにひきずり出し,メスで裁いている. メス裁きの素晴らしさは,しっかりした文献研究と引用のうまさに支えられている. 

メス裁きといっても,ただの批評で終わっているわけではない. 文章読本を引用し批評することでそれ自身が文章読本になっているのがこの本の特徴である。 「メタ文章読本」である.

さらに,文章読本にたえざる需要がある理由として,日本人の多くが「学校でちゃんとした文章を書く訓練を受けなかったと思っている人が多いからである」と指摘し,学校での作文教育の歴史をたどりつつ,文章読本というジャンルが生まれてきた理由を解明している. 

そして,文章の目的を「表現」と「伝達」の二つに分類し,日本の学校が教えてきたことは,芸術文の鑑賞と身辺雑記のたぐいの文章による「自己表現」に偏っていたこと,「伝達のための文章」をなおざりにしてきたことを指摘している. 「思ったとおりに書け」という日本独特の作文教育が生まれてきた歴史的経緯について,これまで知らなかったことをこの本を通して学ぶことができた. おもしろかった.

最終章で,「文は服なり」という言葉を残している. 「衣装が体の包み紙」なら「文章は思想の包み紙」である,と. 思想は文章という衣服を身につけて初めて現われることができる. つまり,文章力というのは,「思ったとおりに書く」だけで身につくものなんかではないのだ. 着こなしの技や知恵をたくさん持つこと,ファッションの引き出しを増やすことで身につくのである. 

文は服なり. よい言葉だと思います. TPOごとに服を自在に着替えられる文章家になりたいと思った. この本はおもしろかった.

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日本のパンについて語らせていただく

日本に一時帰国するたび楽しみにしていることがある.

パンを食べることだ.

なんだハワイにだってパンはあるじゃないかとよく言われる.

が,あちらのパンはおいしくない. おいしくないので買わなくなる. 買わないので食べなくなる. 

食パンなど日本の食パンと同じ形をしているのだけれど,日本の食パンと同じ味を期待しながら食べていると,期待している味と異なる味がしてくる. なんか変な味がするのだ. 説明できないけど. 一体どのような原料を使いどのような製造過程を経ればこのような変な味を実現することができるのだろうかと常々不思議に思っている. 

さらに,アメリカにはいわゆる「菓子パン」というものが存在しない.

類似品があるとすれば,レーズンパンとかジャムパンくとかシナモンロールくらいだ. だいたいアメリカ人がちょっと創意工夫して変わったパンをこしらえようとするとこの程度なのだ. 何かあればレーズンかジャムかシナモンなのだ. このくらいしか思いつかないのでしょうきっと. それが,日本に帰ってくるとどうでしょうかこの菓子パンの種類の豊富さ. メロンパン,あんパン,チーズ蒸しパン,クリームパン,デニッシュパン,カレーパン,焼きソバパン,コーンとマヨネーズがのっかったパン,・・・ すごすぎる. 常にあれこれ創意工夫し新しい味を追究している. すばらしい. 

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 新しい味を追求しているパンのお店が神戸にはたくさんある. 老舗のフロインドリーブをはじめ,カスカードやドンクやイスズベーカリーなどなど. 神戸の人のパンの消費量は日本一だとよく聞く. 

 わたしが好きなのは,Fredsのチーズスターというパンである(写真左). なんかしらんけど星の形をしているのだ. めっちゃかわいいではないか. さらに,このパンのすごいところは食感である. なんかしらんけどすごくモチモチしていているのだ. お餅みたいなのである. なんなんだこれは. どうやって実現しているのだろう.

写真右はカレーパンである. 言われなくても分かりますか. チーズスターに比べてカレーパンは普通である. 特にどうということのない普通のカレーパンなのであるが,ハワイでは絶対に手に入らないものだいうことを考えると,パンの中にカレーを挟みそれを油で揚げるという発想に改めて感動する. そして,ありがとうカレーパンという感謝の気持ちでカレーパンをいただくことができる. そこにいけば当たり前に手に入るものが当たり前に手に入らなくなった時,そのものの価値に改めて感謝をすることができる. そのことをカレーパンが教えてくれた.

だいたい「パン」という題材であんたどんだけ文章書いてんねんというツッコミがこのあたりではいるのでしょうか. ありがとうございます. それくらいパンには思い入れがあるということで. それにしても最近パンの値段が上がっているのですね. カレーパンひとつのお値段が200円. 驚きです. 「昔は100円でカレーパンが食べられたのよ」なんていうと年寄り扱いされてしまう時代がやってくるのでしょう. きっとそんなこと言ってるおばあちゃんになりそうですけれども.

ハワイに帰ったらまたパンが食べられなくなる. 日常生活で自分の好きなものが好きなときに食べられないということが心理的ストレスの遠因になっているように思う. スーツケースに入れられるだけパンを買って帰ろうと思う. ペーターのおばあさんに食べさせてあげるために白パンをこっそり持ち出していたハイジみたいだ. ホノルル空港に着いたらロッテンマイヤーみたいなこわい検疫官がいてパンを取り上げられるかもしれない. カレーパンの中には牛肉が入っているから持ち込みはだめとか言うのだ. ロッテンマイヤーめ. でも今回もあきらめずたくさん持って帰るつもりだ. がんばれハイジ. だれがハイジやねん.

だいたいパンという題材でどんだけ書いてるんでしょうか. くだらない. 

日本のパンは大好きです.

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back pain

新学期が始まるまでに終わらせなければならない仕事が山積みで,日本に帰ってきてからも出身大学の図書館に通っているのだが,

六甲山のふもとにある大学までラップトップと本を持って通うのが苦しくなってきた. 苦しいというのはメンタルなものではなく,単に「息切れ」によるものである. わかりやすい. 六甲登山口の交差点に差しかかったあたりですでにゼーゼー言っている. そういえば大学に通っていたのは○○年前になるわけで,その○○年分歳を重ねたわけであるから,当時と同じレベルのエネルギーを持ち合わせているわけではないのだということを改めて実感する. 

毎日ラップトップと本を持って山を登っているせいなのかどうかわからないけれど,昨日家を出ようとしたら突然,腰の辺りに激痛が走り,立っていることができなくなった. しばらく座って休んでいたのだけれど,立ち上がろうとすると激痛が走る. そんなわけで一日中ずっと座ったままの人となってしまった.

Jan8_003 夜は何とかベッドまでたどりつき,何とか眠る体勢になれた. が,問題は翌日の朝. 痛みがひどくて起き上がることができない. トイレに行こうと思うも上体が起き上がらないので,忍者のごとく床を這いながらトイレに向かう. いや,忍者というよりこんなのはただの虫だ. まぁ忍者でも虫でもどっちでもいいのだが,普段なら数秒でたどりつくところを10分くらいかかってしまった. 

 こんな忍者とか虫みたいな姿をさらけ出してしまうなんてもうお嫁にいけないと思った.(誰にも見られてないけど.じゃぁ書くなって)

歩けないうえに,くしゃみができない状態になってしまった. はーくしょんと豪快にくしゃみをしたいがそんなのは自殺行為に近い. 激痛が走り,はーくしょんうえーーっとうなってしまう.

この症状は,いわゆる「ぎっくり腰」というやつなのでしょうか. 

魔女の一撃を食らい奈落の底に突き落とされた気分だ. このままずっと立ち上がることができなくなったらどうしようという不安が襲ってくる. 改めて,体がいちばん,健康がいちばん,ということを思い知らされる. 不自由なく歩けることがどんなに幸せなことかと改めて思う.

Jan8_002  仕方がないのでリビングでのんびり過ごすことにした. 久しぶりに入ったお部屋がとてもきれいに見えたので写真を撮ってみたり. 仕事や研究は家の中に持ち込まないというスタンスでやってきているので,このお部屋でラップトップを開いてみても全然はかどらない. 日曜日に家の中ですることがなくてそわそわしていた自分の父親のことを思い出してしまった. DNAは受け継がれるのだと思った.

親が育てている植物を鑑賞しながらなぜか分からないけど涙が出そうになった. たまに実家に帰ってきても何も親孝行ができない. その上、腰痛を看護されたりして逆介護状態になっている. たまに日本に帰ってきても社会に何も貢献せず自分のことばかりやっている. 世の中にはエンドレスで働き続けている人たちがたくさんいる. 親を見ていてもそう思う. 罪悪感を感じる. 博士号を取りたいと思うけれど博士号なんか本当に必要なのだろうかとか思ってしまう. そんなことよりもっと大事なことがたくさんあるようにも思える.

この痛みは自分勝手な自分への罰なのかもしれない. ごめんなさい.

がんばって今年中にABDを取り,来年の春からは必ず現場に戻れるようにしたい. がんばりますので,どうか歩けるようになりますように. くしゃみができるようになりますように.

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コネと闇

金権政治が教員採用の世界でもまかり通っているというニュースを聞いた.

絶対に許すことができない.

絶対に.

教員採用試験に一度で合格できる人は少ない. 非常勤やアルバイトをしながら,二度目,あるいは三度目の試験に向けて勉強を続けている人も多い. そういう人たちの地道な努力よりも金権が優先されるとは,教育界においてあるまじき行為である. 絶対に許せない.

この問題の背景には,日本独特の『コネ社会』,そして日本独特の『闇社会』が垣間見える. 不正が起こるたび,その裏には必ず政治家がいる. 必ずだ. 一に利権、二に利権、三、四がなくて五に利権というイメージしか持ち得ない政治家. 利権を利用し,大事なことはいつも闇の中で決められているような気がしてならない. 

さらに問題なのは,「古い習慣はそう簡単には払拭されない」という点である. つまり,今回の教員採用汚職事件は今に始まったことではない可能性があるということである. また,一部の地域だけで起きていることではない可能性もあるということだ.

絶対に許せない.

日本は「真面目な人ほど馬鹿を見る」という国になってしまったのだろうか.

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AB型

July8_005  血液型による「自分の説明書」なんてばかばかしいと思いつつ,

 買ってきてしまった.

 何だ買ってるではないか.

 読んでみたら結構おもしろかったのだ.

7割方当たっていると思った.

徐々に仲良くなってきた人に「血液型何型?」と聞かれ,「AB型」と答えると,その瞬間ビミョウな空気が流れることがある. 

ぞのビミョウな空気の原因をこの"7割"が説明していると思った.

1.基本操作編

「まっすぐ伸びた道を歩いていると猛烈に曲がりたくなる. それは人生においてもそう. グニッと曲がっちゃって今がある」

直線は無難すぎてつまらないと思ってきた.

が,今は,平凡で無難なのがいちばん幸せかもしれないという悟りを得ている.

これからは直線だ.

「子どもの頃,かくれんぼの最中に黙って家に帰った. すぅーっと」

悪気はなかった.

まっすぐな直線を歩けないという性格が当時から顕在だったということだ.

2.色々な設定編

「ホームレスも悪くないな,と思う. で,ダンボールハウスの構造にあれこれダメ出ししそう」

当たっている.

機能的なダンボールハウスの設計,建築,およびリフォームには自信がある.

根拠は別にない.

3.プログラム編

「たまに恋人が隣にいることを忘れる」

当たっている.

「もうちょっとかまって欲しい」と,その昔,言われたことがある. そのようなセリフは女性が言うものだと思っていたのでたまげた. 

が,今ひとりでいるのは,若い頃にそのような勝手な行為を取ってきたバチが当たっているのだと思っている.

今は反省している.

トリをかざりますのは,4.その他編.

「そういえば今日一日だれとも話さなかった. 『おやすみ』と自分につぶやいてみる. なんだかいい夢が見れそうだ. その夜,悪夢を見た」

何で知っているのだ.

...

こう書いてみると自分はやはり変人なのかもしれないと思えてきた. 

おやすみ.

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子どもから学ぶ

July6_004  甥っ子くんと一緒にYou Tubeで『ドラえもん』を見る.

 それまでワーワーと騒いで暴れていた甥っ子くん. しかし,「カッターで切り開いた先には目的地がある」という『ショートカッター』のおはなしが始まると,食い入るように画面を見つめ,椅子に座ったまま微動だにしない. 固まっているぞ. おーい.

その真剣な表情は,完全にドラえもんの世界に入り込んでいるものだった. しばらくすると口が半開きになってきた. 真剣すぎるぞ. おーい.

しかし,心の中を描写したこの素直な表情は子どもならではのものだと思った. 大人になると,おもしろい映画を見たときでもこんな表情にはならないと思った.

おはなしが終わると,催眠から覚めたかのごとく,元のワーワー騒ぐ甥っ子くんが戻ってきた. 「ドラえもんだいすき」とか言っている. 「どうして好きなの?」とたずねると,「ポケットにいろんなものが入っているから」と言う. とても素直な答だと思った. 

この甥っ子くんはわたしが日本に帰ってくるといつも「satchyちゃんだいすき」と言ってくれる. 「お友達のかなちゃんよりsatchyちゃんの方がすきやねん」と関西弁で言ってくれる. とてもうれしい. 自分が好きだと思っている人に,何の裏心もかけひきもなく,「好き」と表現できるその純真さに感動してしまう. 

年齢が上がるにつれ「自意識」が発達してくると,子どもでも本心と違うことを言うようになる. そしてもっと歳をとり知恵がついてくると,自分が欲しいもの,言葉,反応を相手から引き出すために相手に媚びてみたり,うそをついたり,だましたりするようになる. 大人になるにつれてそういう戦略を自然に生得していくのが人間だ. 

そういう計算なしに,思ったことを素直に表現してくれる甥っ子くん. とても美しいと思った. 自分を含めた大人がいかに「自意識」に塗り固められて生きているか,他者との人間関係がいかに「戦略」や「利害」で成り立っているかを改めて思い知らされた.

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find myself

考えなければならないことがある日を境に一気に増えて,しばらく文章が書けなくなっていた.

正確に言うと,文章は書いてはいたのだけれど,まったく形にならなかった. 書いては消し書いては消しを繰り返しながら,自分が考えていることは一体何なのかを探すという毎日だった.

自分のことは自分がいちばんよく知っているようで,実はそうでもないのかもしれないと思った. 他者から,「~についてあなたはどういう考えを持っているのか」とか「~についてあなたはどういう立場を取っているのか」とか聞かれて初めて自分を知ることがある. そういえば自分はこんなことを考えて生きてきたのだなと改めて認識することがある.

でも,「自分はこういう人間なのだ」と言いきることは難しい. 「自分はこういう人間なのだ」,「だから自分はこんなことができるのだ」としっかりと主張できる根拠が自分にはない. 社会人になってから10年が過ぎ,その間に教える仕事をしたりまた大学に戻ったりして,いろいろな経験を積み,知識や技術を身につけてきたように思うけれども,ぜんぜんたいしたことない. 「たいしたことない」. この言葉が最近よく頭の中をかけめぐっている.

しかし,「たいしたことない」からこそ,「たいしたことある」人に少しでも近づけるよう,前だけを見て歩き続けなければならない. 

20060419213454_2 前進を後押ししてくれそうなチャンスがまいこんできたので,日本に一時帰国. 神奈川県の本厚木というところにやって来た. 

 半年ぶりの日本は蒸し暑く,「ほんあつぎ」という文字が「ほんまあつすぎ」に見えるふふと駅のホームで一人思った. おもしろくない.

新幹線の電光掲示板に,大同生命の広告キャッチフレーズ, 「夢に向かって,Yes, 大 do !」 という文字が流れ,それを見たときだけ蒸し暑さがやや寒さに変わった. Yes, 大 do ! ちょっとすべってると思います. でも,たいしたことない自分に向けられた言葉のような気もした. 夢に向かって,Yes, 大 do !  前を向いて歩いていこう.

本厚木は都心からこんなに離れているのにこんなに人がいるのだと思った. そして,人々がとても速いペースで歩いていると思った. エスカレーターで先頭に立ってしまったものの関東ではどちらに立つべきなのかを忘れてしまい結局歩いて上った. 歩いている女性がみんな同じような髪形をして同じような服装をして同じようなメークをして同じようなお顔をしているので,ちょっと変な感じがした. 国や社会によって"norm"が異なることを改めて感じた. なんか自分だけ取り残されているような気がした. 自分の国に帰ってきても居場所がない感じがした. ハワイにも居場所はないのだけれど.

それでも前を向いて歩いていくのみ. 

ただいま.

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