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engaging audiences

お昼休みに,テクノロジーと言語教育そしてセルフ・アクセス・センター(Self-Access Center, SAC)についてのレクチャーを聞きにいく.

自律型学習(autonomous learning)を促し,自律した学習者(autonomous learners)を育てるためのテクノロジーの活用,そしてSACが担う役割と可能性についてのお話.

とてもおもしろかった.

内容だけではなく,話がとても上手な先生で,アイ・コンタクトの取り方,間の取り方,パワーポイントの見せ方など,聞き手をひきつける話し方のモデルを見せてもらった気がした. 

とても勉強になった.

中でも一番感心したのは,聞き手が誰であるかを常に考えて話をしておられたことで,この先生は今日のレクチャーの聞き手は学生が中心であることをちゃんと考えて準備をされたのだなということが伝わってきた. 

何を話すかという「内容」は,どうやってそれを話すかという「方法」によって最大限に生かされるということを実感した.

このハワイ大学お昼休みレクチャー・シリーズでは,他大学のいろいろな先生方のレクチャーを聞かせていただいている. 内容もさることながら,プレゼンの仕方,話し方,それらから伝わってくるそれぞれの先生の個性とか人柄とかを観察することができて,とてもよい勉強の機会になっている. 「こんな先生に教わりたい」と思うこともあれば,思わないこともある. それを分けている要因は,やはり「内容」よりも「方法」の方に依存しているような気がする. 

今日の先生はすばらしかった. よい発表が聞けてよかった.

それに,今日の先生はかっこいい人だった. 

ハワイに来て初めてかっこいい人を見た. 

それに,アロハシャツと短パンじゃなくてスーツを着ていた. こんなスーツを着ている人はハワイにはいない.

あまりに久しぶりだったので,まるで違う惑星に降り立って見たこともないX星人と遭遇したかのごとく,じーっと見つめてしまった. おいおい. 

聞き手を魅了する話し方について学んだ日.

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コーパスをつくる

Corpus Linguisticsのプロジェクトでコーパスをつくっている.

医学,コンピュータサイエンス,経済,言語など異なる分野のリサーチ・ペーパーを集めたコーパス.

英語で論文を書くとき,ある単語がどんな単語と共起するのかとか,どんなフレーズで使われるのかとか,どんなかっこいい言い方があるのかとか考えることが多い. 

こういうとき,リサーチ・ペーパーを収めたコーパスがあれば,あなたの論文用辞書として大活躍することうけあいです.

と思って,そんな夢のコーパスをつくろうとしている.

オンライン・ジャーナルの論文を集めてきて,PDFファイルをテキストファイルに変換し,コーパスに収めていく.

先日,PDFファイルをテキストファイルに変換するOCRを購入した. OCRというのは,Optimal Character Recognitionの略で「光学文字認識」というらしい. 光学で文字を認識してくれるのですね. すばらしい. ハイテク. 

でも,最初に購入した「やさしくPDF OCR v.2.0」は,英語の認識はぜんぜんダメだった. 文字化けだらけで,"availability(アベイラビリティ)"が"availabili血"(アベイラビリち(血))"とかになっている. 「血」はいやですね. そして,"Ken Hyland"という名前がなぜか「麗欲」っていう中国人みたいな名前になっている. でも麗欲って. なんでそうなっちゃうんですかね. こんなんじゃコーパスになりません. 

ということで,英語専用の読み取りソフト"Midas Extractor"を買ってみた.これがすごい. すばらしく速いし,正確に読み取ってくれる. "availabili血"にも「麗欲」にもなってない. すごい. かなり感動してしまった. 世の中はほんとうに便利になったものです.

510zmqb9qel_aa240_ Ken Hyland (2000) "Disciplinary Discourses: Social Interactions in Academic Writing" 

コーパス作りの参考にしている.

Metadiscourse Markersのモデルはよくできていると思った.

Ken Hylandはこのネタで何十本も論文を出している. 他のネタでも毎年2-3本はかならず出版している. すごい人だと思う. 華麗で貪欲な人なのだ. だからOCRに「麗欲」と読まれてしまったのだな,きっと. 

わたしも麗欲になろう.

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future direction

Nov10_006 アドバイザーのOrtega先生と数時間にわたり今後の研究計画について話をする. 来学期でコースワークが終わるので,Comp(筆記・口頭試験)と博士論文のプロポーザルの執筆に向けて来学期から少しずつ準備を始めることになった. 

アメリカの大学院の博士課程では,コースワークを終えた後,"Comprehensive Exams(Comp)"と呼ばれる筆記・口頭試験があり,これが最初の関門となる. 自分の研究テーマの理論的背景からその応用と実践にいたるまで広い範囲の知識を試される. 横浜マリンタワーからではなく横浜ランドマークタワーくらいの高さから横浜市内をもれなく説明できるくらいの知識を持っていなければ試験には受からない(らしい). この試験に落ちると博士論文を書くことはできなくなるので,学生にとっては大きなストレスになる(らしい).

試験に合格して,プロポーザルを書き,そのプロポーザルをコミティに提出する. プロポーザルが認められてようやく博士論文にとりかかれる. そんなプロセスを聞いていると,コースワークでただ言われたことだけをやっていればよい今の状況はもしかすると楽な方なのかもしれないと思えてきた. 

来年の今頃は今よりもっとしんどい生活を送っているのか. なんか想像しただけで恐ろしくなってきた. が,ここまで来たからには逃げるわけにもいかない. ということで,来学期から,"Directed Reading"というアドバイザーの先生との一対一の授業を取り,読めー読むのじゃ,書けー書くのじゃな毎日を過ごし,来年の秋学期に試験を受け,合格することを見込んで同時にプロポーザルも書いてしまうことにした. 合格してABD(All But Dissertation)が取れれば,博士論文のデータ収集のため来年末にハワイから逃れる予定. 

ハワイから逃れる.

うれしい.

ハワイから逃れた後は,論文を書きながら仕事をするという生活を送ることになる予定.  でも,仕事はあるのだろうか. ライティングを教えたいと思うし,ライティングの研究を続けたいと思うし,ライティングの教材を作りたいと思うし,やりたいことがたくさんあるけれど,その前にそうした活動が可能となる場を手に入れなければならない. できれば職場も選びたいと思うけれど,選べるような立場にはないこともわかっている. できれば職場が位置する場所,たとえば田舎より都会がいいとか選びたいと思うけれど,選べるような立場にないこともわかっている. 

パーソナル・ライフも充実させたい. 仕事とか研究ばかりじゃなくて. 一人暮らしはもうしたくないと思うし. ちゃんと親孝行もしなくちゃいけないなと思うし. 自分のことばかりじゃなくて人のために何かができるようになりたいと思うし. 自分の思い描いているようなライフが実現するだろうか.

とりあえず今後一年の研究計画が決まったので,ちょっとすっきりした. 楽な一年ではないと思うけれど,来年一年をのりきればこの島から逃れられると思うと,どんなことにも耐えられる. 島流しにあった罪人か. 流罪の刑期がもうすぐ終わるときのひとことみたいだ. あと一年.

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take things one at a time

ここ2週間くらいPythonでプログラムを書き続けているが,次から次に新しいことをやるので,それぞれの項目をちゃんと理解せずに書き続けている気がする. 足場がグラグラしている状態ではその上に新しいものを積み上げることはできないと思うが,授業のペースについていくだけのために何となく手探りで書いている感じ. なんかきもちわるい.

自然言語で文章を書くことはおもしろいと思ってきたけれど,人工言語でプログラムを書くこともおもしろいと思えてきた. エラーメッセージを頻発させることなく美しいプログラムを書けるようになりたい. しかし,足場がグラグラしているせいで何かへんちょこりんなプログラムを書いてしまう. エラーだらけで真っ赤になっている. なんかきもちわるい.

ロジスティック回帰分析をするためデータをSPSSにかけてみたけれど,出てきたデータを解釈することはできても,"underlying formula"とか"underlying logic"がちゃんと理解できていないので,説明文が1~2文で終わってしまう. おいおい. こんなんじゃ分析とはいえない. やはりここでも足場がグラグラしている. なんかきもちわるい.

L2ライティング・アセスメントのプロジェクトは自分の専門分野であるわけなので,ほんとはこれに一番時間をかけたいところなのだけれど,いつも頭のどこかにPythonと回帰分析のことがあって,論文を読んでいても,あのプログラムはどうやって書けば走ってくれるのだとか,モデル1とモデル2のlog likelihoodの差が5.38ならなぜそれは有意といえないのかとか考えてしまう. なんかきもちわるい.

ひとつひとつ着実にこなして,ひとつひとつ着実に積み上げていきたいけれども,考えろー考えるのじゃ,書けー書くのじゃと課題がどんどん追いかけてくるような状態にあっては,ひとつひとつ着実にとはいっていられないわけで,自分の要領の悪さとかキャパシティの少なさをひしひしと痛感してしまう. どのくらい時間をかけたかということが確実な理解とパフォーマンスにつながっていけばよいのだけれど,時間をかけてもかけてもグラグラ感がなくならない. なんかきもちわるい.

深夜3時だけど考えても考えても解決しないことがあって眠れない. あたたかいおふろにはいってフワフワの羽毛布団にくるくるとくるまって何も考えずに眠りたい. はふー.

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distance

Nov10_008 勉強や研究のことで困っているといつも助けてくれる人がいる.

遠いところにいる人なので,直接会って話を聞いてもらうことはできないのだけれど,

メールやスカイプなどの通信手段のおかげで距離感が縮まっている気がする.

いつも何時間もかけて丁寧に説明してくれる. ほんとにありがたい. 人を育てたり教えたりする立場にある人間にとって最も大切なことが,"perseverance"であることをこの人から教わった.

こういう人に出会えて本当によかったと思うし,こういう人にわたしもなりたいと思う.

距離があるからこそこのような意識をもてたのだとすれば,距離があるからこそ他者理解とか自己認識への道が開けるということがあるのかもしれない.

そういう意味で,距離はいつも切なくて寂しいものではなく,人を成長させるという学習の機会を与えていて,距離を通して人は強くなれたり人に優しくなれたりどんなことにも感謝できたりするようになれるのかもしれない.

そういうことを距離から教わった.

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latent variables behind classification

Nov_11_002Veterans Dayで大学はお休みだけど,大学へ行く.

緑につつまれたこの道は,平日は若い人たちでにぎわうセサミ・ストリートであるが,休日はうってかわって静かで大人なセシル・ストリートとなる.

# セシル・ストリートというのは今ふと思いついた造語です.

セサミとセシル.

セサミな人々が集まる大学という場所にいると時々とても疲れることがある. なので休日に,こうして静かで大人なセシル・ストリートを歩けると何だかやっと自分を取り戻せたような気持ちになってほっとする.

午後,バイリンガルの言語処理メカニズムに関するレクチャーを聞く. バイリンガルを認知心理学的に研究しようという試みがあるらしい. 複数の言語知識は分離しているのではなく共有されているというお話. だったと思います. なんか難しくて言ってることがよく分かりませんでした. 日本語・英語バイリンガルの人がネコの絵を見て最初に出る単語は「猫」か"CAT"か. 自分だったら「猫」っていうだろうなと思いました. "CAT"なんて言ったらタカ&トシに「欧米か」って突っ込まれて頭をパチンとたたかれてしまいそうです. とかどうでもいいことを考えてみたり. unobservableな要因をobservableな現象によって説明すること自体が複雑で難しいということなのですね,たぶん.

最近,統計の授業で"descriminant analysis(判別分析)"という手法を学んでいて,「AとBとCというグループを分ける決定的要因は何か」というようなことをいつも考えている. その影響か,今日のレクチャーを聞きながら,自分が「レクチャーを理解できないグループ」に入るのだとしたら,「レクチャーを理解できるグループ」との違いを作っている要因は何なのだろうかとか考えたりした.

考えられるvariablesとしては,「専門知識の欠如」,これは聞き手に属する要因. そして,「プレゼンテーション力」,これは話し手に属する要因. 今日の場合はどっちが影響したのか. 7:3くらい. いや,6:4くらい. と理解できないことを人のせいにする傾向あり. 出席者全員からデータを取って分析したらおもしろいのではないかとか考えたりした. そんなことを考えているからあかんのだと言われてしまいそうですけれども.

セサミとセシルを分ける要因も決して「年齢」だけではない. 自分より年上だけど若い人に負けないくらいのエナジーとパワーのある人を知っている. 

世の中には,目には見えないけれど確実に「そうであるもの」と「そうでないもの」を分けている要因が存在しているような気がする. その目に見えない要因を追究するのが社会科学系の研究が目指すところなのだと思った. 

レクチャーの後,授業に出て,その後,スタバに行って論文を読んだ. 店内で,たぶん3-4歳くらいの日本人の女の子が「ママー,ママー」と大きな声でママを探していて,やっとママを見つけたときにママのところに飛びついていったのだけれど,この光景がなんかとてもほほえましくて心を動かされてしまった. お母さんになるということは大きな責任を伴うので誰もがなれるものではないような気がするが,多くの人々がお母さんになっている. とても勇気があると思う. 自分も女性に生まれてきた以上はお母さんという立場にいつかなりたいと思うけれども,今の感じでいくと,もしかすると一生お母さんにはなれないで終わってしまうのかもしれないなと思ったりした. 

ママになれる人となれない人を分ける要因があるとしたら,それは他人のために自分を犠牲にできるかどうかだと思った. 

世の中の様々な現象に裏にあるlatent variablesについて考えた一日.

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python

コーパスの授業でPythonというプログラミング言語を勉強中.

Pythonでプログラムが書けるようになると,コーパスを作ったり,コーパスを解析することができるようになるらしい.

プロジェクトでは,EAP (English for Academic Purposes)の授業の教材として使うコーパスを作りたいと思っていて,これがうまくいったら来年のSSLWで発表したいと思っていて,そのためにもPythonはちゃんと身につけたいと思っている.

と,かっこいいこと書いてみたけど,Pythonは難しい.

月曜日に「Pythonとは」という講義があり,教授によるハンドアウトの「朗読」を聞かせていただき,二日後の水曜日にラボに連行されいきなりプログラムを書けと言われ...

ても書けるわけねーだろオイコラ.

だいたい調子に乗ってるのだ.

「ボクの教育哲学は『ソクラテス・メソッド』なんだ」とか言って,ただの手抜きでアンプロフェッショナルなだけではないか.

だいたい30過ぎの若さで「ソクラテス・メソッド」とか言ってるあたりが気に入らない.

だから "if they are 65 or older, tell them they should make funeral arrangements."というプログラムを書けなんて問題を出すのだ. よくもまぁこんな例を思いつくものだとある意味感心してしまう.

"if they are older than 21 but younger than 65, tell them they are middle-aged."というプログラムを書けという問題もあった.失礼な.「中年」で悪かったですね.ちゅーねん.

という具合に,ソクラテスなコーパスの先生に対してやや不満がつのってきているのだけれども,

自分はコーパスのバックグラウンドがないので,Pythonが難しいと思うのは,自分の知識不足・練習不足が大きいのだろう. したがって,ちょっとだけむかつくけど,ただ,だまってやるのみである.

そして,完璧なプログラムを書いてこのソクラテスなコーパスの先生を見返してやるのだという変な意地が出てきた.

今日,授業の後ラボに行って練習した. 上の二つの問題,「65歳以上なら葬式の手配しなさい」というのと「21歳以上65歳以下ならあなたは中年ですよ」というプログラムは書けた. 内容はともかく,エラーなしでインプットが出てきてくれたらすごくうれしくなる. 

プログラミング言語も外国語と似ているのかもしれない. まず単語と文法をちゃんと理解して使えるようになることが大切なのだろう. 

Pythonの日本語版チュートリアルを見つけたので,これでちょっと理解できるかもしれない. ステップ・バイ・ステップで解説してくれている. 「今言ったことが分からなかった人へ.分からなければ考えなかったらいいだけですよ.」とか親切に書いてくれている. 「分からなければ考えなかったらいい」というのは「え?そんな適当な」と思ってしまうのだけれども,見方を変えれば「分からなければ考えなかったらいい」というのは理解できないことの苦しみから解放されるための簡潔明快で見事なストラテジーだと言える.

よく分からないが.

Pythonに苦しめられた一週間が終わった.

くたくた.

今週もおつかれさまでした.

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trajectory

Nov2_007_2 統計の授業にゲスト・スピーカーとしてカリフォルニア大学のDouglas Mitchell教授が来て下さる.

この本の著者. 他にも教育政策,研究方法に関する著書多数.

今日は,主に,カリフォルニア州の教員養成プログラムについてのお話.

その他,研究方法論からepistemologyなど哲学にいたるまで幅広くためになるお話を聞かせていただく.

今年の夏,34年間勤めたカリフォルニア大学を退職されたとのこと.

言葉のひとつひとつに34年間の歴史の重みを感じる素晴らしいお話を聞くことができた.

量的研究と質的研究を"technical accuracy"と"moral superiority"というメタファーを使って比較,説明してくださったのがおもしろかった.

どちらの方法論にもadvantage, disadvantageがあることを知っておくこと,つまり,どちらか一方しか知らないというのではなく,どちらも知っておくことが大切だというお話だった.

「なぜペンタゴン(アメリカ国防総省)はタリバンに攻撃されたのか?それは,ペンタゴンはtechnical accuracyを重視する組織.それに対して,タリバンはmoral superiorityを重視する組織だからだ.」

単独ツールの結果から得られるものだけが絶対ではないという例で,なるほどと思った.

他にもなるほどと思えるおもしろいお話をたくさん聞かせていただいた.

中でも"trajectory"(「軌道」とか「曲線」という意味)に関するお話が心に残った.

人間が他の動物と違うところは"trajectory"を描けるということ. つまり,

"being able to link the past to the present, and to link the present to the future."

軌道を描くように,過去を現在に,現在を未来へと結び付けていくことができること.

曲線を描くように,その時その瞬間に得たものを着実に次につなげていくことができること.

これまであまり意識したことがなかったけれど,"trajectory"というのはとても奥の深い美しい言葉なのだということに気がついた.

お話を聞きながら,先生は34年間の研究生活を通してどんな"trajectory"を描いてこられたのだろうとか思ったりした.

34年.

自分が生まれてから今日に至るまでと同じくらいの長さ. その間ひとつのことをずっと追究してこられたということがとてもすごいことに思えた. 

そして,次の世代へ34年間積み上げてきた知識を伝授しようと,こうやってはるばるハワイに来てくださった.

そして,そのお話に感銘を受けた日本人がここにいる. 

trajectoryは,人から人へのつながりも意味するのだと思った.

明日にはカリフォルニアに戻られる先生. たぶんもう二度と会うことはないと思うと,「一期一会」のことばが身に沁みた. 

人生は短いと思っていたけれど,先生の「34年」という言葉で,自分が生まれて今日までの長さをふりかえった. そして,34年という時間はとても長いことに気づいた. あと34年後には自分はどんな成果を出しているのだろう.

生きるということはtrajectoryを描いていくことなのだと思った.

どんなtrajectoryを描いていくかは自分次第だと思うと,生きるということはつまり自分で自分をコントロールし,「自己プロデュース」していくことなのだと思った.

よい話が聞けた.

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torrential rain and torrential work

Nov6激しい豪雨にみまわれたハワイの週末.

激しい豪雨と同じくらいあふれんばかりの量のレポートに追われた週末.

資料読んで,レポート書いて,メール打って,

資料読んで,レポート書いて,コーヒー飲んで,

資料読んで,レポート書いて,ごはん食べて,

資料読んで,レポート書いて,夜になったので寝て,

朝になったので起きて,レポートの続き書いて,資料読んで,コーヒー飲んで...

こんな週末.

月曜日になったので大学に行って,午前と午後の授業に出て,その後ラボに行ってレポートの続き書いて,部屋に戻ってきてまたレポートの続き書いて,

で,やっと完成した.

discriminant analysisは難しかった.

そして難しいと思う概念を英語で説明するのはもっと難しいと思った.

でもstatisticsはおもしろい. 数字が好きになってきた. 

でもハワイ大学の院生というよりはハワイゼミナールマノア校の予備校生のようなこの生活.

明日が来るのが待ち遠しくなるようなそんなわくわくするような日があればいいなと思ってしまうのはぜいたくなことで,自分の努力次第考え方次第で変えていけるものなのでしょうか. 

変えていけるものなのでしょうね,きっと.

印刷しようと思ったら紙が足りない.

おなかがすいたけどごはんを作る元気がない.

ローソンにメロンパンを買いに行きたいけどローソンはない.

泣きたいけど泣かない.

明日もがんばろう.

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おつかれさま

Nov2_001  アラモアナ・ヨットハーバー.

 一週間が終わりました.

 金曜日の夕方にきれいな夕日に出会えると,一週間おつかれさまと言ってもらえているような気がして,とても幸せな気持ちになります. 

 ちょっと孤独な人みたいですけど.

 そして,楽しいことばかりではなかった一週間の出来事がすべて,この夕日の色のようにきれいに色づいていくような気がします.

「おつかれさま」というのは,他人に対する思いやりとか優しさとか労いのこもった表現で,とても美しい日本語だと思います.

英語には,日本語の「おつかれさま」に相当する表現がないので,「おつかれさま」と言いたくなる状況に出くわす度,ことばと文化は密接につながっているのだなということを実感します.

日本語が第一言語でよかったとしみじみ思います.

今週もおつかれさまでした.

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ハロウィンな日

今日は朝からキャンパスで,魔女やら,ドラキュラやら,海賊やら,天使やら仮装をしている人々によく出会うなと思っていたら,10月31日はハロウィンの日だと気づく.

魔女もドラキュラも海賊も天使もかなり目立っていた. 場所がハワイであるということでさらに違和感も増す. でも,本人たちはまるでその格好が当然であるかのごとくふつうにキャンパスを歩いていた. 教科書を持って. たぶん夜にパーティーがあるのだろうけど着替えるのが面倒だからそのまま大学に来ちゃったんでしょうね.

先生も教室にドラキュラが座ってたらちょっとびっくりしちゃいますね. 天使の人は「羽」だけじゃなくて,頭に「天使の輪」もついていたので,後ろに座っている学生は気が散ってしようがないでしょうね. ゆらゆらぴかぴか.

それにしても,「どんな気持ちで歩いているのかなぁ」と気になってしまいました.

恥ずかしくないんですかね.

あちこちでハロウィンの仮装パーティーが開催されるらしく,わたしもクラスメイトに「satchyはパーティー行くの?何の仮装するの?」とか聞かれてしまう.

仮装ですか? わたしが?

うむ.

そうですね,やるとしたらアルフィーの高見沢さんとかいいですね.

もちろん巻き髪で.

でも,高見沢さんのことはアメリカ人は知らないだろうから仮装しても意味ないのか.

というか高見沢さんは仮装じゃないのか.

ならば,こんなコスチュームはどうだろう. どれにしよう. おもしろすぎる.

というか,仮装とかしませんから.

仮装とかしちゃう人に見えるんだろうか.

世界一仮装とかが似合いそうにないと思うのだが.(ほらそこで笑っているあなた)

ハロウィン・パーティーも別に興味ないです.

と思ったハロウィンな日.

と冷めたことを言いつつ,

こんなコスチュームを見てクスクス笑っている

ハロウィンな日. 

何度も言わなくてよろしい.

「お願い神父様(聖帽付)」が気になりました.

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