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後世に残るような論文とは

二本目の論文を書くにあたり、母校の図書館で本を借りてくる。

「人間が何かを学ぶとはどういうことなのか」について書かれた本。

なかなかおもしろい。

が、ときどき何をいっているのかよくわからないところがある。

何をいっているのかよくわからないのは、自分のスキーマが足りないせいなのか、自分の英語力が足りないせいなのか、それとも、この本の著者の文章が悪文だからなのか。 

昔は、何をいっているのかよくわからないのは自分の力不足だと思って自分を責めていたけれども、最近では、何をいっているのかよくわからないのは、そのような文章を書く著者が悪いのかもしれない、とやや傲慢で嫌な人になりつつあり。 たいていは、そんなに難しく言わなくてももっと簡単に言えるのとちがいますかと思うことが多い。 読み手を混乱させるような文章が学術書としては好まれるのだろうかという錯覚をおこしそうになる。 「読み手を意識してクリアに書く」はアカデミックライティングの基本だと思う。

が、しかし、池田清彦先生によると、「後世に残るような論文はわけのわからない書き方でないと残らない」らしい。(池田清彦『さよならダーウィニズム:構造主義進化論講義』 講談社新書メチエ 1997年)

「わけがわからないものは、何か人の解釈をそそるところがある。いろいろ解釈する余地がある。しかし、クリアなものは、はっきりしているから解釈の余地がない。」(p.97)

その代表格が、ダーウィンの『種の起源』なのだという。 『種の起源』には、どうとも解釈できるような話が数多く出てくるらしい。 それを後世の人が好意的に解釈すると、何でも知っていたということになるが、好意的に解釈しなければ、何を言っているのかよくわからない本なのだという。 一方、ダーウィンと同じく「自然選択説」を考えたウォーレスの論文はとてもクリアで分かりやすい論文なのだが、後世には残らなかったということである。

ふーむ。

一理あるような気がする。 後世に残っている論文で簡単に読み進められるものは少ないような気がする。

後世の残るような論文なんてわたくしには書けませんけれども、考えが定まっていない状態で書いたわけのわからない論文がひょっとして後世に高く評価される可能性もなきにしもあらずなのですね。

というか、わたくしの場合は、「後世」を考えるよりも、まずは「レフリーつきのジャーナルにアクセプトされるようがんばれ」という段階なのでした。 ぼんじん。

しかし、論文を書くというのは孤独な作業である。 書くことは好きだが、孤独は時に苦しくてつらい。 後世に残るような論文を書いた人たちはこの孤独をどうやって乗り越えたのだろうとふと思う。

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コメント

フーム すごい示唆にとんでいますね。
わけのわからないものが人の心を引付ける、というのはよくわかる。
学問の世界もそうだとは驚きですね。
後世に残ることが必ずしもいいことではない、つーことですかね?あ、論点ずれてる…ような。。。

シェークスピアは当時沢山の戯曲化の1人に過ぎなかったのだけど今に読まれてるのは彼1人だけ。
モーツアルトとサリエリの差。。。てなことに思いを馳せてしまいますね。

投稿: せつこ | 2007年6月22日 (金) 12:43

せつこさん

>後世に残ることが必ずしもいいことではない、つーことですかね?

そうかもしれないですね。

ambiguityは、日本語のレトリックだといわれることがありますが、universalなものなのかもしれないですね。


投稿: satchy | 2007年6月23日 (土) 19:03

satchyさんこんにちは。はじめまして。
生物学をかじった者から言わせていただきますと、『種の起源』は曖昧なところはありません。ダーウィンが20年以上も進化の証拠となりうるものを実証的に集めた書です。もちろん今となっては間違いだった部分も少なくないですが。もし興味を持たれましたら、
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%88%E3%83%BB%E5%9B%B3%E8%AA%AC-%E7%A8%AE%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA-%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3/dp/4487761662
『新版・図説 種の起源』東京書籍
こちらがおすすめです。古人類学者リチャード・リーキーによる編集、現代の知見からの解説付きで、原著よりかなり読みやすいです。

私個人としては、池田氏の構造主義進化論はソーカルの『知の欺瞞』で指摘された、「知的詐欺」ではないかと疑っています。何も提示できる知見がないから、わざと専門用語を多用して読者を煙に巻き、分かったふりをするファンを取り巻きに持つというポストモダニズムの生き残りではないかと・・・。少なくとも、彼の進化論は彼独自の物で、混乱しており、見るべき物はありません。
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%9F%A5%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%AC%BA%E7%9E%9E%E2%80%95%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%BF%AB%E7%94%A8-%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB/dp/4000056786/ref=pd_bbs_sr_1/249-0291032-6089155?ie=UTF8&s=books&qid=1185635206&sr=8-1
『知の欺瞞』岩波書店

いずれにせよ、いくらでも解釈の余地がある論文というのは、少なくとも自然科学ではもちろん、人文科学でもろくな物がないように思えます。一般書でもしかりです。

投稿: たぬ~~ | 2007年7月29日 (日) 00:19

お、ちょっと矛盾していました。
ダーウィンの『種の起源』は確かに読みにくいのですが、それは解釈の余地がいくらでもあると言う意味ではなくて、ただ単に本人の文章的才能によるものです(つまり、くどい)。しかし晩年になって書かれた『ミミズと土』(邦訳:平凡社 )あたりは相当読みやすいです。もちろん解釈の余地があるような文章ではありません。わかりやすく、非常に読みやすいです。

一方ウォレスの名が残らなかったのは、ウォレスがダーウィンを尊敬していて彼ばかりを宣伝し、自分を宣伝しなかったこと、晩年に心霊主義に傾倒して科学界から鼻白まれたことなどが理由と見られています。決して論文が明快だったから残らなかったというわけではありません。

池田氏の、特に進化に関する著作には事実誤認や曲解が多くてどうにもなりません。
それでは、突然の長文と連投失礼いたしました。

投稿: たぬ~~ | 2007年7月29日 (日) 00:28

たぬーさん、

コメントをありがとうございます。

アメリカに留学して、「知的設計説」を信じているアメリカ人がとても多いことを知りました。「進化論」を知らないアメリカ人が増えているという噂は本当だったのだなと思いました。個人的には、scienceとreligionは区別しなければいけないと思うのですが。そのようなことがあって、「進化論」に関して現在どのような議論が行われているのか興味を持ち、構造主義進化論に出会いました。このような新しい見方もあるのかと思いました。しかし、たぬーさんがおっしゃるように、曲解という印象も受けました。もし、すべてが恣意的に決まり、科学における客観は実は主観の別名なのだとすれば、私たちは一体何を信じればいいのだろうかと思いました。

難しい議論で生物学が専門でない私が意見を述べる資格はないのですけれど。教えていただいた著書を読んで勉強したいと思います。ありがとうございました。

投稿: satchy | 2007年7月29日 (日) 13:41

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