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interstice between Hawaii and Japan

帰国して3週間。 いろいろなことに気がついた3週間。 

大阪のアメリカ総領事館でJ1ビザの更新手続きをしたら、翌日の朝早くに新しいビザが自宅に届く。 めちゃ早い。 申請書類の準備はそれなりに時間がかかって大変だったのだけれども、ちゃんと読んだのだろうか。 読んでへんのとちゃう? 面接もかなり適当だった。 面接官のアメリカ人女性はいろいろ質問するわりには人の話を聞いていないようだったし。 しかし"Do you like Hawaii?"という質問に対して"No, I don't."と答えたところ、ここだけかなり食いついてきた。 よくわからない。 しかし、新しいビザが無事に取れてよかった。 これでまた8月から勉強を続けられる。 しかし、実はハワイになんかもう戻りたくないなどという気持ちも心のどこかにあったりする。 日本の生活は快適だ。 しかし、勉強や研究は続けたいし、始めてしまったことを途中でやめるわけにはいかないので、やはりハワイに戻らなければならない。 

そういえば、シャドーイングの教材にトム・クルーズのインタビューが載っていて、「中途半端はいやなんだ」ということを次のように語っていた。 "I can't do something halfway, three-quarters, nine-tenths. If I'm gonna do something I go all the way." (僕は半分とか、4分の3とか、9割とか中途半端なことはできない。もし何かやるのなら、僕は徹底的にそれをやる) "go all the way"(とことんやる)。 この言葉はかっこいいと思う。 一度決めたことは貫かなくてはならないのだ。 

日本に帰ってきたとたんに、ひざの裏とか首に湿疹ができてきた。 もともと皮膚が弱い方なので、毎年春と夏には肌のトラブルに悩まされていたのだけれども、ハワイに行ってからは肌のトラブルとは無縁になった。 湿度が低くて暑くても汗をかかないので肌の面ではハワイの方が合っているのだろう。 ここ数日で急に蒸し暑くなってなんかやりきれなくなっている。 汗を止める薬があったらよいのにと思う。 それにしても日本はこんなに蒸し暑い国でしたっけ。 なんか東南アジアと変わらない気候になってきたような気がする。 短パンにキャミソールにビーサン姿で歩けたらいいと思うけれども、日本ではそういうわけにはいかない。 ハワイにもいいところはあるのだと気づく。

日本にはつくづくモノがあふれていると思う。 街に出るとお店がたくさんあってモノがあふれていて目がチカチカする。 ハワイにもショッピングモールはあるけれども、店の種類と数は日本ほどバラエティにとんでいないし規模も小さい。 個人的には、日本のドラッグストアと電化製品店はすごいと思う。 なんでもある。 こんなのとかこんなのほしい。 日本は豊かな国なのだと思う。 そして、サービスは世界一だと思う。 店員さんが深々とお辞儀をしてくださる。 「おかげさまで」の精神の表れだ。 誇るべき日本文化だと思う。 

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言語の恣意性について語らせていただく

「虹は何色ですか?」

と聞かれたら、日本人は多くの人が「7色です」と答えると思う。

でも、色のとらえ方は国によって違っていて、たとえば、アメリカ人は虹を6色と考えている人が多いし、中国人は5色、インドネシア人は4色と考えているらしい。

つまり、色の分割の仕方には根拠がなく、分割は「恣意的に」行われている。

恣意的な分割は、歴史にも言える。

昭和時代から平成時代への移り変わりを、おそらく何百年後かに歴史を学ぶ子どもたちは、ここで時代がものすごく反転したように思うかもしれない。 でも、実は大きな差はなく、むしろ連続的な面が強かったと思う。 当時、わたしは制服姿の初々しいティーンだったけれども(自分でいうな)、「今日から平成1年なのか。それがなにか?それより光ゲンジ~」という感じだった。(ちなみに山本くんのファンだったと思います。誰がわかるねん。)

つまり、歴史も、恣意的に、昭和、平成という時代区分をしただけだということである。 歴史とは恣意的な同一性でくくられた「物語」であり、「事実」ではないということである(池田、1997)。

こうした「言語の恣意性」は、ソシュールの構造主義に基づくものである。 ソシュールは、言葉は恣意的であって実体や本質を指しているのではないと主張した。 

日本で起きている最近の様々なニュースを聞いて、ソシュールの「言語の恣意性」について思いを馳せる今日この頃。

「牛肉コロッケ」は実は「牛肉コロッケ」ではなかったとか。

事件を「摘発する」側のはずの公安庁長官が実は「摘発される」側だったとか。

なんかウソばっかやん。

「牛肉」とか「公安庁長官」とか、ソシュールさんのいうとおり、単に「恣意的に」つけられた空虚な名前に過ぎないのだと思う。 

何かのきっかけで同一性をくくる基準がこれまでとはまったく違うものになり、正しいと信じていたことがくつがえされることがあるということを改めて実感せざるを得ない今日この頃。 「本質」とか「実体」は一体どこにあるのだろう。 「常識」だ考えていることも実はただの「仮説」に過ぎないということなのだろう。

ところで「神戸コロッケ」は大丈夫なのだろうか。

「神戸コロッケ」も恣意的に与えられた言葉なのだとしたら本質はどうなのかわからないのだ。 もう並んでゲットしようとするのはやめるべきだろうか。 はてはて。

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好きな場所に大切な人と

Kyoto_001京都に行ってきました。

9ヶ月間、あまり文化的でない「島」で生活していたためか、駅に降り立ってまず駅ビルの斬新なデザインに軽いカルチャーショックを受けてしまう。

ガラスでできた開放的なアトリウム。 モダンやー。 さすがニッポン!

この駅ビルのデザインは、日本と海外の建築家7人の中から競技により選考された、原廣司氏の案によるものだそうだそう。

こんなオシャレなビルディングはオアフ島にはありませんです。 日本人はセンスがいいのだと思います。 

Kyoto_002 京都には3日間滞在したにもかかわらず、結局、三条や四条をちょこちょこっと散歩しただけで終わってしまった。

 しかし、わたしは、この三条大橋付近が京都でいちばん好きな場所なのであった。

 なんかほっとする。 鴨川沿いを静かにてくてく歩くのが好きです。

Kyoto_005Kyoto_006  そして、三条大橋のスターバックスもかなり好きです。

 これまで世界中の様々な国のスターバックスに行ったけれども、ここ三条大橋のスターバックスの雰囲気がいちばん好き。

東京から来てくれたお友達と京都で会いました。

普段なかなか会えない人と過ごせる時間というのはとても貴重ですね。 でも、貴重な時間ほどあっという間に過ぎ去ってしまうのがちょっと寂しかったりもする。

友達とか家族とか恋人とか、自分にとっての「大切な人」が常に近くにいる状態に慣れきってしまうと、そういう人たちが近くにいてくれることに「感謝をする」ことを忘れてしまいがちだと思います。

外国での一人暮らしを経験して学んだことの一つに、大切な人の近くにいられることがどれほど幸せなことか、ということがあります。 そういう人がいるのといないのでは心の安定度が大きく変わってくる。 

隣にいる人の存在に感謝しながら毎日安心して暮らせる生活に早く身をおきたいと思う。 が、その前にやり遂げねばならないことがあるので当分は今の状態が続くのだろう。 はぁ。 

京都はとても楽しかった。

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就職と博士号取得とこれからの人生設計と

早く就職して落ち着きたい。

と思う日々。

今、自分がやらなければいけないことは、とにかく論文を書いて出版することなので、毎日必ず本は読み、そして、毎日必ず何かを書くようにしているのだけれども、

こんなことしてていいんかな。 こんな論文書いて何か意味あるんかな。

と思う日々。

現実逃避で、研究者人材データベース JREC-INなどを見てみたり。

そして、応募資格の「博士号取得者」という文字を見て、

やっぱり、今やるべきことは、研究、論文、そして学会発表なのだと自分を奮い立たせる日々。

あと2年後くらいには、「この人に来てもらいたい」と言ってもらえる人材になっていたいと思うけれども、

この世界はそんなに甘くないことも分かっているので、

「この人に来てもらいたい」と言ってもらえる人材になるには、相当の努力をしなければいけないわけで。

わたしは、まだ、いわゆる「血のにじむような努力」というものをしていないと思う。 これからの人生設計についてあれこれ心配する割には、心配するだけで終わっているようなところがあると思う。 

もっとやらなければだめだと思う。

といいつつ、

June_9_001 ショッピングに行って、サンダルを購入して喜んでいる自分がいたりする。 神戸には、おしゃれでかわいい靴屋さんが多い。 

 二足も買ってしまった。 

 ハワイではこんなかわいいサンダルは手に入らない。 とてもうれしい。

将来のことをいろいろ心配せずにすむ落ち着いた暮らしをはやくしたい。

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後世に残るような論文とは

二本目の論文を書くにあたり、母校の図書館で本を借りてくる。

「人間が何かを学ぶとはどういうことなのか」について書かれた本。

なかなかおもしろい。

が、ときどき何をいっているのかよくわからないところがある。

何をいっているのかよくわからないのは、自分のスキーマが足りないせいなのか、自分の英語力が足りないせいなのか、それとも、この本の著者の文章が悪文だからなのか。 

昔は、何をいっているのかよくわからないのは自分の力不足だと思って自分を責めていたけれども、最近では、何をいっているのかよくわからないのは、そのような文章を書く著者が悪いのかもしれない、とやや傲慢で嫌な人になりつつあり。 たいていは、そんなに難しく言わなくてももっと簡単に言えるのとちがいますかと思うことが多い。 読み手を混乱させるような文章が学術書としては好まれるのだろうかという錯覚をおこしそうになる。 「読み手を意識してクリアに書く」はアカデミックライティングの基本だと思う。

が、しかし、池田清彦先生によると、「後世に残るような論文はわけのわからない書き方でないと残らない」らしい。(池田清彦『さよならダーウィニズム:構造主義進化論講義』 講談社新書メチエ 1997年)

「わけがわからないものは、何か人の解釈をそそるところがある。いろいろ解釈する余地がある。しかし、クリアなものは、はっきりしているから解釈の余地がない。」(p.97)

その代表格が、ダーウィンの『種の起源』なのだという。 『種の起源』には、どうとも解釈できるような話が数多く出てくるらしい。 それを後世の人が好意的に解釈すると、何でも知っていたということになるが、好意的に解釈しなければ、何を言っているのかよくわからない本なのだという。 一方、ダーウィンと同じく「自然選択説」を考えたウォーレスの論文はとてもクリアで分かりやすい論文なのだが、後世には残らなかったということである。

ふーむ。

一理あるような気がする。 後世に残っている論文で簡単に読み進められるものは少ないような気がする。

後世の残るような論文なんてわたくしには書けませんけれども、考えが定まっていない状態で書いたわけのわからない論文がひょっとして後世に高く評価される可能性もなきにしもあらずなのですね。

というか、わたくしの場合は、「後世」を考えるよりも、まずは「レフリーつきのジャーナルにアクセプトされるようがんばれ」という段階なのでした。 ぼんじん。

しかし、論文を書くというのは孤独な作業である。 書くことは好きだが、孤独は時に苦しくてつらい。 後世に残るような論文を書いた人たちはこの孤独をどうやって乗り越えたのだろうとふと思う。

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天の川のホタルを見て

June_14_hotaru ホタルを見てみたい。

という子どもの頃から抱きつづけていた夢がやっと実現しました。

神戸から車を走らせること約3時間。 滋賀県山東町には、「長岡のゲンジボタル」という、日本で唯一の特別天然記念物の指定を受けているホタルが生息しています。 天の川付近に生息しているので「天の川のホタル」とも言われているそうです。 発生する期間がほぼ6月ひと月に限られているということで、この週末に見に行ってきました。

生まれて初めて見たホタル。 

感動しました。 とてもきれいでした。

神秘的で幻想的な光に、心がすーっと吸い込まれていく感じ。 

あまりの感動でしばしたたずんでいると、ホタルがこちらに飛んできて、手のひらに止まってくれました。 そして、目の前で美しい灯火を輝かせてくれました。 すごいすごい!

言葉がありませんでした。 ほんとうにきれいでした。

「ホ・タ・ル」という三文字と、「ホ・タ・ル」という音の響きも、神秘的で幻想的な癒しの光をうまく表現した、趣のあふれる言葉だと思いました。 

英語の”firefly”とはちょっと違う、独自の趣があるような気がします。 “lightning bug”ともいうそうですが、こうなるともっと違うような気がしたり。 日本語は情緒や趣を巧みに表現できる美しい言語なのですね。

それにしてもホタルはきれいでした。 

(写真撮影が禁止されていたのでここでお見せできなくてすみません。 代わりにパンフレットの写真を載せてみましたけれども別にいらなかったですかね。)

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日本食の美しさについて

週末、明石の「侘助」という日本料理のお店に連れて行っていただく。

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日本食というのは、味だけでなく、「見た目の美しさ」にも気を配る食文化だということに改めて気がつく。

お皿や盛り付け方で、目の前の食べ物が芸術作品に変身する。

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ここまで見た目にこだわる食文化を持つのは、世界中で日本だけではないだろうか。

日本食は、国際舞台で誇るべき文化だと思います。

それにしても、「侘助」さんのお料理、おいしかったです。

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里帰り

日本に帰ってきました。

June_2_005_kg冬に見た寒々しい風景が、鮮やかな新緑あふれる爽やかな風景に変化していて、日本は四季のある国なのだなぁとしみじみ思いました。

こちらは関西学院大学のキャンパスです。 

JACET関西支部春季大会に出席してきました。

関西を離れてかれこれ6年くらいになるので、JACET関西に出席するのは本当に久しぶりです。 

関西の先生方はやっぱりおもしろいなぁと思いました。 発表中も必ずどこかでおもしろいことを言って笑いをとっておられました。 同じことを関東でやった場合、失敗する可能性があることを東京にいたときに学びましたので、やはり関西は自分のホームなのだなぁと思ったり。

関西学院大学の門田修平先生と席が隣同士になり、運よくお話させていただくことができました。 昨年1年間ハワイ大学SLSに留学されていたとのことで、そんな縁もあって声をかけていただけました。 とてもフレンドリーな方でした。 「ぼくもハワイ大におってんで」という関西弁。 すてきです。

June_2_002_sh 門田先生の発表もとてもおもしろかったです。 シャドーイングの効用について非常に科学的な視点からご説明なさっていて、感銘を受けました。 シャドーイングが効果的な英語学習法であることは広く知られていることだと思いますが、「なぜいいのか?」という部分を、認知心理学や言語聴覚学などの視点からきちんと説明されていて、納得してしまいました。 そして、学会の帰り、三宮のジュンク堂に行って先生の著書を購入してきました。 そして、自分も練習をしてみたり。 ハワイでは比較的「静かな人」でしたので、久しぶりに大きな声を出して口の中の筋肉と喉が痛くなるという症状が翌日に出ましたけれども。 英語学習については、留学などしなくても日本にいてもできることはたくさんあるということかもしれませぬ。

そして、今、日本の英語教育は"e-learning"と"CALL(Computer Assisted Language Learning)"の時代なのですね。 様々な大学の取り組みを聞かせていただき、大変よい勉強になりました。 これからCALLに関する論文を書こうと思っているのでアイデアをたくさんもらえたことは大変ありがたかったです。

久しぶりに関西に戻ってきて思ったのですけれども、自分が属しているコミュニティーの人たちが全員日本語を話し日本語を理解し、しかも、全員が自分と同じ関西アクセントで話し関西弁を話しても浮かないという状態は、何て心が落ち着き、そして安心できるのだろうと。 言葉と心というのは深く関わっているのですね。

これから新学期が始まる8月中旬まで日本で仕事をする予定です。 日本人なので日本にいれるのはやっぱりうれしいです。

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