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"binary" という言葉について語らせていただく

Ebi_moe_008_1 ハワイ大学に来て,ほぼ毎週,目にしたり耳にしたりする単語がある.

"binary"(二つから成る,二項対立の)という単語である. たとえば,「白と黒」,「明と暗」といったような普遍的な対立構造をあらわす語を"binary oppositions" といったりする.

最近,このbinaryは,アメリカ文化を象徴する言葉のような気がしてきた. アメリカ人学生と話していると,「白か黒か」をはっきりさせることがこの国ではとても大事なことであるらしい...と実感するのだ.

Ebi_moe_009 たとえば,LiberalかConservativeか,Affirmative Action(差別撤廃政策)に賛成か反対か,Abortionに賛成か反対か,Natural Selection(自然淘汰)かIntelligent Design(知的設計説)か,などなど...アメリカ人学生というのは自分のスタンスというものを実にしっかりもっていて,なぜそのスタンスなのかというところまできちんと説明することができるのだ.

今日,シェリルとお茶を飲んでいたら,彼女が"We've been brought up in binary culture. "と言ったのだけれども,この"two binary cultures"というのが「白か黒かをはっきりさせる」ことを意味しているのだと思った. 

Ebi_moe_007そして,この"binary culture"の中で2ヶ月を過ごして,改めて気がついたことがある. それは,自分は白か黒かをはっきりさせることができない「グレーにんげん」だということである. はっきりさせることができないというか,日本にいたときに,政治的なことに関して意見を求められる状況がほとんどなかったため,突然質問されると,相手を説得できるだけの内容を備えていないことに気がつくわけであります.

たとえば,「satchyは自民党派?民主党派?」「satchyは首相の靖国神社参拝を支持するか?反対か?」「satchyはフェミニストについてどう思うか?」などなど. 

Ebi_moe_003_1 わたくしの場合,あかんなぁと思うところは,binary oppositionsのどちらの立場の議論も筋が通っているように見えて,「白黒つけられへん」という結論に至り,グレーゾーンにとどまってしまうことであります. 

でも,こういう「グレーにんげん」は,アメリカでは"irresponsible"(無責任)な人と受け止められるのかもしれませんね... 

軽いかるちゃーしょっくを受けてます. 白黒つけるということは勇気のいることだなぁと思いました.

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コメント

アメリカでもしっかりした教養のある人々のあいだでは、実はこの binary な考え方に批判的な人が増えていると思うのですが、それでも binary な世界で長年育ってきた人々にとってこの思考パターンを抜け出すのはなかなか難しいみたいですね。

今、西洋の思想は、ようやくプラトン的白黒思考からソフィスト的グレー思考に立ち返るために、もがいている最中のような気がします。

そういう意味で、どちらの意見もしっかり理解し、良い点や悪い点を認識できるグレーな考え方が出来る人には、白黒思考を超える下地があるのだとおもいます。

しかしグレーなままで終わるのではなく、第3、第4の可能性を模索し続けてゆくのが知を創造する人間の役割だと僕はおもっています。

投稿: ポール | 2006年10月19日 (木) 19:19

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投稿: まんと | 2006年10月19日 (木) 19:32

私は今、Ethnograghyの授業を取っているのですが、この間のディスカッションで「なぜSociologyは必要なのか?」という議題になりました。

なぜこの議題なのかというと、課題の本の中で「人が何か観察したものを説明するとき、どんなにマクロな統計を使おうと、どんなにミクロで緻密なnatural settingを用意しようと、必ずそこにはその観察者のInterpretationが介入する。だから、いろいろな研究結果でどれが正しいのかという問いは的を得ていない。」というような内容が語られていたので、「では一体私たち(Sociologistとその卵)は何のために研究するのか??」という問いになったわけです。

ディスカッションではいろいろな意見がでて、(それこそ白黒つけがたいですが…)一番ピンと来たのは「バランスを取るため」という回答でした。(私が聞き取れたのは、)binaryの議論にたいするそのまたbinaryな意見群、そのまた・・という弛みない知的活動によって(学問の世界の?)全体的な偏りを防ぐのかもね、ぐらいの解説だったと思います。つまり、彼女の意見は「グレーに保つことの大切さ」を根拠としたものでした。とても好きな考え方です。この考えならば、少数派の意見も大きな意味をなすし、私のような一学生のちゃっちい意見もちょっとは絵の具になってるんじゃないかと希望が持てます(笑)。

アメリカ人はそれぞれが白か黒の絵の具を出すことによってグレーを作る(や、失敗しているかも?)けれども、日本人はみんながグレーの絵の具を出してグレーを保っている、というアプローチの違いなのでしょうか。。

投稿: w | 2006年10月20日 (金) 05:14

Aか非Aのいずれかだという古代ギリシア以来の伝統もあるのでしょうが、右でもなく、左でもなく、真ん中を行こうとする人は車に轢かれるに決まっているという言い方をする人がいるぐらいで、欧米の人たちには、白でも黒でもないものを積極的に否定するメンタリティーがあるように思えます。私はグレーの部分もぼわーっと包み込んでくれる、一元論的というか東洋的宇宙観の方が好きです。

投稿: 日向清人 | 2006年10月20日 (金) 06:22

【ポール先生】
第3,第4の可能性を模索すること...本当にそのとおりだと思います.これが「知の創造」なのですね.

"Dynamic Model of Contrastive Rhetoric"を先生が提言されたように.

ありがとうございました.

【wさん】
なるほどー.日本人はみんながグレーの絵の具を出し合ってグレーを保っている...というのはおもしろいメタファーだなと思いました.

海外に出ると日本のことを客観的に見つめなおすことができますね.

【日向先生】
そうですね,アメリカ人学生というのは,「白か黒か」をはっきりさせる教育を受けてきていて,私が日本で受けてきた教育との違いを改めて感じる毎日です.でも,私は日本で教育を受けてきた日本人なので,突然アメリカ人のように「白黒はっきりさせる人間」にはなれません.私も,先生がおっしゃるように,東洋的宇宙観の方が好きです.

投稿: satchy | 2006年10月22日 (日) 06:50

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