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「自由に書け」という指示について考えてみる

ライティングの課題で,「自由に書きなさい」と指示されることがよくある.

しかし,この「自由」が表す意味範囲は漠然としていて分かりにくい. そして,この意味範囲は,人によっても異なると思う.

たとえば,一つの書き方しか知らない者は,その書き方に縛られる. 一方,複数の書き方を知っている者は,その中から書き方を選択できる. つまり,自由であるためには選択肢が必要なのだと思う.

日本の作文教育では,「感じたままを自由に書く」ことが重視され,様々な文章の規範や書く技術は教えられないことが多い. そのような「型」を与えてしまうと,個性や創造力が育たないという理由からである. しかし,どう表現していいかその手段や方法が分からないで,自由に書くことはできるのだろうか.

02021_2 渡辺雅子先生によると,アメリカの小学校の作文教育では,個人の主張を自由に表現する前提として,いくつかの文章の様式を見につけることが必要不可欠なプロセスとされているらしい. たとえば,描写するのか,説明するのか,論証するのか,また,比較・対照でまとめるか,原因・結果でまとめるか,などの様式である. どの様式を選ぶかで読み手への伝わり方も変わってくる. このような選択肢があるのとないのとでは,書く過程においても,また,出来上がった作品の質においても,大きな差が出てくるような気がする.

こちらのPhDコースで勉強を始めて,毎週何かしらのペーパーを書いているのですが,そのたび,「自由に書く」ためには「選択肢」を知っておかないといけないということを実感する. その選択肢は「思考」を深めることにも役立っているように思う.

「自由」と「規範」はパラドックスの関係にあるといえると思う. こちらのGenre Pedagogies の本の中でも,「自由」と「規範」について次のような記述があった.

0472030140 Genre pedagogies make both constraints and choices more apparent to students, giving them the opportunities to recognize and make choices (...) choice is enhanced by constraint. (20)

最近,このブログを通して,小学校の国語の先生とお話する機会があったのですが,「モデル」を与えることによって,子どもたちがびっくりするくらい書き始めた,とその効果をお話されていました. 日本の作文教育も変わってきているのでしょうか.

ところで,小説家のトムは,Criative Writingの授業で,「『犬』について自由に書く」というアサインメントが出て,その指示どおり自由に書いて提出したわけですけれども,その内容が過激すぎて教授を激怒させてしまい,授業からキック・アウトされてしまいました. 

やはり,Creative Writingの世界でも,「自由」には,ある一定の「選択肢」があるのだということなのでしょうか. しかし,たかが『犬』で教授を激怒させるなんて,小説家のトム君は一体何を書いたんや?

教えてもらったけど,確かに過激すぎて,ここでは書けません...ワンワン!

わたしも,授業からキック・アウトされないように,自由には規範が伴うことを忘れないでおこうと思った次第です.

1. 渡辺雅子 『納得の構造 ―日米初等教育に見る思考表現のスタイル』 東洋館出版社、2004年

2. Hyland, K. (2004). Genre and Second Language Writing. The Michigan Series on Multilingual Writers.

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コメント

 僕も高校生にライティングを教えていたとき、「自由に書いていいよ」というと、生徒は何もかけなくなってしまい、インターネットからのコピー&ペーストの寄せ集めになってしまうということがよくありました…。「書き方」を教えてあげることがやはり必要なんですね!改めて実感しました。 
 それにしてもトムさん、何を書いたんでしょう?気になります^^。

投稿: Toru | 2006年9月30日 (土) 23:48

なかなか鋭い観察ですね。

自由に書きなさいっていったって、結局教師のほうはある程度期待している形式や内容というのがあるもんなんですよね。ただそれに気づいていないだけ。気づくのは自分の期待に外れたものを学生が提出してくるとき。でもそれは学生の責任として処理してしまう。

これって、学生がある程度同じような教育レベルや環境からきていることを前提にしているときには通用するやりかた(たとえば19世紀までのアメリカの大学)なんですよね。それが通用しなくなったからコンポジションのクラスが必修になった。でも、こういったものの考え方が変わらないまま今に至っている。

じつはこれが最近書いた "The Myth of Linguistic Homogeneity in U.S. College Composition" で言わんとしていたことのひとつなんですよ。

投稿: ポール | 2006年10月 1日 (日) 11:45

自由にする、ってWritingだけの世界だけでなく、どの世界でも一番難しいことだと思います。一番楽な仕事とは、何をどのようにしなさい、といわれることだと思います。自分で自由にできる、ってことは自分で考えて、責任をとることですから、実は一番大変なことなんですよね~。

投稿: | 2006年10月 1日 (日) 22:43

【Toruさん】
お元気されてますか.

カット&ペイスト...これって学生さんの方はばれないと思っているのだろうけれど,読み手側は見抜いてしまうのですよね.

書き方を教えるのは難しい.アメリカの大学のcompositionのクラスでどのような授業が行われているのか来年から調査を始める予定です.まずは,授業のもぐりから始めます.(というか,ほんとに大学一年生にまじって授業を受けるつもりでいます)


【ポール先生】
コメントをありがとうございます.

compositionのクラスが導入された経緯については,theory of composition studiesの第一回目の授業で勉強しました.なるほどなぁと思いました.異なるバックグラウンドを持つ学生が同じ教室に集まるということは,学習に対して皆それぞれが異なるassumptionをもっているということなのであり,教師側もストラテジーを変える必要がある.これは,L2 classroomにもあてはまることだと思いました.ますます,compositionのクラスでどのようなことが行われているのか興味がわいてきました.

"The Myth of Linguistic Homogeneity in U.S. College Composition" 楽しみです!


【はてなさん】
まさしくそのとおりですね.

自由には規範とか責任が伴うのですよね. 分野に関わらず,広く人間関係においても,社会通念としても大事なことなのだと思います.

責任がとれない大人って意外と多いのかも,とふと思いました.

投稿: satchy | 2006年10月 2日 (月) 04:18

メンテナンスでコメントが遅れてしまいました…笑。

みなさんのコメントを読んで、ファイナンスの授業で習った"Informed choice"という言葉を思い出しました。これは本来、医学の世界で"Informed consent"との対比で使われた概念らしいです。

"Informed consent"は、「この治療法でやってもいいですか?」「はい、いいです。」という感じに医者が患者の承諾を取ることを促すコンセプトなのですが、医者によっては自分の試してみたい治療法だけを患者に説明して承諾をとってしまうケースが多かったようです。この問題を背景に"Informed choice"という概念が注目されました。

"Informed choice"は、「あなたの病気を治すにはAとBとCというやり方があるのだけれども、どれがよいですか?Aは~で、Bは~で、Cは~というメリット(デメリット)がありますよ。」というふうに考えられるすべての選択肢を患者に説明して納得してから承諾を得るというものです。

一見どちらのやり方も患者自身に決定権がある(すなわち自由がある)ように見えますが、蓋を開けてみれば"Informed consent"には患者の事実上の自由がありません。

きっとSatchy先生やポール先生が今後の作文教育に期待していることは"Informed choice"を教育の形で実践することなのですね?

投稿: w | 2006年10月 4日 (水) 09:19

ご無沙汰しています。頂戴したメールになかなか返信できなくてすみません。ただいま修士論文の中間発表会(中間って、提出締め切りまであと3ヶ月じゃん!)が近づいていて、猛烈にテンパッてます。屋上や海には近づかないようにしています。(笑)
もう少ししたら落ち着くと思うので、必ず返信します。satchyさんと較べたら悲しいぐらいレベルの低い悩みなんですけど…。
うん、でもやっぱ、小学校での作文教育って、変えていかなきゃダメですね。

投稿: おおとろ | 2006年10月 4日 (水) 23:08

【wさん】
こんにちは.

なるほどー.おもしろい分析ですね.医学の分野と違って教育の分野では,何が一番いいのか確定しにくいという難しさがありますが,学生さんが自分の選択肢の中から自分で最も適切な形を選択できるようになればすばらしいと思います.

そのために教師側が何を知っておかなければいけないか,何を伝えなければいけないか,が今の研究テーマでもあります.

【おおとろ先生】
こんにちは.

いえいえ,気になさらないでくださいね.またお時間のできたときにお話できるのを楽しみにしていますね.

中間発表,がんばってください.よいフィードバックがもらえるといいですね.

投稿: satchy | 2006年10月 6日 (金) 16:10

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