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科学では証明できない現象について

これから書こうとしていることは、非科学的で少し宗教的な話になってしまうので、読んでくださる方を不気味な気持ちにさせてしまったり、あるいは、不快にさせてしまうかもしれません。 でも、ずっと気になっていたことで、今日は思い切って、みなさんの意見を聞いてみたいなと思いました。

科学では証明できない現象というのは、真実とは言えないのでしょうか。 その現象は、当事者の単なる思い込みに過ぎず、実際には存在しないものなのでしょうか。 あるいは、そもそも観測し検証することが不可能な現象というのは、「科学では証明できない」などとは言えないのでしょうか。

たとえば、satchyの先輩で、霊感がものすごく強い人がいるのだけれども、その人が感じたり見えたりする現象は、果たして実際に存在するものなのだろうか。 それとも、その現象は、先輩の思い込みに過ぎないのだろうか。 その先輩のおうちに遊びに行くたび、satchyは、先輩の霊体験を聞くはめになるのだけれども、そのたびに、大変恐ろしい思いをして、夜はトイレに行けなくなってしまうのだ(←お子さまかっ!)

自分が小心者だということもあって、satchyは、そのような現象に対して懐疑的だったし、「そんなん見えるわけないやん、ぜったいウソやー」って思っていました。(先輩には悪いけど) でも、昨年末くらいから少しずつ考え方が変わってきました。 初めて、身近な人の死に直面して、その直後くらいから、ほぼ毎晩、不思議な現象を体験するようになりました。 そのことで、実は精神的に参ってしまっていたのだけれども、ある人に相談したら、「そんなふうにいつまでも死を悲しんでいてはだめだ」と怒られてしまいました。 そして、「いつまでも友人のことをかわいそうだと思っていたら、友人は昇天できないで苦しみが増すばかりである」、「ちゃんと供養をして苦しみから救ってあげないといけない」と教わりました。

その後、お寺に行って、友人の供養をしてきました。 そして、「与えてもらうばかりで何もお返しができなくてごめんね」とお詫びをして、「これからもずっと感謝しているし、いつまでもずっと忘れないでいるから」と約束してきました。 

その直後から、不思議な現象はぴたりと止みました。 そして、とても「偶然」とは思えないほど、日常生活の中で自分にとって良い出来事が続きました。 何となくですが、友人が守ってくれたような気がしたし、力を与えてくれたような気がしました。 でも、本当にそうなのかどうかは客観的に証明はできません。 ただ、自分がそのように思うだけで、単なる「自己満足」に過ぎないのかもしれません。 

ハワイへ発つ前に、もう一度、友人のところに行っておきたくて、昨日供養に行ってきたのだけれども、やはり、その直後は、不思議なくらい心が清められた気がしたし、力を与えてもらえる出来事が続きました。 これは、単なる偶然なのでしょうか。 それとも、自分の思い込みに過ぎないのでしょうか。 偶然の出来事を、友人と関連付けようとするのは、おこがましい行為なのでしょうか。 二回も同じ経験をしたので、これはどういうことなんだろう…と思って、今日思い切ってブログに書いてみました。

この現象が「思い込み」なのか「実際に起きていること」なのか、なんて誰にも分からないし、答も出ないとは思うんです。 でも、もし「思い込み」ではなくて、本当に友人の苦しみを癒すことができて、天国で友人が幸せを感じていてくれたら、とてもうれしいと思うし、私も友人の分も生きなければ、と思える。 だから、科学では証明できないけれど、存在する現象があってほしいな、と思う。

すみません、何か宗教的な話になっちゃいましたけど。。。 人の死に直面したのは初めてだったのですけれど、これまでの人生を振り返ると、うれしかったことってあんまり覚えていなくて、むしろ、悲しかったこと、つらかったことの方が鮮明に覚えているものなんだと知りました。 そして、その悲しみやつらさというのは、たいてい、「人との別れ」に関連していて、「別れ」が永遠であればあるほど、悲しみも根が深いものになると。。。 でも、ずっと悲しんでいてはだめなんですね。 この世を去ってしまった人の苦しみを救うために、これから何をしていけばいいのだろう、って考えています。

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コメント

とても貴重な体験をなさっているのですね。いい話聞けちゃいました。

私はまだすごく身近な人を亡くしたことがないので、Satchyさんの話にピッタリくる意見は持てません。

けれど、私はたとえ、科学的に証明されなくても「祈り」は信じたいと思ってます。別に特定の宗教で定められているようなやつでなくてもよいような一般的な祈りです。

例えば「君がベストを尽くせることを祈ってるよ」という場合や、死者に対しての供養のメッセージとしての「祈り」は、「願う」の域を越えた人智を超えた何かであってほしい。そうじゃなければ、なんだか虚しいし、寂しいです。

だから、私はSatchyさんのやさしい気持ちとメッセージが、ちゃんと亡くなった方に届いたのだと思いますよ。

科学で証明されない事が「ほんとう」でないということを、科学は証明できません。ならば、人間の知性では確認できないことに謙虚で寛容な姿勢をとる余地があると思います。

それに、そういう姿勢は人間の考えが不完全である(絶対的でない)ということを素直に踏まえている点で、むしろ理性的だとも思います。

・・というこの考えも不完全なんですがっ笑!もう好みの問題なのでしょうか・・。

投稿: w | 2006年7月18日 (火) 02:06

科学では証明できない現象はたくさんあると思いますよ。

投稿: shira | 2006年7月18日 (火) 09:58

satchy先生、こんばんは。
jet lagも治ったようで、今日からまた仕事でした。

科学的に証明できないことってたくさんあると思いますし、なんでもかんでも科学的に証明されてしまったら、それこそちょっと恐いような気がします。

ところでA thousand windsっていう詩をsatchy先生はご存知ですか?
もし関心がおありなら、ネットで検索してみてください。
確か、9・11事件のあとに話題になったと記憶しているのですが。

私は何だかこの詩が好きです。
理由はありません。

投稿: 鹿太郎 | 2006年7月19日 (水) 21:40

Wさん、shiraさん、鹿太郎さん、
みなさんがいてくれてありがとう。

投稿: satchy | 2006年7月21日 (金) 22:09

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