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ネイティブ・スピーカーをうらやましく思う瞬間、そして、英語教育について考える

今日は、ネイティブ・スピーカーの同僚と一緒に、日本語→英語の翻訳の仕事をする機会がありました。先日、「留学志望書の書き方」というワークシートを作ったのだけれども、その英語版が急遽必要になり(="英語版を作れ"というお上の一声があった)、ネイティブの力を借りることになりました。手伝ってくれたのは、一緒にライティング・プログラムの仕事をしているネイティブ3人(アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人)。3人とも、日本語を勉強していることもあって、日→英の翻訳はお手の物。彼らの口からよどみなく出てくる英語はやっぱりナチュラルで美しい。。。「なるほど、そーきますか、やりますなー、やっぱりネイティブは英語がうまいなー、satchyはどーせ、ノン・ネイティブやしー、ふーんっ、、、」と、彼らの英語に感心しつつ、自分がネイティブでないことをひがみつつ、すっかりおとなしくなってしまったsatchyは、その翻訳作業の場に体は存在していたものの、体が存在していただけで、ほとんど貢献ができませんでした。あちゃーー。。。

こういうことは、これまでも何度か経験したことがあるのだけれども、そのたびに、「外国語の習得にはゴールがない」ということを実感する。どんなに高い外国語能力を身につけても、ネイティブ・スピーカーと同等のレベルになるのは、ほぼ不可能に近い。もちろん、外国語の学習は、ネイティブ・スピーカーのようになることが必ずしもゴールである必要はない。しかし、satchyは、「英語教育」という分野に足を踏み入れてしまっただけに、やはりこのままではまずい、と思ってしまうのです。教える立場の人間は、ネイティブと同等か、ネイティブより英語が上手いくらいでないと、教壇に立ってはいけないのではないか、と思うのです。それが、「プロ」であり、「一流」であると。。。(←なんか、ちょっとカッコつけすぎですか?)

そうでなければ、「日本人への英語教育はネイティブにやってもらえばいい」なんていう、いわゆる「ネイティブ神話」がますます助長されていくような気がするのです。すでに、こういうことを主張しておられる方々も大勢いらっしゃるようですが、satchyはこの考え方が好きではありません。理由は二つ。まず、これからの日本社会を支える日本人の若者を育てるのは、日本人の先生でなければならない、と思うからです。自国の若者の教育を外国人に委ねるわけにはいかないのです。日本人を育てるのは、日本人の先生が責任を持たなければならないと。。。そして、もう一つの理由は、ネイティブにはできないが、日本人の先生にはできることがたくさんあると思うからです。日本人の先生は自分も苦労して英語を学んできた経験があるので、日本語母語者の学生が英語の習得を試みる場合、どのポイントがどのくらい難しいか、そしてそれを克服するにはどうすればよいか経験から知っています。学生の弱点を押さえているというのは、教えるときに非常に大きなメリットになります。

でも、日本人にできることはたくさんある!と主張はしても、英語力がついてこなければやっぱり説得力はありません。satchyは、関西にいたとき、仕事帰りに大阪のサイマル・アカデミーという通訳の学校に約4年ほど通って英語力を伸ばした。その後は留学もして、英語でものを書いたり発言ができるようになった。今は、力不足ながら英語で書くことを教えられるようになったし、この10年ほどで少しは英語がものになったのではないかと思っていた。が、今日の翻訳の仕事では、ネイティブと対等にはなれなかったし、やっぱりまだまだなんやなーって思った。うーん、外国語習得とはほんとに長い道のりなんやなー。そういえば、当時、サイマル・アカデミーのヘッドだった、通訳者の村松増美先生の口癖は、「わたしは、ネイティブより英語がうまい。ワッハッハ。」(ワッハッハは余分か)だった。確かに、先生のVOCAの豊富さはネイティブを圧倒するものだったし、流暢さでもネイティブにひけをとらなかった。努力すればいつかは先生のようになれるのでしょうか。英語は手段に過ぎないので、英語に振り回されるのは本末転倒かもしれないのですが。でも、今のままでは「手段」としても使いものにならないのではないか…と、今日のお仕事でちょっと落ち込んじゃいました。いろんな面で、まだまだ修行が足りませんなー。いつになったら、一人前になれるのでしょうか。

Aoyama_006_1 タイ料理だいすき♪ 

新宿にある「ゲウチャイ」というお店のグリーンカレー。

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コメント

satchy さん
こんばんは。
>ネイティブにはできないが、日本人の先生にはできることがたくさんあると思うからです。日本人の先生は自分も苦労して英語を学んできた経験があるので、

そうですね、nepcomもそう思います。
その昔、海外の語学学校へ行った時に感じたのは、
生まれながらに英語を話せる人(先生)から見れば、
戸惑いながら答えても・・。
「???」という表情しか返ってこない。

日本人の先生なら英語を同じように勉強しているので、
何に戸惑ってるのかも理解してもらえますね。

あと、良く思う勘違いが、英会話の本で中学英語で充分。。
みたいに書いているものがありますが、あれって・・。
ハンバーガーを頼んだり、ホテルに泊まれても・・
会話の中に入っていくことは、なかなか出来ません。
語学は、」ホントに奥深いですよね。

ボキャブラリーをどれだけ増やせるかが
重要なのかな・・と、思っているのですが、
脳の記憶回路が大部へたってきている今日この頃。。
なかなか覚えられません。

satchy さん、何かいい方法はありませんでしょうか?

P.S. お〜〜、グリーンカレーですか?(レッド?イエロー?)
食べたぁ〜〜い。
辛いの大好きなので、写真を見ただけで・・垂涎です。

グリーンカレーのレトルトの買い置きがあるのを
思い出しちゃいました。
写真を見たら、ものすごく食べたくなっちゃってます。
今、ゆで卵を作っていたのですが・・、これって、そのカレーの中に入れるために作っていたのか・・?
カレーを食べるのを予知していたのか・・?
なんか不思議な食欲が出でしまった土曜日の深夜です。

投稿: nepcom | 2006年6月25日 (日) 00:17

satchyさん、こんばんは!
おおー、サイマルアカデミー。懐かしいです。私も通っていましたよ!たった1年でしたが、あの頃は英語を自在に操れる自分を夢見て、頑張ってました(すでに過去形)。英語学校に通うだけでは、まったくモノにならなかった私ですが・・・。

ほんと、satchyさんの意見に同感です。NS教師よりもNNS教師の方が優れている側面がたくさんあると思います。でも言語能力が「Native並ではない(あくまで括弧付き)」という心理的なプレッシャーも大きいでしょうね。早稲田の日本語教育にもたくさんNNSの先生がいらっしゃいますが、いろいろな意味でとても尊敬しています。

PS:今日参加した研究会でsatchyさんの師匠Marriott先生にお会いしましたよ!やっぱりお忙しそうでした。

投稿: | 2006年6月25日 (日) 02:02

↑すみません、上の名無しのコメントは私です。

投稿: yoppy | 2006年6月25日 (日) 02:03

♪nepcomさん、こんにちは。
そうですよね、私もサイマルに通っていたとき、日本人の先生の方がネイティブの先生より教えるのがうまい、と常に感じていました。

中学英語で充分、、、ほんとに、このフレーズよく耳にしますね。nepcomさんのおっしゃるように、たぶん、旅行の会話程度なら中学英語で充分なのかもしれないですね。でも、英語を学ぶ意味は海外旅行をするためではないので、できればそれ以上のことを身につけてほしいと思いますけどねー。ボキャブラリーは大事ですよね。でも使わないと忘れちゃうので、日本にいるとどんどん英語力がrustyになってくような気がします。自分で工夫して英語を使う機会を作るようにしないとだめなんでしょうね。

タイのグリーンカレー!めちゃおいしかったです!nepcomさんのブログを読んでずっと食べたいなーって思っていたんですよ。レトルトの買い置き、食べちゃいました?

♪yoppyさん、おひさしぶりですー。
お元気されてますか。W大学の日本語教育にもNNS教師がいらっしゃるのですね。モナシュ大学でレベルBを教えていたときに同僚がNNSだったのですが、彼女はオーストラリア人の学生から絶大な支持を得ていました。その時、NNSとNSがチームを組むことにより、お互いの得意、不得意を補完し合うことが可能になり、よりよい授業が展開できるのではないか、と思うことがありました。

ヘレン先生、土曜日にlanguage management seminarに出るとおっしゃっていました。yoppyさんも参加されたのですね。そうなんです、いつも忙しそうなんです。尊敬する師匠なんだけど、いつもピリピリしているような気がするのでもうちょっとゆとりをもってもいいんじゃないかなーと。。。(余計なお世話だけど)先生を見ていると、"laid-back"で"easy-going"というオーストラリア人のステレオタイプが間違っていることに気づかされます(笑)。

投稿: satchy | 2006年6月25日 (日) 20:48

語学って本当に終わりの見えない勉強が必要で、でもすぐ忘れるそんなはかないものですよね。
私も「ネイティブになりたい」とかつてどれだけ思ったことか。(過去形です)
そんなわけで、わが子には日中(できれば英も)すべてネイティブになって欲しいなと思いますが、そんなことが実現したとしても、言葉は操れるが専門書読んだりする力は劣る人になるだろうなと思います。やっぱり教育は一つの言葉で受けたほうがいいですよね。そうなると、2つ以上をネイティブにするのは難しいし。。

投稿: Hitomi | 2006年6月26日 (月) 06:56

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