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ドキュメンタリー番組制作に携わる

最近、すっかり、「よろずや」と化してしまったsatchyでございます。学生がペーパーに追われるこの忙しい時期、彼らが、「助けてくれー」「英語見てくれー」「どっかおかしいとこないかチェックしてー」。。。と持ち込むペーパーの種類は実に多岐に渡り、あまりの幅広さに、自分の専門が何だったか忘れちゃいそうな勢いです。ちょい仕事しすぎやなーと思う。ある程度、線引きすることが大事やと思いつつ、かわいい学生たちを放っておけない、という親心みたいなのもあり、結局、時間を大幅にオーバーして彼らのペーパーをチェックすることになる。最近は、日本語でも理路整然と筋道立てて自分の意見を語れない人が増えているので、そんな人たちが英語で書いてしまったあかつきには、まさに暗号を解読するような状態に陥ってしまうのですけれども、それでも、英語で表現することの大変さを自分も経験してきたから、歯を食いしばって解読作業にいそしむわけです。学生相手の仕事で一番大事なことは、"patience(忍耐)"であるとつくづく実感する。

でも、大変なことも多い分、学生さんが書いたものから学ぶことも結構あって、実はすごく楽しい。たぶん、楽しいから、残業お構いなしで仕事しちゃうんやろね。今日は、「ドキュメンタリー番組の英語の字幕をチェックしてほしい」という学生さんがやって来たのだけれども、そのドキュメンタリー番組が実によくできていて、英語のチェックを忘れて、番組自体にのめり込んでしまいました。番組が終わる頃に、「あ、英語のチェックするん忘れとった!」と、はたと気がつく始末。。。で、もう一度上映してもらったのだけれども、やっぱり英語なんて忘れて番組を楽しんでしまったsatchyなのでした。。。

そのドキュメンタリー番組は、最近、原宿に出没している「ゴシック ロリータ(Gothic Lolita)」(以下、ゴシロリ)と呼ばれる女の子たちを取材したものだった。文化人類学の授業で出された課題らしく、学生たちは、実際に原宿に出向き、ゴシロリ系少女にインタビューをし、彼女たちがゴシロリに至った経緯から、彼女たちのゴシロリ的世界観、ゴシロリ的生き方に至るまで、実におもしろいfield workを行っていた。外国人にもインタビューを試み、ゴシロリが外国人の目にはどう映っているのか、について調査し、ゴシロリ・ショップの店員には、店員しか知りえないゴシロリ少女たちの内面について取材をしていて、実に創意工夫に富んだドキュメンタリー番組に仕上がっており、ちょっと、というか、かなり感動してしまったsatchyでございました。

と、ゴシロリ、ゴシロリ、と何度も書いてると、なぜか、頭の中に「ゴキブリ」と「シロアリ」が出てきてしまいまして、ちょっと気持ち悪くなっているsatchyなのですけれども、もうちょっと続けますね。

それでですね、このドキュメンタリー番組の「編集」が、これまた素晴らしいんですね。場面の切り替えとか、エンディングとか、バック・ミュージックなども実にうまい。なんでこんなにうまくできるの?と、めちゃくちゃ「そのまんま」の質問を学生さんにぶつけてしまったのですが、その学生さんによると、「子どもの頃から映画を見るのが大好き。編集の仕事にはずっと興味があって、将来は番組制作会社に就職したい」のだそう。。。なるほどねーー。この彼は、おそらくほんとにそのような道に進むのだろう、と思う。幼い頃から映画に触れる機会があり、自然と、感性が磨かれていったのでしょうね。いやー、いろんな子がいて、大学で仕事してるとほんとに楽しい!

で、結局、仕事を忘れて番組を楽しんじゃったんですけど、最終的には字幕の英語チェックもしました。そしたら、なんと、その学生さんが、「番組のエンディングで、ちゃんと、"Special Thanks to Satchy(←ここには本名が入る)..."って出しますからね」と言ってくれた。「そんなん恥ずかしいからやめといてー」といいつつ、内心、ちょっとだけ嬉しかった自分は、やっぱりまだ青い?上映会はわりと大きなイベントになるらしいので。。。

はい、アホですね。

ま、いろんな世界に触れて、いろんな学生に出会えるという意味で、「よろずや」であることも、今は悪くはないかなーと思っています。

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人の幸せとは

ずっと思いを寄せていた人が自分のことを好きになってくれることは、長い人生においてそう頻繁に起こることではないので、もし仮にそういう機会に恵まれたとしたら、それは本当に本当に嬉しいことで、心からの幸せを感じることができるのだろうし、そのような機会に恵まれた人たちの多くはきっとこう思うのだろう。「この幸福な時間が永遠に続けばいいのに…」と。

しかし、もし仮にそのような幸せな機会に恵まれたとしても、他にやり遂げなければならないコミットメントがあったとして、そのコミットメントにより、せっかくつかんだ幸福な時間が奪われるとしたら、人は自分が幸福になりたいがためにコミットメントの方を捨て去ることができるのだろうか。それとも、コミットメントとは自分に課せられた「責務」であるとの認識から、コミットメントの方を優先し、せっかくつかんだ幸福な時間を自分で止めてしまうのだろうか。あるいは、コミットメントも果たしつつ、幸福な時間も維持していくという方法が可能なのだろうか。

そして、ここでもう一つ生じる疑問は、では人の幸せとは何なのか、ということである。大好きで心から尊敬できる人と共に時間を過ごせることは、誰にとっても幸せなことだろう。しかし、それだけでいいのだろうか。人生には果たさなければならないコミットメントがあるのではないだろうか。コミットメントとは、自分自身の「ビジョン」であり、それは、自分の「存在」そのものであり、自分の「在り方」にもかかわるものだからである。たとえば、医者には患者を救うというコミットメントがあるし、先生には子どもを育てるというコミットメントがあるし、主婦には家庭を守るというコミットメントがある。つまり、コミットメントとは、自分がどのような「在り方」をしているか、ということなのであり、コミットメントを持ち続けることは、人生そのものであるような気がするのだ。だから、大好きな人との時間を大事にしたいがためにコミットメントを犠牲にするとしたら、「自分の在り方」はどうなってしまうのだろうか。「自分の人生」はどうなってしまうのだろうか。そのことは本当に幸せなことなのだろうか。

どちらも手に入れられたら素晴らしいと思う。しかし、そんなことは可能なのだろうか。そんなふうに人生を上手に生きる術があるのだとしたら、その術をこの要領の悪い私に教えてほしい、と思うのです。

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ネイティブ・スピーカーをうらやましく思う瞬間、そして、英語教育について考える

今日は、ネイティブ・スピーカーの同僚と一緒に、日本語→英語の翻訳の仕事をする機会がありました。先日、「留学志望書の書き方」というワークシートを作ったのだけれども、その英語版が急遽必要になり(="英語版を作れ"というお上の一声があった)、ネイティブの力を借りることになりました。手伝ってくれたのは、一緒にライティング・プログラムの仕事をしているネイティブ3人(アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人)。3人とも、日本語を勉強していることもあって、日→英の翻訳はお手の物。彼らの口からよどみなく出てくる英語はやっぱりナチュラルで美しい。。。「なるほど、そーきますか、やりますなー、やっぱりネイティブは英語がうまいなー、satchyはどーせ、ノン・ネイティブやしー、ふーんっ、、、」と、彼らの英語に感心しつつ、自分がネイティブでないことをひがみつつ、すっかりおとなしくなってしまったsatchyは、その翻訳作業の場に体は存在していたものの、体が存在していただけで、ほとんど貢献ができませんでした。あちゃーー。。。

こういうことは、これまでも何度か経験したことがあるのだけれども、そのたびに、「外国語の習得にはゴールがない」ということを実感する。どんなに高い外国語能力を身につけても、ネイティブ・スピーカーと同等のレベルになるのは、ほぼ不可能に近い。もちろん、外国語の学習は、ネイティブ・スピーカーのようになることが必ずしもゴールである必要はない。しかし、satchyは、「英語教育」という分野に足を踏み入れてしまっただけに、やはりこのままではまずい、と思ってしまうのです。教える立場の人間は、ネイティブと同等か、ネイティブより英語が上手いくらいでないと、教壇に立ってはいけないのではないか、と思うのです。それが、「プロ」であり、「一流」であると。。。(←なんか、ちょっとカッコつけすぎですか?)

そうでなければ、「日本人への英語教育はネイティブにやってもらえばいい」なんていう、いわゆる「ネイティブ神話」がますます助長されていくような気がするのです。すでに、こういうことを主張しておられる方々も大勢いらっしゃるようですが、satchyはこの考え方が好きではありません。理由は二つ。まず、これからの日本社会を支える日本人の若者を育てるのは、日本人の先生でなければならない、と思うからです。自国の若者の教育を外国人に委ねるわけにはいかないのです。日本人を育てるのは、日本人の先生が責任を持たなければならないと。。。そして、もう一つの理由は、ネイティブにはできないが、日本人の先生にはできることがたくさんあると思うからです。日本人の先生は自分も苦労して英語を学んできた経験があるので、日本語母語者の学生が英語の習得を試みる場合、どのポイントがどのくらい難しいか、そしてそれを克服するにはどうすればよいか経験から知っています。学生の弱点を押さえているというのは、教えるときに非常に大きなメリットになります。

でも、日本人にできることはたくさんある!と主張はしても、英語力がついてこなければやっぱり説得力はありません。satchyは、関西にいたとき、仕事帰りに大阪のサイマル・アカデミーという通訳の学校に約4年ほど通って英語力を伸ばした。その後は留学もして、英語でものを書いたり発言ができるようになった。今は、力不足ながら英語で書くことを教えられるようになったし、この10年ほどで少しは英語がものになったのではないかと思っていた。が、今日の翻訳の仕事では、ネイティブと対等にはなれなかったし、やっぱりまだまだなんやなーって思った。うーん、外国語習得とはほんとに長い道のりなんやなー。そういえば、当時、サイマル・アカデミーのヘッドだった、通訳者の村松増美先生の口癖は、「わたしは、ネイティブより英語がうまい。ワッハッハ。」(ワッハッハは余分か)だった。確かに、先生のVOCAの豊富さはネイティブを圧倒するものだったし、流暢さでもネイティブにひけをとらなかった。努力すればいつかは先生のようになれるのでしょうか。英語は手段に過ぎないので、英語に振り回されるのは本末転倒かもしれないのですが。でも、今のままでは「手段」としても使いものにならないのではないか…と、今日のお仕事でちょっと落ち込んじゃいました。いろんな面で、まだまだ修行が足りませんなー。いつになったら、一人前になれるのでしょうか。

Aoyama_006_1 タイ料理だいすき♪ 

新宿にある「ゲウチャイ」というお店のグリーンカレー。

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師匠、来日

わたくしの師匠(MAのときの指導教授)、Helen Marriott先生が、はるばるオーストラリア、メルボルンから来日されました。今、日本の大学は前期の真っ最中なのですが、オーストラリアの大学は、この時期(6-7月)が冬休みになります。今回、横浜国立大で開かれるセミナーに出席するために来日されたそうですが、かわいい教え子(?)の仕事ぶりをぜひ見てみたい、とのことで、今日の午後、satchyの職場を訪問してくださいました。

師匠がこうやってはるばる自分に会いに来てくれるのは、ほんとにうれしいことです。そして、自分が今働いている場所を師匠に見せることができて、何か恩返しができたような気持ちです。わたくしが今取り組んでいる仕事については前々から興味を示してくださっていたのですが、今日、実際に働いている場所を見て先生はとても嬉しそうにしていらっしゃいました。先生のそんな表情を拝見してsatchyもうれしかったです。論文の最終段階の頃は、とーっても厳しい先生で、研究室に近づくのが恐ろしかった時期もあったのですが。。。でも、振り返ってみれば、それくらい厳しい人だったからこそ、今の私があるわけで、力のない私を育ててくれたことに心から感謝したい、と思いました。ちゃんと恩返しができるように、次はPh.Dでもっともっと頑張って成果を出さなければ。。。

先生はいつも忙しい人なんですけど、今日もやっぱり忙しそうでした。大学のブレイク中に日本に来ているんだから、ちょっとはゆっくりしたらいいのになーと思うんだけど。明日は神田外大に行って、あさっては明海大で、その次は横浜国立で、、、てな感じで、来日中も超・タフスケジュールを組んでいらっしゃる。学者さんっていつも忙しいんだなー。。。でも、何か寂しいな。satchyも子供の頃、家族に学者さんがいたことでずいぶん寂しい思いをしたことを覚えている。なので、子供の頃から自分は絶対にこんな仕事はいやだって思ってきたけど、なぜか同じ道へ進みつつある。学問を続けるとは、時に自分を欺いて生きることが必要なのだろうか。そして、そのことの辛さに歯を食いしばって耐えられる人こそが学者として一流になり得るのだろうか。。。先生の後ろ姿を見送りながら、そして自分の幼少時代を思い出しながら、そんなことを考えたのでした。

もしかすると、そんな大げさなものでもないかもしれないですけどね。わたしはまだ研究者でもないし学者でもないので、よく分かりません。ただ、自分が意味があると思うことをこつこつと続けていくのみです、今は。

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雨ふりはきらい。でも、アジサイの花はだいすき。

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外面を磨く

眠れませーん。。。ただいま夜中の3時ですが。。。

本を読む気にもなれないので、この週末に感じた「美しさ」というテーマについて、エッセイを書いてみたいと思います。

自分磨きは、まず、内面の美しさから」と、よく言われます。satchyも、「内面の美しさがそのまま外見にも表れてくれるなら、、、」と願いつつ、自分の内面を磨くために、10代の頃からコツコツと努力を続けてきました。しかし、最近、思うのです。内面が綺麗な人は外面など関係なく真に美しい、と言えるのだろうか…?逆に、外面が完璧な美を成していても内面が汚れていれば、それは美しいとは言えないのだろうか…?もちろん、私たち人間が本能的に感じる美は、一人ひとりの価値観に委ねられるものなので、美しさの定義を一概に決め付けることはできないと思います。が、しかし、美しさは内面を磨くだけではやっぱり十分ではない、、、と、最近になって思い至ったのであります。そう、外面もやっぱり大事なのです。なので、satchyは決めました。もう内面磨きはこれくらいにして、これからは外面磨きに一生懸命になろうーと。。。

(←というか、こんな夜中に一体何を書いているんだ―。。。)

外面磨きが大事だと再認識させてくれたのは、大学の事務所で働いているSさんです。Sさんは、「美」に対する意識が非常に高い人。日曜日、行きつけのアロマセラピーやコスメ関係のお店に連れて行ってくれました。

Aoyama_005 Sさん行きつけのお店の一つ、"LUSH"は、ハーブや生野菜、果物を原料としたソープやパック、クリームなどを扱っているお店です。生野菜、、、という言葉にも魅かれてしまうけど、それぞれのアイテムにつけられた名前がおもしろくて、ひとつひとつを手に取り、香りや色を楽しみながら、じっくりと眺めてしまう。たとえば、ソープの場合、種類は16にもおよび、それぞれにつけられた名前もさまざまである。「ブラジル娘の唄」、「ウィート教授」、「紫式部の神話」、「みつばちマーチ」、「ボヘミアン」、「赤頭巾ちゃん気をつけて」、、、などなど。花王の「花王石鹸」があまりにもフツーに思えてしまうくらい、このネーミングはextraordinary & incredibleである。でも、なんか、めっちゃテキトウにつけている感も否めないが…。ちなみに、「赤頭巾ちゃん気をつけて」というソープは、ミントとハッカが原料になっているらしい。「ミントとハッカでオオカミを追っ払っちゃえ!」ってとこでしょうか…。ま、どーでもえーんですけど、これ思いついた人、ちょっぴり尊敬しちゃいます。

と、話が脱線してしまったんですが、Sさんは、ここLUSHの商品を使って、美しさをキープしているらしい。クオリティーの高い商品を使うことで外面が磨かれるだけでなく、心も豊かになり、それが内面を磨くことにもつながっているんだろう、、、と一人勝手に分析させていただきました。

Aoyama_009Aoyama_008  そんな美意識の高いSさんに刺激を受けて、satchyも、LUSHでパックを購入してしまいました。(←ったく、影響されやすいのである)「ピュアブラボー」という名前のパックで、原料にはキーウィが使われているらしい。中には、クルミの殻のスクラブが入っていて、古い角質除去にもお役 に立ってくれるのだそう。まさに、「ブラボー!」なパックなのであります。Sさんには、「年齢を重ねた肌」用の「シャングリラ」を勧められたんだけど(これは軽いセクハラ発言である)、「シャングリラ」という名前がウサンクサイし、何より、satchyの肌はまだ「年齢を重ねた肌」というカテゴリーには分類されないとの信念から、Sさんの勧めを拒絶し、「ピュアブラボー」の方を選んだわけです。で、選んで大正解!ひんやり冷たいキーウィのパックは、とってもいい香りがして、この蒸し暑い夏の夜にしばしの憩いを与えてくれます。。。お肌もしっとりして、すごーく幸せな気分。。。よし、この調子で、Sさんに負けないように外面を磨いていくぞー。

というか、せっかく「ピュアブラボー」でキレイになっても、こんな夜中にボヤキ・ブログを書き、夜更かししていてはダメですね。明日は7時起床なので、もう寝まーす。

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←LUSHのbrochureです。どの商品も色がきれいで、見ているだけで楽しい。「ピュアブラボー」の次は、「シャングリラ」を使ってみようかと、、、と考えているsatchyでした(←やっぱり気にしている)

Aoyama_003Aoyama_002  ←表参道ヒルズに行って来ました!階段を使わずに、各フロアのお買い物が楽しめます。何か空港のショッピングフロアのようでした。

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フルブライト渡米前オリエンテーション

フルブライト渡米前オリエンテーションに出席してきました。朝9時半に、永田町の日米教育委員会に集合し、夜8時まで拘束される、という一日がかりのオリエンテーションで、行く前は正直、「めんどくさいなー。仕事も休まなあかんしー。」ってユーウツだったんだけど、終わってみて、「行ってよかった!」って気持ちに変わっています。一日、同期のフルブライト生の人たちと過ごしたことで、お友達がたくさんできたし、頑張っているみなさんの姿を見て刺激を受けたし、とってもproductiveな一日を過ごすことができましたー!!

昨年12月の会合のときは、同期のみなさんの経歴を聞いて、「私は果たしてこんなにすごい人たちのone of themでいてよいのだろうか。。。」と正直ビビッていたsatchyですが、昨日みなさんとお話して、経歴だけではなく人間的にも優れた人ばかりであることを知り、one of themでいれることを心から嬉しく、honorに感じたのでありました。

satchyは、実はあまり社交的ではなくて、「知らない人に自分から話しかけていくのは、あまり得意ではない」人間なのです。しかし、最近、「このような態度を悔い改めなければならない」と認識する機会がありました。なので、昨日は、頑張ってみました。で、24時間が過ぎた今、「頑張ってよかった」って感じてます。名刺もいっぱいもらったし、昨日友達になった人から早速メールももらえたし。こうやって、ネットワークが広がって、自分の世界も同時に広がっていくことは、自分にとってかけがえのない財産だと思うのです。

ネットワークという点で、何よりフルブライトに感謝したいことは、自分の専門分野以外の人たちと交流ができることです。法律、文学、歴史、政治、新聞記者、、、など、本当に様々な専門分野の方たちとお友達になることができました。フルブライトに選ばれなければ、こんなに多種多様なバックグラウンドの人たちと知り合うことは難しかったと思います。ほんとにありがたいことです。

satcyと同郷の方ともお友達になれました。神戸新聞の記者をされているKさんや、伊川谷から同志社に通ってアメリカ史を研究しているFさん。(←「伊川谷から」は余分やったかな??) お二人とは、特に長い時間お話することができました。関西の方と話していると、すごーくリラックスして、本来の自分の姿を取り戻せるように感じてしまうのは、何でなんやろ。(←普段、ネコをかぶっているわけじゃないけど。。。) お二人とも、明るくて、オモシロくて、それでいて知的で、めっちゃ素敵な人やった!!

夜は、麻布にある"アメリカ公使公邸"で、華やかなレセプションが開かれました。「公使」って言葉を聞いたとき、「ん?公使?コウシってなんじゃ?」って思ったsatchyなのですが(苦笑)、大使の次に偉い人なんだそうです(←なんて陳腐な説明)。公使公邸に足を踏み入れるなんて、たぶんこれがfirst & last experienceになることでしょう。イギリス映画に出てくるような優雅な邸宅、緑につつまれた庭園(プールつき)で、とても有意義でリッチな時間を過ごさせていただきました。公使とお話ができなかったのが残念ですが。スピーチのときも、周りの人の背が高かったため、オデコしか見えず、どんなお顔をされているのか分かりませんでした。(←ちなみに頂上には髪が見当たりませんでした。コリャー)

留学のことを考えて少々ユウウツになることも正直あったのですが、昨日のオリエンテーションに出て、フルブライトという名誉ある機会をゼッタイに無駄にしてはいけない、と思いました。自分のスキルを磨き自己満足で終わるだけではなく、広く社会に貢献ができるような人間になって、日本に帰ってきたいと思います。それが、フルブライト生として自分が果たすべき役割であると感じています。

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←フルブライトのピン・バッジをいただきました。

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プロモーション・ビデオに出演

今日は、プロモの撮影がありました。

。。。 オマエはミュージシャンかーーって? いいえ、違います(わかっとる)。歌って踊るプロモじゃなくて、国際教養学部(satchyが仕事をしている)のプロモです。来月開かれるオープン・キャンパス(高校生たちが集まる)で、このビデオを上映するらしい。大学も、少子化の影響か、いわゆる「お客さん集め」にあれこれと知恵を絞らないといけない時代になったんですね。なんか大学も商業化してきてるなー、と感じる今日この頃です。

で、肝心のプロモなんですけど、satchyが仕事してたら突然入ってきたんですよ、突然。普通、事前にオファーがあるはずでしょーに。っていうか、オマエは歌って踊れる芸能人じゃないから、オファーは必要ないのか。 「これから撮影しますけどいいですか?」ってスタッフの人に言われて、「いいえ、いやです」とも言えず、、、そうこうしてるうちに、ぞろぞろと、カメラやマイクを手にしたクルーたちが数人、部屋に入ってくる始末。めちゃ、ゴーインじゃー。

で、satchyの仕事風景の撮影が始まったわけです。でも、撮影クルーの人たちに囲まれると、みょーに緊張してしまった。そして、カメラが目の前に来ると、なぜか、カメラ目線になってしまった。あちらは、satchyが学生を教えている自然な映像を撮りたいはずやのに。

と、案の定、スタッフの人に、「普通にしててください、ふつうに」 と言われてしまう始末・・・。(←まだまだカメラ慣れしてませんなー。っていうか、オマエは歌って踊れる芸能人じゃないからカメラ慣れは必要ないのである。)

「普通にしててください」って、ちょっとひどいよねー。「普通にしててください」とは、satchyが普通でない行動をとっていたということを意味し、それは、非常に自尊心を傷つけられる一言であるわけです。この文脈においては、「普通にしててください」ではなく、「自然にしててください」が、適切な語彙ではなかろうか。

っていうか、どーでもいいけど。

で、satchyの撮影だけで終わるかと思いきや、クルーの中にいた妖しいブロンド・ゴージャス系アメリカ人女性が、勝手に学生にインタビューを始める始末。"How's it going?"なんて質問をして、satchyの指導ぶりについて学生にコメントさせようとしている。ったく、余計なお世話じゃい。

学生さんがなんて答えるのか内心びびってたんだけど(terribleやらrubbishやら言われてしまったらどうしよう)、very helpfulって一応、社交辞令を言ってくれたので安心した。その子は帰国子女だったので、社交辞令が通用しないのかと思っていたが、やっぱり日本人の心を忘れていなかったようである。ああ、よかった。

撮影は約10分ほどで終了。せっかくプロモに出れたので、何かおもしろいことを言って笑いをとってやろうと思ったものの(←関西人の血が騒いだため)、「普通にしててください」の一言で傷ついてしまったので、普通の特におもしろみのないビデオに仕上がったと思います。これで、お客さん集めに貢献ができるのでしょうか。

ま、人生初のプロモ出演、よい経験になったということで。。。

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吉祥寺いってきた♪

早めに仕事を終えて、吉祥寺に行ってきました。今学期、夕方に時間がとれるのは水曜日だけ。予定外の仕事が入って、結局遅くなってしまうことが多いんだけど、今日は早い時間に学外脱出成功 !! イエーイ !!

なんで吉祥寺かというと、あさってまでに読んでおかないといけない文書があって、それを吉祥寺のスターバックスでやってやろうと…。そう、吉祥寺駅北側のスターバックスって、めちゃ落ち着く空間で、本読んだり、思索にふけったりするのに最適な場所なんですよー。それに、ショッピングもしたい。吉祥寺は、no-brandなんだけどかわいい服を売ってるお店が多くて、hang-outがめちゃ楽しい。

てな感じで、「文書に目を通す」「ショッピングする」という二つの目的をもって、やってきました吉祥寺 !! いやー、この街の雰囲気、落ち着いてていいですなー。ここに来るとほんとにホッとします。職場のある高田馬場とは大違いじゃー(←っていつも言ってるね、馬場はディープすぎて神戸の新開地っぽいのです)。

Kichijooji_002Kichijooji_001  さー、さー、読んでやろうじゃないかーー。これ、日米教育委員会から送られてきたフルブライト生のためのハンドブックです。あさって、2006フルブライト生の会合があるので、そのときまでに、必ず全ページ読んでおけとお達しがありました。奨学金をいただくためには、いろいろな細かい手続きが必要なんだなーとしみじみ…。でも、細かすぎてなんだかよーわからんとこもあり、そこにハイライトを引いていると、最終的に受験生の教科書のようになってしまいました。ニャーっ。

と、スターバックスで読み続けること3時間。無事、全ページ読み終えましたー。さー、お次はショッピングじゃーい。

平日ってことで人も少なく、落ちついていろんなお店を回ることができました。高田馬場ではゼッタイに見られない、カワイイお洋服がたくさんで、もう見てるだけで幸せな気持ちになってしまう…(←またまた出ました、馬場批判)。「ちょっとアナタかわいすぎるでしょーっ」て思わず言いたくなるくらい、かわいいお洋服を見つけてしまいました。それに、お値段もびっくりするくらい安い。。。 ときたら、買わないわけにはいきません。

見て見てー。

Kichijooji_004Kichijooji_003Kichijooji_007  白のカーデガンとカットソー、この優しくてふんわりした感じに心を奪われてしまいました…。真ん中のTシャツは、satchyの好きなイラストレーター、Reiko Aokiさんのイラストに似ているので買ってしまった。なんと1500円でした。ちょい若すぎます?

Kichijooji_005Kichijooji_008  これから暑くなるので、髪くくっちゃいます。ゴムにくっついているこの透明の石たち、見てるだけで涼しげでしょ。

たった一本のゴムのために、こんなにかわいいラッピング袋に入れてくれました。こういう心遣いを見るにつけ、日本のサービスは世界一やなーと思ってしまう。

Kichijooji_009Kichijooji_006  調子にのって香水まで…。「ブルガリ・ブラック」です。昔から大好きな香りで、神戸にいたときはほぼ毎日使ってたんだけど、高田馬場に通勤するようになってからは中断してました(あ、またなにげに馬場批判しとる)。というか、職場には不適切だと思うしねー。お休みの日に、楽しむようにしまーす。

いやー、ショッピングってめちゃ楽しいですねー。女の子に生まれてほんとによかった (というか、女の子という年齢ではないが)。いい息抜きができたので、また明日からお仕事と研究がんばります。

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想いを伝える

ものごとを考えるとき、人は、頭の中で言語を用いて考えを整理している。そして、いったん考えが整理されたら、再び言語を用いて思考を進めることになる。言語には、「思考の結果を表現する」だけでなく「言語を用いて思考する」という側面があるのだ。

言語と思考の関係を考えるとき、語彙がたくさんある人は、それだけ豊かな思考ができる、と言えると思う。たとえば、好きな人のことを想う時、もし、「好き」という単語しか知らないとしたら、その人は、その語彙を大きく超えて考えたり、感じたりすることはないんだと思う。「いいなと思う」「素敵だなと思う」「魅かれる」「惚れる」「ときめく」「恋する」「愛する」「ずっと想いつづける」「大好きになる」、、、などなど、幸いなことに、日本語には「好き」に関する豊かな語彙が存在していて、だからこそ、好きな人のことを想うときには、心が豊かになるように感じるのかもしれない。

でも、頭の中で豊かな思考をprocessingできたとしても、それを相手に伝えるのはとても難しい、、、とsatchyは思う。processingは言語を使って行われているはずなのに、その思考を言語化することができないのはなぜなんだろう。思考と表現は、別の認知活動なんだろうか。頭の中では、ほんとにいろんな想いが熟成されているはずなのに、なんで伝えられないんだろう。

口下手なんですね、よーするに。頭の中の想いを相手に正確に伝えられる技がほしい。言わなければ、言語化しなければ分かってもらえないとしたら、せっかく熟成した気持ちが台無しになってしまうもんね。

てか、なに言ってんのー??って感じー。。。

大人になったら、想いを伝えるのが自然にうまくなるんだって思ってたけど、これって大人になっても簡単に身につくもんじゃないんやね。

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「死にそう」という言葉

6月も中旬にさしかかり、大学では学生たちがmid-term paperに追われる時期となりました。satchyの学部は、ペーパーを英語で書かなくてはいけないので、学生さんたちは、内容を膨らませることに加えて外国語で書くという二重のハンデを背負うことになり、かなり大変そうです。

で、最近、ペーパーの締め切りに追われる学生さんたちが、頻繁に発する言葉を発見したんですよ。それは、「死にそう」ってやつです。

「3000wordsのペーパーが二つもあって、死にそうです~。」 「締め切りが明日だってのに、まだ何も書けてない!もう死にそうです~。」 てな感じ。または、ペーパーを出した後、「昨日の夜はペーパー仕上げるのに必死やったで。ほんまに死んでたワ。(←関西弁バージョン)」 というように過去形で使われることもあります(笑)。

ほんとに多くの学生さんが口にするので面白いなーって思っていたところ、今日、自分も何気なく使っていることに気がつきました。今日、実は英検1級を受けてきたんだけど(←certificateとして必要となったので)、2時間半にわたる長時間の試験が終わった後、「もうめっちゃ疲れた。もう死にそうや~。」ってひとりごと言ってました(笑)。

いやいや、改めて考えてみると、「死にそう」って便利な言葉なんですね。上の例以外にも、例えば、「お腹がすいて、死にそう~」とか、「失恋して、悲しくてつらくてもう死にそう~」とか、いろんなシチュエーションで、「死にそう」が使われてるんですね。「死にそう」って言っても、ほんとに、死ぬわけじゃないんだけど、ついつい大げさに言ってしまうのは、人間には、並の言葉では足らず、極端に大げさに言いたい、という欲求が生まれつきあるからかもしれないですね。

この「死にそう」のような表現法を、レトリックの分野では、「ハイパーバリー(誇張法)」と呼びます。レトリックの中で、皆さんになじみがあるのは、「メタファー(隠喩)」、「トートロジー(同語反復)」、「ユーフェミズム(婉曲法)」、、、といったところでしょうか。「ハイパーバリー(誇張法)」も、こうした様々なレトリックの一部分として位置づけられています。

何かに腹が立ったとき、「チョームカつくんだけど!」って言ってみたり(←女子高生がよく使ってる)、ちょっと変わっている人を、「あの人って変人」って言ってみたり(←satchyも職場でよく言ってる)、好きな人のことを、「めっちゃ大好き!すごい好き!」って言ってみたり(←そんなトキメキがほしい今日この頃)、、、これらは全て、「ハイパーバリー(誇張法)」なんですね。

こんなふうに考えてみると、誇張法って、日常を少しでもおもしろく見せかけようとする私たちの何気ない努力のあらわれの一つ、つまり、日常の単調に対する一つの対処法、とも言えるかもしれないですね。学生たちも、「死にそうやー」って言いながら、追い詰められている自分(?)を奮起させているのでしょう。

すんません、ちょっと強引にまとめてみました(笑)。

060611_2242 『認識のレトリック』(瀬戸賢一著、海鳴社、1997) 「死にそう」を始めとする様々なレトリックについて解説されています。普段何気なく使っている日本語表現を改めて見つめ直すよいきっかけになると思います!

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ラテン・ダンスとの出会い

June_2_friday_007 ラテン・ダンスのDVDを観ました。"2005 The World Super Stars Dance Festival"を収めたDVDです。satchyのマナデシ(?)のクボッティが貸してくれました。ラテン・ダンスの世界に触れたのってこれが初めてです。テレビで芸能人が踊っているのを見たことがあるけれど、やっぱり本物は違う!ダンサーの軽快な体の動きと、美しい体のライン、そして、豪華なコスチュームに魅了されてしまいました。ダンスというか、ここまでくると、まさに芸術です。人間が自分の体を動かしてこんな芸術作品を作れるなんて、すごい!

DVDを貸してくれたクボッティは、今、大学3年生。趣味で、ダンスをやっているらしく、時々、教室内で華麗なターンを見せてくれます。「クボッティ、回って回って!」ってお願いすると、回ってくれるんです(笑)(←学生をダシに遊んでいる。ひどいやつじゃ) クボッティは、プロの先生について、ダンスを習っているようで(最近、日本テレビの番組で高橋恵子さんのパートナーを務めていたダンサーがクボッティの先生)、その腕前はお見事。(って素人に言われてもうれしくないか) もしかしたら、ただの趣味といいつつ、本格派を目指しているのかも。。。と勝手に推測しているsatchyです。だって、最近、日サロに通っている事実を知ってしまったし。。。(←ラテン系の小麦色の肌を手に入れるため) いやいや、学生さんが何百人もいると、それぞれに違った個性や世界観を発見することができて、ほんとに人間っておもしろいなーと思います。

クボッティは、satchyのことを、「プライベートが充実していない人」って思ってるみたいです(笑)。(←んなことは決してないんだが。。。自分では結構充実してると思っている) この前会ったとき、「週末何してたんですか」って聞かれたので、「プログラミング(Java)をやってた」と答えたところ、「なんでそんなに内向きなんですか。外を向きましょう外を!」と言われてしまいました。。。ラテン・ダンスのDVDを貸してくれたのは、内向きsatchyを外向きにさせようと、クボッティなりに気を使ってくれてのことだったんでしょう。ありがたいことです。クボッティの気持ちに感謝です。

いや、でもちょっと待てよ、もしかしたら、satchyを、ラテン・ダンスの世界に引きずり込もうとしてた可能性もあるか。(んなわけはないか)

ダンスなんて踊れたら素敵だなーって思っていたけど、このDVDを見て、なぜかとても恥ずかしくなってしまいました。ラテンって大胆だよね。satchyは基本的にシャイだからムリです。ごめん、クボッティ。(っていうか、誰も誘ってない)

ということで、ラテン・ダンスの世界に触れた木曜の夜でございました。

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読んだものをどう要約するか ―必要な分析力―

久しぶりにお仕事のお話です…。

最近、学生さんの書いたBook Report(読んだ本の内容を要約するレポート、感想文ではない)を見る機会があり、多くの学生さんに共通して見られる、ある一つの特徴に気がつきました。

その特徴とは次の二つ。 まず一つ目は、「起こった出来事を全て書こうとする」こと。そしてもう一つは、「一連の出来事を起きた順番に並べる」こと。いわゆる、「時系列連鎖型」のまとめ方(叙述の方法)です。

たとえば、チャールズ・ディケンズの『オリバー・ツイスト』を読んだAさんの場合。「オリバーが生まれたとき、すでに両親は亡くなっていました。その後、オリバーは孤児院に引き取られました。そして、ロンドンのある町で犯罪グループの仲間に入れられます。そして、仲間から万引きをしてくるよう指示されます。しかし優しいオリバーには犯罪を犯すことができません。そんな中、オリバーは、あるお金持ちの紳士に助けられます。そして、その裕福な家庭で育てられます。しかし、また犯罪グループに連れ戻されます。そして、、、そして、、、そして、、、(延々ストーリーが続く…。)」 というような感じです(実際のレポートは英語です)。

この文章からは、Aさんが、一連の出来事をすべて正確に読み手に伝えようとしていることが伝わってきます。それはそれで、評価に値すると思います。が、しかし、正直、分かりにくい。そして、「だから、オリバー・ツイストってどんな話なん?? So What ??」って言いたくなってしまう。つまり、これじゃ、本の要約になっていないし、Book Reportとはいえないわけです。

でもね、これ、Aさんだけじゃないんです。大学1、2年生の人に本の要約させると、多くの場合この「時系列連鎖型」になってしまうんです。前にもブログで書いたと思うんですが、日本人大学生は、大学に入るまでに、要約の仕方を習っていないし、読書感想文を書いたことはあっても、本の要約なんてほとんどしたことがない、というのが現状です。だから、大学に入っていきなり、「読んだ本を要約せよ」て言われても、どうすればいいか分からないんですね。だから、大学では、「こうやって要約するんだよ」っていう形式を、ある程度教えてあげないといけないんだと思います。

では、読んだ本の要約ってどうやってしたらいいんでしょう? 次の二つのポイントが重要になると思います。まず、「結果(物語の場合は総括)に目をむけ、その結果を説明するために必要な情報は何か、を考えること」。 そして、「なぜその結果になったのか、なぜそれが起こったのか、どのような因果関係が認定されるか、を考えること」。 簡単に言うと、結果から振り返って原因を探すための情報の取捨選択を行う、ということです。

この「必要な情報を取捨選択できる能力」のことを、認知心理学の分野では、「分析力」と呼んでいます。渡辺(2004)は、この分析力について次のように述べています。

「分析力とは、主題に関係することがらと、関係のないことがらを区別できる能力、時系列順に並べられた出来事から、結果と直結する原因を抽出する能力である。」

主題や結果から見て重要な情報とそうでない情報を選別できる力って、ものすごく大事だと思う。簡単そうに見えて実はとても難しいんじゃないのかな。大学生だけじゃなく、院生や社会人の方が書いたものを見ていても、主題と無関係なことを書いてしまうパターンって、すごく頻繁に見受けられます。

分析力は、critical thinking skillsproblem-solving skillsの核心的要素でもあると思います。この力が身につけば、自分の頭の中が整理され、自分の考えを人に分かりやすく伝えることがもっと上手になるかもしれない。そうすれば、学ぶことがもっと楽しくなるかもしれない。オリバー・ツイストの要約を書いてくれたAさんにも、「次のBook Reportのときは、『情報の取捨選択』を意識して書いてみようねー」なんて話をしたんだけど、わかってもらえたかなー。

「分析力」、、、これ、大学に入る前、小・中・高校の時期にもう少し鍛えることってできないのかな、ってsatchyはいつも思っているんだけど、みなさんはどう思われますか。読書感想文の「どう思いましたか」じゃなくて、「なぜそうなったのか相手に分かるように説明しなさい」って感じの質問をして書かせる、、、こういう活動も早い時期から取り入れるべきじゃないでしょうかね。

02021_1納得の構造 ―日米初等教育に見る思考表現のスタイル』(渡辺雅子著、東洋館出版社、2004)

日本人の分析力について、アメリカ人のそれと比較しながら論じています。めちゃおもしろくて勉強になる。が、ちょっぴり、日本とアメリカをclearcutに分けすぎて、ステレオタイプが入っている感もあるけど…。

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充実した金曜日

最近、超・多忙な毎日を送っていて、ちょっとお疲れ気味でございます。。。気がつけばもう6月。時間が過ぎるのは本当に早い!"Time flies like an arrow."とはよく言ったもので、時間はまさしく矢のように過ぎ去ってしまいます。

そんな多忙な毎日の中、昨日、金曜日は、いつもとはちょっと違う充実した一日を送れて、心をリフレッシュすることができました。

普段のランチタイムは、手作りサンドウィッチを一人でかぶりついているsatchyですが(←「かぶりつく」というとまるで獣のようですが…。しかし、短時間でガブリというニュアンスを出してみました。←解説長すぎ。) 昨日は、お友達のエミリさんと一緒にランチをとることができました。1時に待ち合わせをして、大隈庭園内にある「ガーデンテラス・カフェ」へ。「ガーデンテラス・カフェ」なんて、洒落たネーミングですけど、実際は「学食」です(笑)。でも、中は一面ガラス張りで、明るい日差しが差し込み、庭園の緑に癒される空間になっています。

エミリさんは、外国語としての日本語教育がご専門の方で、この8月からスウェーデンのルンド大学で教鞭をとることになっています。ルンド大学ってヨーロッパでも名門の大学ですよね。そんな一流の大学での仕事をassignされた優秀なエミリさんですが、そのことを全然鼻にかけず、いつも謙虚で控えめで、周りを明るくしてくれるとっても素敵な女性です。やっぱり、偉大な人ほど謙虚になるものなんやなーってエミリさんを見ていると思います。「実るほど頭の下がる稲穂かな」とはまさしくその通りだと思います。(←こんな川柳でエミリさんのお人柄を表すなんて、やり方が古くて少々オヤジっぽいかしら。。。エミリさん、ごめんなさい!)

June_2_friday_006June_2_friday_008June_2_friday_009   そんな謙虚で優しいエミリさんから、ハイビスカスのジュースをいただきました。イギリスの伝統飲料らしく、美容にも効果があるらしいです。お疲れ気味+お肌の曲がり角(え?もう角はずいぶん昔に通りすぎたやろって?はい、たぶん数回通り過ぎてるかも。。。ほっといて)のsatchyには、ひじょーーにありがたい贈り物です。それに、「ハイビスカス」というトロピカルなことばの響きだけで、心が明るくなります。エミリさん、ほんとうにありがとうございます!このラッピングを見ただけで、何だか幸せな気持ちになりました。テディベアのラッピング・ペーパーに深いグリーンのリボン、かわいすぎます。

エミリさんと別れた後、またお仕事場へ。。。ミーティングに出て、学生さんのペーパーを見て、書類を作って、、、で、時計を見ると20時を過ぎている!「あ~、もうこんな時間ですよ~」と、研究室をシェアしているゆうこさんと二人嘆きつつ、ここで切り上げてゴハンでも食べに行きましょーということになり、遅いディナーを二人でとることになりました。

ゆうこさんとは、この4月から同じ職場で仕事をしています。実は、その2ヶ月ほど前に、とある場で偶然お話しする機会があり、今の仕事のポストに応募していることを聞いて、「こんな人と一緒に仕事ができたらいいなー」と思っていたので、4月にゆうこさんと再会できたときは、すごく嬉しかったです。ゆうこさんは、真面目でひたむき、そしてとってもかわいい人です。「どっちか一つくれーっ」と言いたくなるくらい。。。(笑) そんなゆうこさんと昨夜は人生について語り合いました。気がつくと23時近くになっている。。。ほんとに時間が過ぎるのは早い! でもすごーく有意義な時間を過ごせました。ゆうこさん、ありがとう!

June_2_friday_002_1June_2_friday_001_1June_2_friday_004_1高田馬場駅近くのローマ料理レストラン「タベルナ」でお食事しました。オードブル(写真真ん中)は、お好きな3品を選ぶことができます。satchyはタベルナに来るたび、「今日のオードブルは違うのにするぞ」と思うんですけど、なぜかいつもこの3品(ブロッコリー&しめじ&ナス)になってしまいます。キノコのリゾット(写真左)は、形がなくなるまで煮込んだキノコのやさしい味とほのかなチーズの風味が絶妙なマッチングです。日替わりデザート、昨日はイチゴのシャーベットでした。イチゴを100%使っているらしく、自然な味わいでした。

June_2_friday_005_1 タベルナの店内。天井につるされたブドウがMediterraneanな雰囲気を作り出しています。

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