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日本とアメリカの作文構造

大学1年生の英語ライティングを見ていて、いつも気になることがある。特に、「どう書くか」についてのスキーマが築かれていない春学期前半に、このことを強く感じる。

気になる問題というのは二つある。一つは、やたらめったら"and"を使い、「こうして、ああして、そいでもって、こうなって、ああなって、そいで結局こうなりました~。」というダラダラ型文章。 そして、もう一つは、「こんなことがあって、そいでもって、あんなこともあって、それで、それで、・・・ えーっと、結局何が言いたかったんでしたっけ??」という結論不明型文章。 

どうしてこういうことが起こるのか。理由は学生たちの過去の作文経験によるところが大きいと思う。つまり、日本人大学生は、中学・高校で書く活動をほとんどしてきていない。そして、自分の考えを言語化するトレーニングや、自分の意見を相手が分かるように論理的に説明する活動が授業ではあまり重視されていない。特に高校では、入試を突破することが目標になっているようなところがあって、授業ではアウトプットよりもインプットの方が重視されているような気がする。こうした状況では、伝えるべき内容(知識)は持っていても、それをどう伝えるかが分からない学生さんが増えるのは当然の結果なのかもしれない。

02021 なんていうことを感じる今日この頃だったのですが、同じ問題をズバリ指摘しているとっても面白い本を見つけました。『納得の構造 ―日米初等教育に見る思考表現のスタイル』(渡辺雅子著、東洋館出版社、2004)です。

同著の中で、渡辺先生は、ご自身が行った「日米大学生の作文比較」の結果について、次のように言及しています。

「…理由を説明する際に、日本人学生はまず過去のある時点に遡り、そこから起こった出来事を順番に述べるのに対して、アメリカ人学生は、結論に対して最も直接的な原因のみを述べるというのである。

たとえば、『あなたはなぜ英語(アメリカ人学生には日本語)を学ぶ決心をしたのか』という問いに対して、日本人学生は、『私が18歳のときに1ヶ月ホームステイをして、そしてホストファミリーと衣食住を共にして、そして… 』と長い体験談を語るのに対して、アメリカ人学生は、『日本の漫画文化をもっと学びたいと思ったから、日本語を取ることにしました。』と簡潔に述べて終わる。

この例から、日本人学生は理由を述べるのに、『物語』の枠組みを使い、複合するすべての理由を挙げる のに対して、アメリカ人学生は『要約』や『報告』の枠組みを使い、理由を一つだけ述べる 傾向があることが分かった。」

つまり、まとめると、「日本人学生は出来事の認識の仕方が時系列で、連続的に前へ進むものととらえる。一方、アメリカ人学生は、因果律で、結果から原因となる出来事を逆向きに探ることで全体を説明する」ということである。

うーん、なるほどーー。自分が今まさに関心を持っていた問題だっただけに、渡辺先生の研究報告にナットク!してしまいました。「アメリカ人のようになりなさい」と言っているわけではないのだけれども、「分かりやすい文章」とは、主張が先にあり、その理由なり根拠を後で説明していく「因果律」であると私は思う(特に学術的論文では)。もし、「自分の考えをどう並べていいかわからない」、「どうしたら論理的な文章が書けるようになるんだろう」、と悩んでいる学生さんがいたら、「因果律という文章構造もあるんだよ」と教えてあげることで、よりよい書き手への道が開けるんじゃないかと思う。ちょっと練習すれば、ダラダラ型文章や結論不明型文章も克服できる。(はずと思う)

学生さんの文章を見るようになって、satchyも少しづつ、emotionalな人間からlogicalな人間に成長しつつあります…。(って自分で言うのも何ですが。学生さんから学ぶことはほんとに多い!) ま、それはいいんだけど、「最近、理屈ぽくなった」、「そんな重箱の隅をつつくようなことばかり言わんでも、、、」なんてことを言われることが時々あり。。。(「最近くどくなった」ってことまで。。。)。なので、logicalであることが必要となるTPOをちゃんとわきまえなあかん、と思ってまーす(笑)。

↓ 『議論のレッスン』(福沢一吉著、NHK出版、2002)

もおすすめです。トュールミンの論証モデル((Toulmin's Model of Argumentation)にしたがって、分かりやすい言葉で論証の方法を説明しています。

議論のレッスン

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コメント

勉強になり、また、考えさせられる、いい記事でした。特に、この手の本を探していただけに大助かりです。

投稿: 日向清人 | 2006年5月19日 (金) 14:50

Satcyさん、こんにちは。
私は、最近、日本語作文の評価者ミーティングに参加しましたが、評価者によって、本当に考え方(基準)が違う!と実感しました。だらだらと書いている文章でも、「よく書けている」と高く評価する人がいるし、これは簡潔に書いているなと思っても、無難すぎる、と低く評価する人がいる。課題と合わない作文でも
「これは内容がおもしろいから、いいと思う」。ええ〜何のためのプロンプト?
私が言うようなことでもないけれど、日本語の作文教育は、まだまだ。。。と思いました。

投稿: エミリ | 2006年5月19日 (金) 22:53

Satchy♪さん、お久しぶりです。
このブログを読んでいていつも思うことですが、文章が順序だてて書かれていて、起承転結がきっちりしているな~と感心しております。すごく勉強になって
読むだけで帰ったりして~
文芸春秋の「日本はどっちだ」の中に京都大学の中西教授が、国際化の時代は既に終わった、グローバル化とはどういうことかということを、シンガポール大学のマフバニ学長が「タイム」に書いてたのを要約して書かれているのですが、グローバリゼーションの最も重要な「競争力の核心」は「自らの属する文化への自信」と「ユニークさへの誇り」であると言い切っていると、そしてその証明は「二十世紀の日本」だという。
話はそれましたが、やはり日本人は論理的な文章より
情緒的文章の方が国民性に適っているのではと思います。ただ際限なくだらだらと書くことについてはは論議の対象にはならないと思うのですが~
一度ツヴァイクの本を読んで見てください。彼も結構だらだらと書かれているのですが、とても読み応えがあります。

ブログのリンクが三人の方になりました。
プルダウンメニューにしたのですが、geoの言語が
EUCを使っているもので、どうも文字化けします。
エンコードを訂正してもしなくてもLINKは出来、
Satchywebへ来れました。一度お試し下さいね。

投稿: 風子 | 2006年5月20日 (土) 11:19

日向さん♪
来てくださってありがとうございます。日本人への作文指導に興味があり、いろいろな関連図書を読んで勉強しています。中でもこの『納得の構造』は、自分自身が日々感じている問題をズバリ指摘していただけに非常に感銘を受けました。また面白い著書を見つけたらブログで報告させていただきます。日向さんからもいろいろ勉強させていただきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。


エミリさん♪
そうですね。私も似たような経験をしたことがあります。「英語はロジカルであることが評価されるけど、日本語はつながりがちゃんとしていればロジカルでなくていい」とおっしゃった先生がいたのですけれど、その「つながりがちゃんとしていれば」の意味が私にはよくわかりませんでした。「起承転結」のことを言っていたのかもしれないけど、「起承転結」はliteratureで用いられるレトリックなので、学術論文では不適切じゃないかなと私は思っています。「内容がおもしろければ」という評価もどうなんでしょうね。私は、東京のお笑い芸人より関西のお笑い芸人の方が断然オモシロいと思っているんですけど、東京の方はどうなんでしょう。このように、「おもしろさ」っていっちゃうと絶対に主観が入り、客観的な評価ができなくなるような気がするんですけどね。先日話題にあがった「エコノミック・ナマケモノ」と「豚と猫」も、おもしろいといっちゃぁ、おもしろいんですけど。。。評価基準はほんとに難しいですね!


風子さん♪
そうですね、情緒的な文章は日本人ならではのものですね。その美しさは誇るべき文化だと私も思います。たぶん、私たちが国語教育の中でやらなければいけないことは、様々な文章の書き方とその目的を子供たちにちゃんと教えることだと思います。つまり、文章には、大きく分けて、エッセイ(小論文)とクリエイティブ・ライティング(創作文)の二つがあり、それらを状況に応じて書き分けられるようにすることが重要だということです。情緒的な文章は、おそらく、後者のクリエイティブ・ライティングの方で高く評価される書き方なのでしょうね。何かについて「論証する」ことが目的になるエッセイでは、やはりロジカルでなければだめなような気がします。私が今見ている学生さんたちは、この二つをごっちゃにしているような気がするんですよねー。
ツヴァイクの文章、分析してみたいです!

投稿: satchy | 2006年5月20日 (土) 14:40

Satchyさん、はじめまして。
私は東京都の小学校の40代の教員です。Satchyさんの記事から四ヶ月も遅れて恐縮ですが、作文指導に関して素晴らしいご教示を与えて下さり、感謝の気持ちをお伝えしたいと思って書き込んでいます。

これまでの自分の作文指導を振り返ってみると、圧倒的に生活作文に偏っていることに気づかされます。教科書を調べてみても、論理的に意見を書くという単元は非常に少ないのです。また、あったとしてもなぜか新聞形式だったり、序論・本論・結論という構成を大雑把に示すだけだったりで、これでは特に因果律を用いた記述のためのスキーマの形成が(と言っていいのでしょうか?)不十分ではないかと思いました。

そこで先日、二年生から六年生までの一クラスずつに協力をお願いして、意見文を書いてもらいました。すると意外なことに、二年生でも「私は○○と思います。なぜなら○○だからです。また、○○だからです。」という書き方ができる子が案外多いのです。おそらく、一年生のときから、授業や学級会などで意見を述べる経験を積んできたからではないでしょうか。ところが、これが高学年になってもあまり発達が見られず、逆に情緒的な説得(実際の場面ではこれもありでしょうが)の文章があったりで、我々教員が、論証のための技術をうまく身につけさせていないことを反省させられました。(ついでにその過程で、何より自分自身が、論証のための文章を読むのも書くのも苦手だということに気づいて、少々へこんでいます。)

これからは小学校でも、「自分の意見を論理的に述べて相手を説得する」ための作文に目を向けていくことが必要ですね。そのきっかけを与えてくださり、改めて感謝申し上げます。

投稿: おおとろ | 2006年9月18日 (月) 16:24

【おおとろ先生】
コメントをありがとうございました.
小学校でどのような作文教育が行われているのかとても興味があったので,先生のお話は私にとっても非常に有益でした.

またゆっくりお話をお聞きしたいと思っています.

投稿: satchy | 2006年9月19日 (火) 08:07

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