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英語教育か国語教育か

今日は、言語教育について最近考えていることを語ります。。。

本年度より、新教育課程の「総合的な学習の時間」において、全国の公立小学校で英語を教えることが可能になったそうです。背景には、「国際化に対応する」とか、「日本人の英語下手を克服する」とか、「英語がうまくなれば経済が発展する」といった政府の思惑があるようです。

確かに、外国語の習得は、早く始めれば始めるほど良い、と言われているし、「臨界期説(critical period hypothesis)」といって、ある一定の年齢を過ぎてしまうと、外国語の完全な習得は難しくなる、なんていう理論もあります。しかし、最近の英語教育ブームを見ていると、最も大切な「国語」の能力の育成の方がないがしろにされているような気がして、何か本末転倒とちゃう?って思ってしまうんです。

英語の習得には、母語である国語の能力が大きくかかわっていると思う。母国語は、すべての知的活動の基礎であって、これが確立されていないと、思考の基盤が得られず、語るべき「内容」を持った人間が育たないような気がする。国際社会の中で主体的に生きていく日本人を育成するためには、もちろん「英語」も大事だけれど、その前に、自分自身や自国文化を誇りを持って語れるよう、日本人としてのルーツをしっかり備えておくことの方が、うんと大事だと思うのだ。

英語活動を導入すること自体に全面的に反対しているわけではないんだけれど、もしそのことが国語や他教科の圧縮につながるのであれば、問題だと思う。英語を学ぶことが、国語への関心も深め、国語を尊重する態度を育てることにつながれば、一番いいと思う。

M0304318401_1 4月3日のブログにも書いたんだけど、最近、藤原正彦先生の著作を数冊読んでいて、先生の「国語教育絶対論」に、深い感銘を受けています。特に、「国語は情緒を培う」という先生の持論には、先生の「この国を良くしていこう」という熱い思いがあふれていて、心に突き刺さってきます。

「進まざるを得ない灰色の道が、白と黒のどのあたりに位置するか、の判断は〈情緒〉による。〈論理〉は、十分な〈情緒〉があってはじめて有効となる。これの欠けた〈論理〉は、我々がしばしば目にする、単なる自己正当化に過ぎない。ここでいう〈情緒〉とは、喜怒哀楽のような原初的なものではない。もう少し高次のものである。それをたっぷり身につけるには、実体験だけでは決定的に足りない。実体験だけでは、時空を越えた世界を知ることができない。読書に頼らざるを得ない。まず国語なのである。

祖国とは国語高次の情緒とは何か。それは生得的にある情緒ではなく、教育により育まれ磨かれる情緒と言ってもよい。たとえば、自らの悲しみを悲しむのは原初的であるが、他人の悲しみを悲しむ、というのは高次の情緒である。」

この「情緒」は、一般的に考えられているよりも、はるかに重要なものではないだろうか。いくら論理的思考能力が優れていても、情緒が発達していなければ、利害得失ばかりを考え、そのためなら他人を傷つけることも厭わないような人間を作り出してしまうような気がする。だからこそ、小中学生の間に、この高次の「情緒」を、国語教育の中で育てていくことが大事だと思うのです。

023156790000 藤原正彦先生の『祖国とは国語』(新潮文庫)、『古風堂々数学者』(新潮社)、『国家の品格』(新潮新書)、ぜひぜひお読みになってみてください。

そして、「国語教育か英語教育か」について、みなさんの意見を聞かせていただきたいです。

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コメント

お久しぶりです、こんにちは

最近「国家の品格」は話題ですね。僕はその前から知り合いの先生から是非読みなさいって言われていましたが、買ったはいいが「積ん読」状態でした。それはそうと意外なことに藤原さん数学者なんですよね。

それはそうと、こんな話昔しましたね。拠って立つべき母語なくして英語なんてやっても脆弱な言語感覚にしかならないと思います。もちろん子供の成長期に英語をさせるのは能力を高める上でも、国際理解の上でも歓迎すべきことですが、あくまで「補助」であって、母語あっての英語だということを勘違いすると大変なことになる気がします。

『祖国とは国語』、『古風堂々数学者』読んでみます!

投稿: くぼっち | 2006年4月12日 (水) 02:10

くぼっちー。来てくれてありがとう。そうそう、一昨年だったっけ、研究室に来てくれたときに、この話題で熱く語り合ったよねー(熱く、ではないかもしらんけど)。特にSILSの学生さんたちには、母語で自分を語れることの重要さをちゃんと認識しておいてほしいと思います。外国に行くと、英語よりもむしろ語れる内容をちゃんと持っているかどうか、の方が大事になるからね。ところで、研究室に来てくれたときに差し入れしてくれたケーキ、おいしかったです。(って一体何年たってからお礼言ってんの?)包装のリボンがかわいかったので、椅子に結び付けていますよ。ちょい少女趣味か。でもずっと大事にしますね。

投稿: satchy | 2006年4月13日 (木) 01:08

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