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「知ること」と「考えること」 

4062566109 苅谷剛彦著 『知的複眼思考法』(講談社+α文庫)を読んだ。苅谷先生は、最近の若者について、「与えられた課題については真面目に勉強するが、自分から問題を立ててそれを解くということはあまり得意ではない」と分析し、彼らのことを「マニュアル族」「指示待ち族」と呼んでいる。さらに、苅谷先生は、最も気がかりな問題として、「課題が与えられた場合にも、学生たちは、どこかに正解がある、と思っている」点を指摘している。

これは私も同感。学生たちと議論をしていて常に感じるのは、「書いた内容が正しいかどうか」、「先生の期待通りのものが書けているか」ということが学生の最大の関心事になっていること。そして、「自分の考えは論理的に説明できているか」「書いてあることは全体を通して筋が通っていて読み手を説得することができるか」という論文の本来の目的は、ほとんど認識されていない。

例えば、「学校の制服に賛成か反対か」を論じる小論文。学生たちは、賛成か反対か、「どちらの立場が正しいのか」と考えてしまうようだ。そうではなくて、「論じる」というのは、「いかにして、自分の立場を論理的に説得力のある文章で説明するか」ということなのだ。

この正解探しの発想って、受験勉強に根強くある「正解信仰」が影響しているんだと思う。日本の教育システムの中では、先生の言ったことや本に書かれていることを覚えて試験でいい点を取ることが学習目標にならざるを得ないから、学生たちが正解を探してしまうことは、ある程度は仕方ないんだろうなぁ。

でも、正解を探すのは、本当の勉強じゃないと思う。自分で問題を見つけて、解決への筋道を考え、そして、結果を論理的に相手に説明できる力、この「自分で考える力」を身につけることが本当の意味での勉強だと思う。大学生たちには、大学で求められるstudy skillsは高等学校とは違うことを教えてあげないといけない。そして、自分で考え発信していくことに喜びを感じられるようになってほしいと思う。

かくいう私も、実は10年前は「正解が大好きな優等生になりたい子」だった。でも、オーストラリアに留学して、正解を探す以外の勉強の仕方を教わり、勉強のおもしろさを知った。だから、今、すごく楽しい。だから、学生たちにも、同じようにこの楽しさを味わってほしいと思う。

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コメント

>オーストラリアに留学して、正解を探す以外の勉強の仕方を教わり、勉強のおもしろさを知った。だから、今、すごく楽しい。だから、学生たちにも、同じようにこの楽しさを味わってほしいと思う。

微力でも工業教育に関与する人物(機械工作方の集中講義をしてます)として(本職は機械技術者)上記の観念を持って会社でやってみよーという人が少なくなってます。正解がなく、正解と目されるものを創るのに、正解を求めてしまう。それまでの経緯が大事だと言ってもわからない。それは最後には自分が作らないとならぬといった使命感を持つ前に、僕がするの、といってしまう。
瀬が無いですな。

投稿: デハボ1000 | 2005年10月24日 (月) 01:03

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